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第16話『薬師、再び貴族のお屋敷へ』


「エリン様、急で申し訳ありませんが、お屋敷までご足労願います」


 そう言うエドヴィンさんに頷いて、わたしは馬車へと乗り込み、ノーハット家のお屋敷へと向かう。


 以前より明らかに馬車の速度が出ていて、急いでいるのがわかった。


「……イアン様、大丈夫でしょうか」


 隣に座るスフィアは、四角い小窓から差し込む西日に負けない金髪を馬車の振動に合わせて揺らす。


 この子には工房にいるように言ったのだけど、自分も行くと聞かなかったのだ。


「と、時々熱が出ることはあったと、エドヴィンさんから聞いています。今回もその類でしょう」


「でも、そこまで高い熱が出たことはないと、本人が言ってましたよ。主治医のエドヴィンさんがあれだけ慌てるんですから、よっぽどなんじゃ……」


 膝の上で両手をぎゅっと握りながら、視線を落とす。そして続けた。


「もしかして、私が遊びに行きすぎたからでしょうか。知らず知らずのうちに、イアン様を疲れさせてしまっていたのかも」


 病気を治すのが薬師やくしの務めなのに、悪化させてしまうなんて……と付け加える。


 その小さな肩はわずかに震えていて、泣くのを必死に堪えているように見える。


 見かねたわたしは、スフィアの頭に手を置く。


「……頑張れスフィア。負けるなスフィア」


「……え、なんですかそれ」


「わ、わたしが自分を奮い立たせる時に、心の中で呟いている言葉です。不思議と元気になるんですよ。スフィアに伝授します」


 そう伝えると、彼女は瞳に涙を溜めたまま、わたしを見上げた。


「それに、薬師は病気に苦しんでいる人の希望になる存在です。そのわたしたちが、暗い顔で患者さんに会うわけにはいかないです。あ、わたしはいつも暗い顔をしているかもしれませんが」


「……そんなことないですよ。エリン先生、ありがとうございます」


 スフィアははにかみながら言うと、服の袖で素早く涙を拭う。


 次に向けられたその顔に、涙はなかった。


 ……そのまま馬車に揺られることしばし、太陽が山の向こうに消えた頃、わたしたちはノーハット家のお屋敷に到着した。


「エリン様、来てくれたのですね!」


 その入口で馬車から降りると、オリヴィア様が出迎えてくれた。


「スフィアちゃんも来てくれたのね。ありがとう」


「はい! 微力ながら、お手伝いに参りました!」


 わたしに続いて馬車から降りたスフィアに、オリヴィア様は少し砕けた口調で話しかけていた。明らかに親密度が違う気がする。


「オリヴィア様、夜風は体に障りますよ」


「これくらい、頑張っているイアンを思えば大したことありませんわ。さあ、お急ぎください」


 エドヴィンさんの心配をよそに、オリヴィア様はわたしたちを先導するようにお屋敷へと入っていく。


 ため息をつく彼を横目に、わたしたちは彼女のあとに続いた。



 オリヴィア様に案内されてイアン様の部屋にやってくるも、肝心のイアン様は眠られていた。


 ……いや、近くで容態を見たところ、眠っているような、熱に浮かされているような微妙な状態だった。


「……こ、この症状は、いつからですか」


「今日のお昼過ぎからですね。昼食を召し上がられたあと、急に高い熱が出まして。熱冷ましを処方したのですが、一向に熱が下る様子もなく」


 誰となく尋ねると、エドヴィンさんがそう教えてくれた。


 少し気になることがあって、わたしはイアン様の体に触れてみる。


「……高熱の割には、ほとんど汗をかいていないですね。処方した薬に、発汗作用のある薬材やくざいは使っていますか。たとえばビリビリ草や、グリーンオリーブです」


「グリーンオリーブは使用していますが、ごく少量です。体に熱がこもっているのでしょうか」


「そ、そうですね。汗を出すことができれば、熱も下がるかもしれません。新しい熱冷ましを調合したいのですが、お屋敷の調合室と薬材をお借りできますか」


「わかりました。こちらです」


 エドヴィンさんは快諾してくれ、すぐさま部屋の扉に手をかける。


 薬師にとって調合室は自分の城のようなものだし、そこに他人を入れるのは少なからず抵抗があるはず。快く了承してくれた彼に感謝しつつ、わたしはその後を追った。


「……どうぞ。中にある薬材や器具は、お好きに使っていただいて構いません」


「あ、ありがとうございます」


 やがて通された調合室は、さすが立派なものだった。


 わたしが普段使っている調合室の数倍の広さがあり、ところどころにランプがあって部屋全体が明るい。薬材も地下倉庫ではなく、巨大な薬棚に収められていた。


 ベッド代わりに使うのか、ふかふかのソファーまで置かれている。


 調合室は自分の城……その表現にふさわしい内装だけど、わたしには広すぎて落ち着かない。


 やっぱり、わたしはエリン工房の狭くて薄暗い調合室が一番だ。


「エリン様、薬を作るところ、見学させていただいてよろしいですか」


「先生、私も手伝わせてください!」


 室内を見渡しながらそんなことを考えていると、オリヴィア様とスフィアがやってきた。


「オリヴィア様、薬の調合は大変繊細な作業なのです。エリン様が集中できなくなりますので、どうかご容赦を」


 エドヴィンさんがそう言うも、彼女は気にすることなく調合室へと足を踏み入れる。


「大事な弟の薬を作ってくださるというのに、それを見ることもできないのですか?」


 続けてそう口にして、わたしに視線を送る。


 エドヴィンさんの言う通り、ここは遠慮してもらうべきなんだろうけど……そんな目で見ないで。断れなくなる。


「え、えっとその……か、構いません」


「ほら、エリン様もああ仰っています。エドヴィンと違って、国家公認工房の薬師様はわたくし如きに集中を乱されることもないのですよ」


 ……いえ、すでに乱されまくっていますが。


 そんなことを考えるも、当然口にすることはできず。


 興味深そうに周囲を見渡すオリヴィア様を前に、わたしは苦笑するしかなかった。


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