……その翌日になっても、ミラベルさんたちの調子は良くならなかった。
三人はいまだ寝込んでおり、これは厄介だ……なんて考えていると、朝早くから工房の扉が叩かれる。
外に出てみると、そこにはたくさんの人が列をなしていた。
「え、あ、あの、皆さん、どうされたんですか……?」
「昨日から腹の調子がおかしくてよ……
「うちも家族全員腹を下してて……頼むよ」
わたしが困惑していると、人々は口を揃えてそう言った。
……考えてみれば、祭りのトーンスープは街中の人間に無料で振る舞われたという話だった。
それならば、ミラベルさんたちのように体調を崩す人が街中に溢れてしまっても不思議はない。
「わ、わかりました。すぐに薬をご用意しますので」
皆が苦しむのを見ていられず、わたしは急いで店の中へ引っ込む。
そして棚に置かれていたありったけの胃腸薬を抱きかかえると、入口へ取って返す。
「は、はい! 薬です。どうぞ!」
「おお、ありがたい。薬師さん、いくらだい?」
「え、えっと……た、ただでいいです!」
「ほ、本当かい? 助かるよ!」
今は非常事態だ。こんな時にお金の話なんてしている場合じゃない。
わたしはそう判断すると、近くにいる人から順に薬を配り始めた。
……その後も、薬を求める人が次から次に工房を訪れ、棚の胃腸薬はあっという間に底をついてしまった。
わたしは今から薬を調合する旨を伝え、調合室へと飛び込む。
「く、薬がほしいんだ。もうないのか?」
「い、今調合しています! 待っていてください……!」
その間にも、人々はお店の中にまで押し寄せてくる。調合室の分厚いカーテン越しにも、悲痛な叫び声が聞こえてくる。
「か、完成しました! どうぞ!」
「ありがとう、ありがとう!」
「た、頼む! 俺たちにも分けてくれ!」
できあがった薬を袋に詰めて手渡すも、それも瞬く間になくなってしまい、薬の行き渡らなかった人たちがわたしに向かって懇願してくる。
「す、すぐに作りますので! お待ちください……!」
そう言うが早いか、わたしは調合室に戻って
……いつも助けてくれた皆は、今はいない。わたしが頑張らなければ。
それからは一心不乱に薬を作っては、ひたすら提供していく。
けれど、薬を求めてやってくる人はますます増え、わたしはパニック寸前だった。
……そんな時、最悪の事態が起こってしまう。
「あ、ジャールの根がもうない……オレンジの皮とオバケソウも残り少なく……!」
「頼む、薬をくれ。婆さんが苦しんでるんだ!」
「わ、わかってます。でも、薬材が……!」
そんな事情を知らない人々からは、悲痛な声が飛んでくる。
今から薬材を採りに行くなんて無理だし、どうすればいいの。何か代用できそうな薬材は……。
必死に考えるも、混乱した頭では打開策が浮かばない。
気がつけば、熱もぶり返している気がする。呼吸が荒くなっているのが、自分でもわかる。
……やがて、視界も霞んできた。
……病み上がりに徹夜明け。さすがに無理しすぎたかな。
薬研を手にしたまま、思わず膝をつく。頑張ったけど……わたし、ここまでかも。
工房の皆、お父さん、ごめんなさい……。
「うわ、なんかすごいことになってる!?」
「エリンさん、大丈夫ですか?」
……意識が途絶えようとしたその時、頼もしい声がした。
それによって、わたしはなんとか現実に踏みとどまる。
「……よく頑張ったな。あとは私たちに任せろ」
わずかに顔をあげると、ミラベルさんがわたしの脇を抜けてお店に立つ。
「あの料理が食中毒の原因である以上、こうなることは予想できていましたけど……それにしてもすごい人ですね。エリンさん、大丈夫ですか?」
「うるさくしてたら、薬渡せなくなるよー! きちんと並んでー! お年寄りや、小さな子がいる人が優先だよ!」
続いてクロエさんがやってきて、わたしを抱き起こしてくれた。その横を、元気な声を上げながらマイラさんが通り抜けていく。
三人とも顔色は悪いままだけど、必死に対応してくれていた。
わたしはそんな皆に現状を説明し、薬材が足りないことを伝える。
「……妙ですね。今日くらいに届くはずなんですが」
……すると、わたしの言葉を聞いたクロエさんが首をかしげる。
何が届くのだろう……と思った矢先、店内の喧騒に負けないほどの車輪の音が外から響いてきた。
「こりゃあ、えらい騒ぎだね。クロエお嬢、ご注文の品、お持ちしやしたぜ!」
ややあって入口から顔を覗かせたのは、商人風の男性だった。
「待ってましたよ! エリンさん、薬材が来ました!」
「へっ? 薬材?」
それを見て、クロエさんが声を上げた。
「この前、薬材を商人さんから仕入れるって話をしたじゃないですか! それが来たんです!」
そう言いながらクロエさんはわたしの手を掴むと、人波をかき分けて外へと向かう。
そこには立派な荷馬車が停まっていて、荷台には無数の袋があった。その中身は全て薬材のようだ。
「エリンさん、好きなだけ選んじゃってください!」
「は、はい!」
その声に背中を押されるように、わたしは荷台へと乗り込む。あれだけ欲しかった薬材たちが、そこにはたくさんあった。
「こ、これとこれ、これもください」
「へい、まいど! アメス祭りの翌日だから静かなもんだと思ってましたが、こりゃなんの騒ぎですかい?」
「色々ありましてね……マイラ! 材料運ぶの手伝ってくださーい!」
商人さんの問いかけをクロエさんが軽く受け流し、マイラさんを呼ぶ。
彼女はすぐさま飛んできてくれ、大きな袋を抱えるようにして調合室へと運んでくれた。
そうやって必要な薬材を全て運び終えたら、ここからはわたしの仕事だ。
一度に作れる最大量を意識しながら、手に持った感覚だけで薬材の重さを把握し、調合していく。
「エリンさん、袋詰め、手伝いますよ!」
やがて、商人さんとのやり取りを終えたクロエさんが調合室にやってくる。
「薬材、足りそう? 必要なものがあったら言ってね!」
続いて、マイラさんがそう声をかけてくれる。
「必ず皆さんの分を用意しますので、落ち着いてお待ちください!」
そして、お店からはミラベルさんの凛とした声が飛ぶ。
マイラさんが薬材を補充し、わたしが薬を作る。
それをクロエさんが袋詰めして、ミラベルさんがお客さんをなだめつつ、完成した薬を渡す。
この一連の流れができたことで、薬の提供速度が確実に上がった。
なにより、信頼できる皆がそばにいるという事実が、わたしを安心させてくれた。
……もう、大丈夫。
そう思った時、上がっていたはずの熱が嘘のように引いていることに気づいた。
……やがて人の波も落ち着き、騒ぎが収まってきた頃。わたしは調合室から顔を出す。
「つ、追加のお薬、できましたけど。あと、どのくらい必要ですか?」
「そうだな。あと数人分は予備があると……おや?」
そう言いながら店内を見渡していたミラベルさんの視点が、ある一点で止まる。
それを追ってみると、そこには見知った顔があった。
「た、頼む……薬を売ってくれ……」
「エリン、お願いよ……」
……誰かと思えば、グレガノさんとその家族だった。
……薬師工房だというのに、彼らは自分たちの薬さえ満足に作れなかったらしい。
プライドの高いあの人たちが、まさかわたしの薬を求めてくるとは。
「ふふっ……」
その事実に気づいた時、思わず笑いがこみ上げてきた。
「思わぬ客が来たが、エリン、どうする?」
「……そうですね。うちはハーランド工房とは違うので、分け隔てなく薬をあげましょう」
「そうだな。我がエリン工房は、ハーランド工房とは違うからな」
ミラベルさんがしたり顔で言う。それに頷きながら、わたしは彼らに薬を手渡す。
その時の彼らの悔しそうな表情を、わたしはこの先、忘れることはないだろう。
薬を手に足早に去っていく彼らの背を見ながら、わたしはそう思ったのだった。