それからはとんとん拍子に事が進み、ついに出発の日を迎えた。
「ノーハット伯爵様、このたびはお心遣い、痛み入ります」
「そうかしこまらないでくれ。私が好きでやったことだ」
早朝にミラベルさんを含めた全員でノーハット家に向かい、伯爵様にご挨拶する。
この方は数日前からポルティアに滞在していたはずだけど、どういうわけか一度戻ってきたらしい。
「こちらとしても、工房を手薄にさせてしまってすまぬな。屋敷に係の者を残しているので、必要とあれば何なりと申し付けてくれ」
「ありがたきお言葉でございます」
そう言って深々と頭を下げるミラベルさんに倣って、わたしたちもお辞儀をする。
そうこうしていると、二台の馬車がやってきた。
ひとつはエドヴィンさんが手綱を引く四人乗りの立派な馬車。もうひとつは幌馬車だった。
海辺の街には10日以上滞在するということで、その荷物もかなりの量だ。普通の馬車では運べないので、こうして幌馬車を出したらしい。
「レリックよ、よろしく頼んだぞ」
「おまかせください!」
伯爵様に声をかけられ、幌馬車の上で一礼するのは、商人のレリックさんだった。
彼はうちの工房にも
「それでは出発するとしよう。では、あちらの幌馬車に……」
意外な人物の登場にわたしが驚く中、伯爵様は変わらぬ調子で人員を割り振っていく。
元商人……ということも関係しているのか、仕切るのが好きなようだった。
やがて、わたしたちを乗せた馬車はノーハット家の門前を出発した。
所狭しと荷物が積まれた幌馬車に、スフィアとクロエさん、マイラさんが乗り込んでいる。
一方、エドヴィンさんが操舵する馬車には、伯爵様をはじめとしたノーハット家の皆様と、なぜかわたしが乗せられていた。
……ど、どどど、どうしてこんなことに。
まさかの伯爵様ご一家との相席に、出発直後からわたしの緊張はピークに達していた。
揺れる馬車に身を任せているだけだというのに、三人がまとうオーラがわたしと違いすぎる。まさに上流階級。胃が痛い。
「さて、
「は、はひ……」
胃腸薬、調合しておけばよかった……なんて考えていると、伯爵様が膝の上で両手を組みながらそう口にする。
「そう固くならないで。お父様、エリン様とお話したいがために戻ってこられたんです」
「そ、そうだったんですか。それは、ご足労をおかけしまして……」
緊張をほぐすようにオリヴィア様が言うも、わたしは視線をさまよわせる。
わたしなんかのために、伯爵様がわざわざ? ますます意味がわからない。
「唐突な質問になるが、薬師殿のお父上はセドオアと申すのではないか?」
「えっ……」
続いて伯爵様の口から出た名前に、わたしは目を見開く。
それは久しぶりに聞いた、父の名だった。
「そ、そうです。セドオア・ハーランドです」
「やはりか。薬師殿の家名を聞いた時、そうではないかと思っていたのだ」
「は、伯爵様は、父をご存知なんですか?」
「知っているも何も、彼とは親友だった。そして、良き仕事仲間でもあった」
わたしの言葉で確信を持ったのか、伯爵様はどこか嬉しそうな表情を見せる。
父は若い頃から薬師工房を持っていたし、元商人だという伯爵様とも、古くから交流があったのかもしれない。
「しかしそうか。そなたがあのセドオアの一人娘だったとは。国一番の薬師と呼ばれた彼の血、しっかりと受け継いでいるようだな」
「も、もしかして、気づいておられたんですか」
「ハーランドという家名は珍しいが、正直確証はなかった。娘が生まれたという話は聞いていたものの、私は一度も会ったことがないからな」
続けてそう言い、彼は優しげな眼差しを向けてきた。
……そこまでの話を聞いて、わたしは腑に落ちる。
いくらオリヴィア様やイアン様の病気を治したとはいえ、工房設備の修繕や屋敷への出入りの許可、そして今回の別荘への招待など、これまでの伯爵様からの待遇は度を越していた。
……わたしは伯爵様にとって、かつての親友の娘。
彼が親しくしてくれる理由は、そこにあったのだ。