わたしたちは居住スペースへ向かうと、ダイニングテーブルに腰を落ち着ける。
いつもは四人で食事をするところに女の子が加わり、少し狭く感じた。
「どうぞー。熱いですから、気をつけて飲んでくださいね」
やがてクロエさんが温かいお茶を用意してくれ、わずかに場の空気が和む。
「さて、話を聞く前に、軽く自己紹介するとしよう。私はミラベル・ラステルクだ」
凛とした態度でミラベルさんが名乗り、それに続く形でクロエさんとマイラさん、そしてわたしが自己紹介をする。
それを聞く間も、少女は不安げな表情を浮かべたままだった。
「……私は、スフィアといいます」
そして最後に、少女が消え入りそうな声でそう名乗ってくれる。
「スフィア、お前は奴隷商人から逃げてきた。その認識であっているか?」
「はい」
「奴隷商人……法律で禁止されてるのに、まだいるんだね」
「この国では禁止されているが、よその国ではその限りでないからな。おおかた、他国から紛れ込んだのだろう」
ため息まじりに言うマイラさんに、ミラベルさんがそんな言葉を返す。
「スフィアちゃんは、どうして奴隷に……なってしまったんですか?」
続いて、クロエさんが遠慮がちに尋ねる。スフィアはわずかに瞳を伏せたあと、身の上話を始めた。
それによると、スフィアの母親は彼女を産んだ時に亡くなり、長い間父親と二人で暮らしていたそう。
その父親も数年前に病死し、唯一の親戚である叔父に引き取られるも、酒癖の悪い叔父に散々虐待された挙げ句、まるで酒代の足しにするかのように身売りに出されてしまったらしい。
「……この街に来て、逃げるチャンスを伺っていたんですが、エリンさんのおかげでなんとかなりました。本当にありがとうございます」
話の最後に、スフィアはそうお礼を言ってくれた。
「あっ、いえ、わたしは特に何も……」
そう口にしながらも、わたしはスフィアと、かつての自分の境遇を重ねてしまっていた。あまりに似すぎている。
「……あの、お願いがあります。この工房に、私を置いてください」
その時、スフィアは椅子から降り、頭を床にこすりつけんばかりの勢いで平伏した。
「……頭を上げろ。悪いが、それはできない」
その様子を見たミラベルさんが、申し訳なさそうに視線をそらす。
「この国の決まりでな。身寄りがない子どもは国の施設に預けなければならない。そこなら元奴隷だろうが、成人するまでは面倒を見てくれる」
そんな施設があるのかと衝撃を受けながら、わたしは他の皆の顔を見る。その誰もが、どこか悔しそうな顔をしていた。
「もちろん、今晩はここに泊めてやる。自分の家だと思って、くつろぐといい」
「……いえ。お気持ちだけ頂いておきます。お茶、ごちそうさまでした」
明らかに声のトーンを低くしたスフィアは今にも泣き出しそうな顔で立ち上がると、静かに背を向けた。
「……あの、待ってください」
この子は、このまま出ていってしまう……そう気づいた時、自分でも驚くくらい、自然に声が出た。
「あの時、路地裏で……どうして薬の作り方を教えてほしいと言ったんですか?」
「お母さんが……
顔の半分だけをこちらに向けて、スフィアは声を絞り出していた。
「私はお母さんの顔を知らないけど、優秀な薬師だったって。お父さんが何度も話してくれました。お前もいつか、立派な薬師になれって」
在りし日の父親を思い出したのか、スフィアは汚れた服の裾で目頭を拭った。
それを見て、わたしの中で何かが動いた。
「あの、ミラベルさん」
「……なんだ」
「こ、この子を、私の弟子にしてはダメでしょうか」
「……ふむ。一時の感情で動くのは感心しないぞ?」
必死に進言してみたものの、横目で睨みつけられてしまった。
マイラさんとクロエさんも、困ったような顔のまま。助け舟も望めそうにない。
……けれど、ここで諦めてなるものか。負けるなエリン。頑張れエリン。
「せ、せっかく薬師になりたいと言うんですし、わたし、力になってあげたいんです。それに、この子は……皆さんと出会えなかった、わたしかもしれないので」
「……どういうことだ?」
「前の工房を追い出されて、路頭に迷っていたわたしを助けてくれたのは、クロエさんや、ミラベルさんでした。だから、わたしも救ってあげたいんです。皆さんが、してくれたみたいに」
皆の視線を一身に浴び、背中に冷たい汗が流れ、緊張で声が出なくなっていく。それでも、全身全霊をもって言葉を紡いだ。
「……わかった。エリンがそこまで言うのなら、なんとかしてみせよう」
やがて、ミラベルさんがふっと息を吐きながら、そう言ってくれた。
直後、周囲を支配していた冷たい空気が和らいだ気がした。
それはスフィア本人にも伝わったようで、呆然とした表情でわたしたちのほうを見ている。
「うちの薬師様がこう言っているが、スフィアもそれで構わないか?」
「わ、わたしが教えてあげますので、ここで、薬師を目指しませんか」
それまでと打って変わって、軽い口調になったミラベルさんに続き、わたしもスフィアにそう伝える。
「ほ、本当に、いいんですか?」
「も、もちろんです」
「……ありがとうございます!」
彼女はその大きな瞳いっぱいに涙を溜めたかと思うと、ほとんど体当たりするようにわたしに抱きついてきた。
「わひゃ!?」
その勢いに負けたわたしは押し倒される形になり、同時に変な声が出た。
「私、頑張ります! よろしくお願いします! エリンさ……いえ、エリン先生!」
「え、エリン先生!? こここ、こちらこそよろしくお願いします……!」
「おいおい、さっきまでの威勢はどうした」
「あはは、いつものエリンさんに戻っちゃったよ」
「本当ですね。いつものエリンさんです」
床にひっくり返ったまま、あたふたするわたしを、皆が微笑ましそうに見ていた。
……こうして、わたしは小さな弟子を持つことになったのだった。