目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第13話『薬師、貴族のお屋敷に招待される 後編』


「エリン様、ご無理を言って申し訳ありません。お嬢様は弟のイアン様を溺愛しておられまして、時折ああして周りが見えなくなってしまうのです」


 イアン様の部屋へ向かう道すがら、エドヴィンさんが小声でそう教えてくれる。


 ……うん。なんとなくだけど、わかる気がする。


「こちらがイアン様のお部屋になります。確認してまいりますので、少々お待ちください」


 やがて奥まった扉の前にやってくると、エドヴィンさんはわたしたちにそう言い、ノックをして部屋に入っていった。


 ややあって、扉の向こうから入室許可が出る。


「し、失礼します」


 再び緊張しながら室内へ足を踏み入れると、そこには先程と同じようなベッドがあり、その中で一人の少年が身を起こしていた。


 髪色こそ姉のオリヴィア様と同じ銀色だったけど、その瞳は鮮やかな翡翠色をしている。その肌が透き通るように白いのは、病弱であまり外に出られないからだろう。


「こんにちは、薬師さん」


「ど、どうも……エリン・ハーランドと申します……」


 まるでガラス細工のような、どこか儚げな印象を受けつつも、わたしとスフィアは並んで自己紹介をする。かなり痩せているので判断しづらいけど、スフィアより少し年上だと思う。


「エドヴィンから聞いたよ。姉さんの病気を治してくれたんだってね。ありがとう」


 わずかに笑みを浮かべながら言い、「それで、次は僕の病気を治してくれるの?」と続けた。


 ……その言葉に、わたしは妙な引っ掛かりを覚える。


 どうせ治せっこないでしょ……暗にそう言われているような気さえした。


 思わずエドヴィンさんに視線を送ると、彼はなんともいえない顔をしたあと、口を開く。


「イアン様、エリン様はこの国一番の薬師やくしでございます。その腕前はわたくしの数段上。ここは彼女にお任せください」


 そう持ち上げてくれるも、イアン様は表情を変えなかった。どこか心を閉ざしてしまっているような感じがする。


 これは、体の治療と並行して、精神面の治療も必要かもしれない。


 無気力感に対する治療薬はもちろんあるのだけど、正直、薬だけでは厳しいものがある。それこそ、環境や本人の意識を変える必要がある。


 わたしは少し考えてから、まずは本人へ問診をすることにした。


「あの、イアン様、日頃、食欲はありますか」


「頑張って食べてるよ。お腹の調子が悪くて、残すこともあるけどさ」


「か、風邪をひくことは多いですか」


「うん。季節の変わり目には、三日に一度くらいの頻度で熱が出るよ」


「症状は熱だけですか? 咳が続いたり、お腹が痛くなったりは?」


「咳はないよ。お腹は時々……かな」


「……失礼ですが、ご趣味はありますか」


「趣味……? あえて言うなら、読書くらいだよ」


「わ、わかりました。ありがとうございます」


 いくつか質問をしたあと、わたしはイアン様に一礼し、エドヴィンさんへと向き直る。


「あの、エドヴィンさん、これまでイアン様に使用した薬の薬材やくざいを教えていただけますか」


「薬材ですか……? 表にまとめておりますので、取ってまいります。少々お待ちください」


 そう言うが早いか、彼はそそくさと部屋から出て行ってしまった。


 残されたわたしたちの間に、なんともいえない空気が流れる。


「あの、イアン様、どんな本を読まれているんですか?」


「……えっ?」


 そんな空気を壊したのは、底抜けに明るいスフィアの声だった。


 彼女は瞳を輝かせながらイアン様のそばに駆け寄ると、ベッド脇に積まれた本の山を興味深そうに見る。


「えっと、貴族や騎士を主役にした物語が多いよ。父様が買い与えてくれるんだ」


 イアン様はそう答えるも、明らかに面食らっている様子だった。


「君、本に興味があるの?」


「はい! 好きです!」


 ずいっ、と顔を寄せながら、スフィアは満面の笑みを向ける。明らかに、イアン様が気圧されている。


「えっと……女の子には、この本が読みやすいと思うよ。新人メイドの成長物語さ」


 彼は少し悩んで、積み重なった本の中から一冊の本を抜き出す。


「ありがとうございます! 読んでいいですか?」


 スフィアはそう言うと、彼の返事も待たずにベッドの端へ腰を下ろし、本を開いた。


「……お待たせいたしました。こちらです」


 くれぐれも失礼がないように……とスフィアに伝えようとしたところで、エドヴィンさんが書類を手に戻ってきた。


 それによって、わたしは声をかけるタイミングを完全に失ったのだった。



 それからエドヴィンさんと薬材について話す間、スフィアは本を読みつつも、ずっとイアン様とお話をしていた。


「……じゃあ、君も薬師なの?」


「はい! エリン先生の一番弟子です! まだまだこれからですが!」


「そうなんだ。頑張ってね」


「はい!」


 時折そんな会話が聞こえてきて、わたしもつい表情が緩んでしまう。


 スフィアは人懐っこい性格だし、すっかりイアン様と打ち解けたようだった。


 ◇


 やがてエドヴィンさんとの話し合いが終わり、わたしたちはノーハット家のお屋敷をあとにする。


 工房へと向かう馬車の中で、わたしはイアン様に処方する薬について考える。


 エドヴィンさんがこれまで処方していたのは、虚弱体質を改善する滋養強壮薬じようきょうそうやく


 滋養強壮の薬も多くの種類があるのだけど、彼が用意していたのはサクナゲの大花やグリーンオリーブを使った子ども向けの薬だ。


 体への負荷が最小限である代わりに、効果もそこまで強くない。言い方は悪いが、無難な薬だった。


 わたしが作る場合、効果をもう少し強めた上で、精神面にも効くようにしたい。そうなると、必要な薬材は……。


「……エリン先生、難しい顔をしていますが、イアン様の薬の調合は大変なんですか?」


「そ、そうですね。おそらく、使用する薬材は10種類くらいになると思います。扱いが難しいものが多いので、今回はわたしが一人で調合します」


 不安顔で訊いてくるスフィアにそう言葉を返した時、彼女の胸元に一冊の本が抱かれていることに気づいた。


「あれ、その本、イアン様から借りたんですか?」


「はい! 貸してくださりました!」


 わたしが尋ねると、スフィアは心底嬉しそうに本を抱きしめる。


 ……まさか、出会って初日で本を借りるほど仲良くなるなんて。さすがわたしと違って、コミュ力が高い。


「イアン様は日中のほとんどを屋敷の中で過ごされていますし、主治医であるわたくしの他には、世話役のメイドが何人か部屋に出入りする程度。そのご身分もあってご友人もおりませんし、よほどスフィア様のことを気に入られたのでしょう」


 馬車の前方から、エドヴィンさんの嬉しそうな声が飛んでくる。


 無気力感の治療には、人との交流が大事だと書いている書物もある。スフィアの物怖じしない性格が、イアン様にとってプラスに働いているのかもしれない。


「エリン様、スフィア様。またいつでもお屋敷に足をお運びください。オリヴィア様とイアン様も、きっと喜ばれます」


「はい!」


「そ、そうですね……」


 続いてそう言われ、スフィアは元気に返事をするも……わたしはもごもごと言葉を濁してしまう。


 歓迎してくれるのは嬉しいのだけど、人見知りのわたしはどうしても緊張してしまう。


 次回の訪問のことを考えると、わたしは早くも胃が痛くなってしまったのだった。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?