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第12話『薬師、貴族のお屋敷に招待される 前編』


 わたしは薬師やくしエリン・ハーランド。


 先日咳止め薬を作ってあげた貴族のお嬢様――オリヴィア様に呼び出され、わたしは今、馬車でお屋敷へと向かっていた。


「貴族様のお屋敷、どんなところなんでしょうね!」


 隣では、おろしたての洋服に身を包んだスフィアが言葉を弾ませるも……わたしは出荷されていく牛の気分だった。


 一人で貴族様のところへ赴くのはとても心臓が耐えられそうになかったので、なんだかんだと理由をつけてスフィアにも同行してもらった。


 この子も咳止め薬の調合を手伝ってくれたのだし、まったくの無関係……というわけではないはずだ。


「……まさか、あの時買った洋服をこんなに早く着ることになるなんて」


 石畳を行く馬車の車窓から外の風景を見つつ、思わずため息が出る。道行く人々が、何事かと馬車に視線を送ってきていた。


 ……大注目だ。恥ずかしすぎる。


 穴があったら入りたいけど、スフィアがいる手前、隠れるわけにもいかない。


 そんな悶々とした気分のわたしを乗せ、馬車は貴族街へ続く坂道を上り始めた。



「お疲れ様でございました。それでは、ご案内いたします」


 やがて馬車はお屋敷の前で停まり、わたしたちは先に降りたエドヴィンさんに案内され、その立派な門をくぐる。


 そして足を踏み入れた建物の中は、絢爛豪華けんらんごうかという言葉がぴったりな場所だった。


 眩しいくらいのシャンデリアに照らされた赤い絨毯がどこまでも広がり、長い廊下の壁際には無数の調度品が並んでいる。


「……エリン先生、あの壺、なんかすごそうですよ」


「さ、触っちゃ駄目ですよ。もし壊したら大変です」


 シャンデリアの明かりに負けないほどに瞳を輝かせるスフィアを咎めつつ、わたしたちはエドヴィンさんの後ろをついていく。しばらくして、彼は一つの扉の前で足を止めた。


「オリヴィア様、お約束の薬師様をお連れいたしました」


「待っていたわ。入っていただいて」


 扉をノックし、エドヴィンさんがそう告げる。すぐに女性の声が返ってきた。


「し、失礼します……」


 ゆっくりと開けられた扉を通り抜け、わたしとスフィアは部屋の中へ歩みを進める。


 緊張のあまり、右手と右足が一緒に出ていた。着慣れないヒラヒラの衣装も相まって、転んでしまわないか心配だ。


「こちらが薬師エリン様、そのお隣が、お弟子のスフィア様になります」


「お、お初にお目にかかりゅます。エリン・ハーランドです」


 頭の中で何度も反すうした挨拶を口にするも、見事に噛んでしまっていた。


「ふふ、面白い方ね。ようこそいらっしゃいました。わたくし、オリヴィア・ノーハットです」


 顔が熱くなるのを感じながら頭を上げると、天蓋てんがい付きのベッドの中で、パジャマ姿の女性が上体を起こしていた。


 ふんわりとした白銀色のウェーブヘアをたたえた彼女は、口元を手で隠して笑いながら、鳶色の瞳でわたしたちを見る。


「こんな格好でごめんなさい。わたくし、一刻も早くお礼が言いたかったのです」


 朗らかな笑顔を見せる彼女は、わたしとそう年が変わらないような印象を受ける。


 社交界がどうこう言っていたし、正直、もっと年上の女性を想像していた。


「女性の薬師様とは聞いていたけれど、まさか、こんなにお若いだなんて思いませんでした。エリン様、失礼ですが、おいくつになられます?」


「え、えっと、16です」


「まあ、わたくしは17よ。お若いのに弟子までお取りになって、ご立派だわ」


「あ、ありがとうございます……」


 無邪気な笑顔を向けられ、わたしは照れ笑いを隠すように再び頭を下げる。


「お礼を言うのはわたくしのほう。このたびは、エリン様の薬のおかげで大変助かりました」


 笑顔を変えることなくオリヴィア様は言い、深々と頭を下げてくれる。恐縮しっぱなしのわたしたちも、釣られるようにお辞儀をした。


 ここまで会話をした限り、彼女はまったく咳が出ていない。先日調合した薬は、しっかりと効いているようだった。


「せっかくだし、治療をしていただいたお礼をしたいのだけど……何か欲しいものはあるかしら」


「い、いえ、薬代は先に頂いていますし、お気になさらず」


「……それでは、わたくしの気が収まりませんわ」


 急な申し出に対し、わたしはそう言葉を返すも、オリヴィア様はわずかに口を尖らせた。


「どんなことでも構いませんわ。何でも言ってくださいまし」


 そう続けられるも、わたしは返答に困ってしまう。なんともいえない沈黙が室内を包んでいた。


「あ、あのぉ……」


 その時、スフィアがおずおずと挙手し、オリヴィア様の視線が彼女へと向く。


「私たちの工房、お風呂が壊れていまして。オリヴィア様のお力で、修理業者さんを紹介していただくことはできないでしょうか」


「そうなのですか? では、普段の入浴はどうされて……?」


「はい。お鍋にお湯を沸かしてですね……」


 オリヴィア様に促されるように、スフィアが事情を話して聞かせる。話を聞いた彼女は、驚きと同情が入り混じったような表情をしていた。その様子からして、貴族様は毎日お風呂に入っているのだろう。


「わかりました。お風呂くらい、お安い御用です」


「……お嬢様、またそんな無茶を」


「いいではないですか。お風呂に入れないのは、辛いですよ。エドヴィン、お父様にご提案してください」


「はぁ……かしこまりました」


 一度はたしなめるようにしたものの、さすがに逆らえないのか、エドヴィンさんは困った顔で頷いた。


 スフィアも、貴族様相手になかなか無謀なお願いをしたものだ。これはさすがに訂正しないといけない。


「あ、あの、いくらなんでも、薬を作っただけでそこまでしていただくわけにはいきません。何か別の案を……」


「それならば、弟のイアンを診てはもらえないかしら」


「え、弟さんを……?」


 勇気を振り絞って言葉を吐き出すも、すかさずそう返され、わたしは面食らう。


「ええ。弟のイアンは生まれつき体が弱くて、ほとんどベッドから出られないの。エリン様のお薬なら、きっとあの子を元気にしてくれるはずです」


 そ、そんな信頼しきった、キラキラの瞳で見ないでください。眩しい……!


「お嬢様、またそのようなことを……」


「あら、イアンが元気になれば、お父様だって嬉しいはずよ。ノーハット家の、大事な跡取りですもの」


 再びエドヴィンさんがたしなめようとするも、オリヴィア様は含み笑いを浮かべて言い、「お風呂の件は、その報酬ということでどうかしら」と続けた。


 結局その場の誰も彼女に逆らうことはできず、わたしたちはエドヴィンさんに連れられて、弟のイアン様の部屋へと向かうことになったのだった。


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