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第18話『薬師、いつもの日常へ』


 イアン様の症状が落ち着いてから、数日後。


 昼食を終えて、皆で食後のお茶を楽しんでいた時のことだった。


 すっかり聞き慣れた車輪の音が、工房の前で止まった。


「……また馬車が来たよ?」


 マグカップを片手に、外の様子を覗き見たマイラさんが呟き、わたしたちは顔を見合わせる。


「失礼いたします。皆様、お揃いでしょうか」


 その直後に扉が開き、これまた聞き慣れたエドヴィンさんの声がした。


「これはどうも。どうされましたか?」


 その場でお茶会を切り上げたわたしたちは、ミラベルさんを先頭に店舗スペースへと移動する。


「先日はお世話になりました。おかげさまで、イアン様の症状も落ち着いております」


 正装に身を包んだエドヴィンさんが、洗練された所作で頭を下げる。


 ……わざわざお礼を言いに来てくれたのかな。


「実は本日、皆さんにお会いしたいという方をお連れしておりまして。会っていただけますでしょうか?」


「ええ、構いませんよ」


 それが本題なのだと理解したミラベルさんが頷くと、エドヴィンさんは一礼したあと、馬車のほうへ戻っていった。


 ややあって、彼以上に立派な身なりの男性が馬車から降りてきた。その後ろにはオリヴィア様の姿も見える。


 あの男の人は誰だろう……そんなことを考えている間にも、エドヴィンさんが扉を開け、二人がお店に入ってくる。


「……これは、ノーハット伯爵様ではありませんか」


 次の瞬間、ミラベルさんが驚愕の表情とともに頭を下げた。わたしたちも急いでそれに続く。


 えっ、えっ、伯爵様? それって、すごい人なのでは?


「そうかしこまらないでくれ。お初にお目にかかる。このたびは息子たちが世話になったようだな」


 栗色の髪をしたその人は優しい口調で言う。


 すっかり忘れていたけど、オリヴィア様は伯爵令嬢だった。そのお父様ということは、伯爵様その人ということ。その物腰は柔らかくも、全身に気品溢れるオーラをまとっていた。


 その事実に気づいた時、わたしの背中に冷たいものが流れ出す。それも、大量に。


「本日こちらに伺ったのは他でもない。苦労をかけた薬師殿に是非とも礼を言いたいのだ。して……どちらかな」


 わたしは反射的に後退りするも、お呼びですよ……と言わんばかりにクロエさんから背中を押され、前へと押し出される。


「お、おはちゅにお目にかかります……エリン・ハーランドと申します……」


「そなたが薬師エリン殿か。オリヴィアから話は聞いている。このたびは世話になったな」


「と、とんでもございません。こんな恰好で、申し訳ありませぬ」


 速攻で人見知りを発動させたわたしは、緊張のあまり噛みまくりながら、ペコペコと頭を下げる。


 服装だって、作業着と室内着を兼ねた割烹着姿のまま。突然の来訪だったとはいえ、あまりにも釣り合っていない。


「はは、オリヴィアの言う通り、愉快な方だな」


「そうでしょう。わたくしと年が近いとは思えぬ、素晴らしい方なのですよ」


 父親の前だからか、貴族オーラ全開のオリヴィア様が口元を隠しながら優雅に笑う。


「ところでお父様、言葉だけでなく、行動でも謝意を示さねばいけませんわ」


「わかっている。入浴設備の工事だったな」


「は?」


 二人のやり取りを聞いていたミラベルさんが、明らかにうろたえていた。


 そういえば報酬の件については、工房の皆に一切話していなかった気がする。


「あ、あのあの、実はですね……」


 わたしは慌てて振り返り、しどろもどろになりながら事のいきさつを話して聞かせた。


「……なるほど。それはまた、不躾ぶしつけなお願いを……」


「いやいや。こちらとしても、見合った対価だと思っている。格安で職人を手配させてもらうとしよう。工費は半分……いや、八割持とう」


「お心遣い、痛み入ります」


「あ、あの、待ってください」


 ミラベルさんが深々と頭を下げるも、わたしは思わずその中に割って入る。


「こ、今回は対処療法をしただけです。まだイアン様については、抜本的な治療はできていません。オリヴィア様との約束は、イアン様のご病気を治すことだったはずです」


「こらエリン、せっかくの伯爵様からの好意を無下にするな」


「そ、そうですけど、約束ですし……あわわ」


 ぐいっと引き寄せられて、耳元でそう呟かれる。


 伯爵様はそんなわたしたちを見ながら、豪快に笑っていた。


「いや、失礼。薬師殿は正直者だな。そこまで言うのなら、望み通りにしよう」


「あ、ありがとうございます」


「その代わり、今後もイアンやオリヴィアと仲良くしてもらえるとありがたい。私もなにかと忙しく、なかなか二人に構ってやれないのでな」


「は、はい。それはもう」


「それと、今後も定期的に薬を頼むことになると思う。主治医のエドヴィンも、そなたには絶大の信頼を寄せているようだしな」


 笑みを浮かべたまま、伯爵様はエドヴィンさんに視線を送る。彼は深く頭を下げていた。


「それでは、今後ともよろしく頼む」


 最後にそう言い残すと、伯爵様たちは去っていく。


 その背を見送っていると、オリヴィア様がおもむろにスフィアへ近づいてきた。


「イアン、また会いたがってましたよ。エリン様と一緒に、いつでもいらしてくださいね」


 そしてわたしたちにだけ聞こえる声で言うと、急ぎ足で伯爵様のあとに続いていった。


 ◇


 伯爵様たちがお帰りになり、わたしとスフィアは食堂で呆けていた。


「き、緊張で心臓が止まるかと思いました」


「わ、わたしもです。頭も真っ白で、何を話したかも覚えていません……」


 冷めきったお茶を飲みながら、二人でそんな会話をする。


「でも、伯爵様もオリヴィア様も、すごく嬉しそうでしたね。なんだか、私も嬉しくなりました」


 そう口にするスフィアの笑顔は、輝いていた。


 ――薬師が一番喜びを感じるのは、お客さんの病気が治って、感謝された時さ。


 ……その時、かつての父の言葉が思い出された。


 薬師を続けていくうえで、わたしの根幹を成す言葉なのだけど、スフィアはおのずとそれに気づきはじめているようだ。


 師匠として、まだまだ至らない部分が多いけれど、この子はなんとしても一人前の薬師に育て上げなければいけない……そんな強い思いが、わたしの中に芽生えていた。


「……どうした。やけに静かだぞ?」


「わぎゃ!?」


 そんなことを考えていた矢先、いきなり背後から抱きつかれた。


 とっさに視線を向けると、目の前に顔を赤くしたミラベルさんがいた。その後ろには、笑顔のマイラさんやクロエさんの姿も見える。


「わ、ミラベルさん、お酒臭いですよ。こんな時間から飲んでいるんですか」


「祝い酒だ。国王陛下に続いて、貴族様ともパイプを作ってしまうとはな。エリン、でかしたぞ」


 言いながら、がしがしと乱暴に頭を撫でられる。正直、痛い。


「あわわわ、今回はイアン様たちと仲良くなったスフィアのお手柄で……わたしは大したことは……」


「いいえ! エリン先生の助言がなければ、私は何もできないクズ師のままでしたよ!」


 とっさにそんな言い訳をするも、それを遮ってスフィアも抱きついてくる。


「どんな助言をしたのか知らんが、今夜はお祝いだ」


「お祝い!? やったー!」


「マイラが一番に喜んでどうするんですか。じゃあ、今夜は久しぶりの外食ですね」


「ああ、街一番のレストランを予約してくれ」


 ミラベルさんはわたしを抱きしめたまま、本当に嬉しそうに言う。


 一方のマイラさんたちは一様に笑顔を浮かべ、少し離れた場所からその様子を見守っていた。


「あうあうあう……クロエさん、マイラさん、笑ってないで助けてください……!」


 二人に抱きつかれたまま、わたしは情けない声を上げる。


 それを合図にしたように、食堂は再び大きな笑い声に包まれたのだった。


 ――突然弟子を取ることになったり、貴族のお屋敷に出入りすることになったりと、人見知りのわたしにとっては、心をすり減らすような毎日だけど。


 ――この工房での賑やかで楽しい日々は、まだまだ続いてほしい。わたしは、心からそう思った。



                 追放薬師は人見知り!? 第二章・完

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