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第3話『薬師、必死に抵抗する』


「エリン様たちも、わたくしたちの別荘に来ませんか?」


「はい!?」


 オリヴィア様からの思いもよらぬ提案を受け、わたしとスフィアは声を重ねてしまう。


 いやいやいや、いくら仲良くさせてもらっているとはいえ、それはダメなのでは!?


 正直、身分が違うわけだし……!


「はい! 行ってみたいです!」


 わたしが脳内でパニックになる中、スフィアは満面の笑みを浮かべて即答していた。


「ちょ、ちょっとスフィア、待ってください。さすがにそれはまずいですよ。その、伯爵様がお許しになるはずがありません」


「いえ、お父様はむしろ、わたくしの提案を喜んでくださっていましたよ。エリン工房の皆さん、全員を招待すると言ってくれました」


「ええぇ」


 スフィアの両肩を掴みながら諭すも、オリヴィア様はあっけらかんと言った。


「そ、そういうことなら、スフィアだけお世話になってください。全員というのは、さすがに厚かましすぎます」


「え……エリン先生、一緒に来てくれないんですか?」


 わたしがそう続けると、スフィアは一転、寂しそうな顔をした。


「はう……いやその、えっと」


 その表情を見て、わたしは言葉に詰まる。


 わたしは性格上、誰かと一緒にいるだけでどうしても疲れてしまう。


 それなのに、貴族様たちと四六時中一緒に生活する……なんてことになったら、わたしの精神は保たないと思う。


 ……それにわたしは、あの工房を、住み慣れた場所を離れるのが怖いのだ。


「エリン先生、せっかく誘ってくれてるんですし、一緒に行きましょうよー」


「うーん、うーん……」


「……こほん。エリン様の動機の一つになるかはわかりませんが、こんな情報があります」


 スフィアから期待に満ちた目で見られ、わたしが視線を泳がせていると……エドヴィンさんがそう口を開く。


「海辺の街ポルティアの砂浜では、ミレー貝が採れるそうですよ」


「……ミレー貝ですと?」


 まさかの単語に、わたしは目を見開いてしまう。


「エリン先生から借りた教本に載ってましたが、そんな珍しいものなんですか?」


「珍しいも何も……ミレー貝は、その殻を粉末状にすることで薬材やくざいとなる貴重な貝なんです。薬材の多くが植物由来の中、数少ない動物性のもので、乾燥させずとも長期保存でき、毛穴や血管を引き締める効果があることから、精神不安や不眠、胃腸の薬として重宝して……」


「……すごいね。やっぱりエリンさん、薬師やくしなんだ」


「……はっ。す、すみません」


 スフィアからの問いかけについ熱弁を振るっていると、イアン様に苦笑されてわたしは我に返る。


「ミレー貝は、海がないこの街では採取が難しい薬材ですからな。我々に同行していただければ、いくらでも集めることができるでしょう」


「あー、うー」


 明らかに笑いを抑えながら言うエドヴィンさんに対し、わたしは呻くような声を出してしまう。


 た、確かにミレー貝は非常に珍しい薬材だし、おいしい話ではあるけど……!


「こ、この案件は、一度持ち帰って検討させていただきます……」


 その場の視線を一身に集めつつ、わたしはそう言うのが精一杯だった。


 ◇


 ノーハット家のお屋敷からエリン工房に戻ったわたしは、さっそく別荘の件を皆に話して聞かせた。


「それってつまり、あたしたちを別荘に招待してくれるってこと?」


「すごいじゃないですか。貴族様の別荘なんて、そうそうお邪魔できるものじゃないですよ」


 予想通りというか、マイラさんとクロエさんは瞳を輝かせていた。これは答えを聞くまでもなさそうだ。


「それに海辺の街ポルティアといえば、きれいな海水浴場があることで有名な場所ですよ」


「そうだよ。貴族様の別荘に滞在して海水浴なんて、今後絶対体験できないよ」


「わわ、それはわかっていますが……お二人とも、ちょっと落ち着いてください」


 左右から言われてしどろもどろになりつつも、わたしは必死に二人を押し止める。


「夏の間、この工房をずっと空けるわけにはいきませんよ。誰かがここに残らないと」


「あ……それもそうだねぇ」


 わたしがそう口にすると、ようやくマイラさんたちの勢いが多少しぼむ。


 エリン工房はすでにこの街になくてはならない存在となっているし、国家公認工房が長期休業なんてことになったら、様々な問題が生じるはずだ。


 ……そこで、わたしが残ると話を切り出せば、皆も納得してくれるはずだ。


 スフィアには悪いけど、薬を作れるのはわたしだけだし。工房に残る理由としては十分だ。


 あとはそれを伝えるだけ。頑張れエリン。負けるなエリン。


「……仕方ないな。工房には私が残ろう」


「え」


 いざ話を切り出そうとした矢先、ミラベルさんが大きく息を吐きながらそう言った。


「で、でもその、そうなったら薬はどうするんですか」


「もちろん、お前に用意してもらう。ポルティアに出発するまでまだ時間があるのだから、国に納める薬や店頭用の常備薬、緊急用の薬一式など、必要と思われるものは全て用意してくれ。売るだけなら、私一人で可能だ」


「は、はぁ……でも、その」


「ということは、先生と一緒にイアン様たちの別荘に行けるんですね!」


「むぎゅ!?」


 なんとか残る理由を考え出そうとしていると、嬉しさを爆発させたスフィアが抱きついてきて、わたしは彼女と一緒になって床に倒れ込む。


「まぁ、ミランダ王都とポルティアは馬車で二日ほどの距離だし、どうしても緊急の用事があれば呼び戻すさ」


 スフィアに押しつぶされそうになるわたしを見下ろしながら、ミラベルさんは含み笑いを浮かべていた。


 ……見事に先手を取られてしまった。こうなると、断るのはもう無理そうだ。


「ミラベルさんには悪いけど、今年の夏は貴族様の別荘で海水浴! これに決まりだね!」


「ああ、私はもう好き好んで泳ぐような年でもないし、お前たちだけで楽しんでくるといい」


「はい! エリンさん、せっかく海に行くんですし、水着を用意しないといけませんね!」


 皆のやり取りを聞きながら諦め顔で体を起こした時、クロエさんが何か言ってきた。


「え、水着!?」


「そうだよ! エリンさんスタイルいいし、きっと似合うよ!」


「い、いえいえ、わたしなんてそんな、そこらへんのスライムが服着て歩いてるようなものなので……」


「必要以上に自分を卑下ひげしなーい! 思い立ったがなんとやら! 今から水着買いに行こう!」


「そうですね! スフィアちゃんも一緒に行きましょう! ミラベルさん、お店番お願いします!」


 そう言うが早いか、マイラさんとクロエさんはわたしとスフィアの手を取って走り出す。


「あの、もう夕方ですけど……ああああーーー!」


 その圧倒的な行動力の前に、わたしは為す術なく。商店街へ向けて、ずるずると引きずられていった。


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