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第15話『薬師、森へ赴く 後編』


 奥の茂みから聞こえた物音に、わたしはびくりと反応する。


 おそるおそる見てみると、そこにはこちらに背を向けた巨大な熊がいた。


「ひぃっ」


 半分魂が抜けそうになりながら、その場に尻餅をつく。その音で熊もわたしたちの存在に気づいたようだ。


 ど、どどどうしよう。こういう時は死んだふり? いや、熊は雑食だから意味ないって聞いたような。なんにしても、皆が危ない……!


「そこまで森の奥に入ったつもりはなかったんだが……まさか熊が出るとはな。ちょうどいい。こいつには夕飯になってもらうとするか」


 私が慌てふためく中、ミラベルさんは動じることなく、腰の剣を抜く。


 いやいや、なんで冷静なの!? 熊ですよ!? わたしたち、夕飯になるほうでは!?


「ミラさん! 今回はあたしにやらせてよ! この前、戦えなかったしさ!」


 ますます混乱していると、マイラさんが嬉々として拳を構える。


 え、まさか熊と戦うおつもりですか? そんな無謀な……。


「晩ごはん、ゲットー!」


 そう考えているうちに、マイラさんは一気に熊との距離を詰めていく。


 敵意を剥き出しにされ、熊も立ち上がって臨戦態勢を取る。その大きさはマイラさんの倍近くあった。


「爪の一撃だけは気をつけろよ」


 ミラベルさんがそう助言した直後、熊がその鋭い爪を振り下ろす。マイラさんはそれを見切ると熊の懐へと飛び込み、喉元へ強烈な拳を叩き込んだ。


 流れるような攻撃を受けた熊がたまらず体勢を崩したところで、マイラさんは跳躍。無防備に晒されていた熊の頭部めがけ、再び拳を打ちつける。


 急所に強い衝撃を受けた熊は苦しそうに咆哮したあと、地面を揺らしながら仰向けにひっくり返った。


 ……先程まで感じていた恐怖はどこへやら。思わず熊に同情してしまうほどの、一方的な戦いだった。


「す、すごいです。マイラさん、そんなに強かったんですね」


「えへへー、用心棒の肩書は伊達じゃないよー」


 ぴくりとも動かなくなった巨体を前に、マイラさんは恥ずかしそうに頭を掻いた。


「腕は鈍っていないようだな。苦戦するようなら、助太刀する気でいたのだが」


「とりあえず気絶させたから、ミラさん、とどめはよろしく」


 マイラさんは後退しながら、ミラベルさんへ笑顔を送る。


「承知した。しかし、なかなかの大物だな。エリン、解体を手伝ってもらえるか?」


「む、むむむ無理です」


 思わぬ指名を受けるも、わたしは全力で拒否。木の陰で身を縮こませたのだった。



 ……結局、熊の解体作業はミラベルさんとクロエさんが行い、夕食時となる。


 だんだんと日が暮れていく中、わたしたちは遊歩道沿いで焚き火を囲み、焼きたての熊肉に舌鼓を打っていた。


「おいしい……! ほっぺが落ちる……!」


 じっくりと焼かれた熊のステーキは脂の乗りも最高で、これまで食べたどのお肉よりも美味だった。


 それこそ、食うか食われるかの戦いを制したのだ。勝者として当然の権利だろう。


 ……倒したのはマイラさんだけど。


「クロエの味付けが見事というのもあるが、これは酒が欲しくなるな」


 右手でグラスを持つ仕草をしながら、ミラベルさんが言う。


 この人は時々、部屋でお酒を飲んでいるらしい。わたしたち三人は未成年だから、まだ飲めないけど。


「それでは、私は一足先に工房に戻りますね。溜まっている書類もありますので」


 お酒っておいしいのかな……なんて考えていると、一足先に食事を終えたクロエさんが立ち上がる。


 ひょうひょうとしているので忘れがちだけど、彼女はわたしたちに比べて任されている仕事が多い。昨日の売上計算がまだ終わっていないのかもしれない。


 ……そんなクロエさんを見送ってから、わたしたちは月の花を探し始める。


 月明かりを受けながら森に分け入ると、すぐに真っ白い花が無数に咲く場所を見つけた。


「幻想的な光景だが、この花がそうなのか?」


「は、はい。手前にある花はそうですが、その隣にある花は別の種類で、毒があるので注意してください」


「……全く違いがわからないんだが」


 ミラベルさんは二つの花を見比べながら、困惑した表情を浮かべる。


 月の花には見た目が似た花があって、その群生地も被っている。それを見極める方法はひとつだけだ。


「月の花は夜にしか咲かないので、それで見分けがつきます。日中はつぼみなので、昼間のうちに印をつけておいたりするんですよ」


「……見たところ、印らしきものはない気がするが」


「あっ、はい……昼間同じ場所を通ったので、つぼみだった花を覚えているんです」


「つまり、瞬間記憶というやつか……? 恐れ入るな」


 説明しながら花を摘み取っていると、ミラベルさんが感心するように言う。


 ……え、無意識にやっていたけど、これってそんなすごいことなの?


「これは私たちの出る幕はなさそうだ。採取はエリンに任せて、我々は野生動物を警戒しておこう」


「りょーかいです!」


 ミラベルさんはマイラさんとそう言葉をかわすと、背中合わせに立って周囲を見回す。


 それを後目に採取を続けていると、とある疑問が頭に浮かんだ。


「あの、少し聞いてもいいですか」


「どうした?」


「お、お二人ってその、全然性格が違うじゃないですか。どうして一緒に行動しているのかなって」


「全然違うか。確かにな」


「あああ、悪い意味じゃないんです。ごめんなさい」


「謝ることじゃないさ。そうだな……話し声がしたほうが動物よけにもなるか。マイラ、少し話してやれ」


「あたしが話すの!? うーん、そうだなぁ……」


 そう促されたマイラさんは木々の間に見える月を一瞬見上げたあと、静かに口を開いた。


「あたしとミラさんの出会いは5年前でねー。故郷の村が流行り病で滅んじゃって、一人だけ生き残ったあたしはミラさんに助けられたの」


「そ、そうですか。故郷の村が……って、へっ?」


 ……今、さらっと口にしていたけど、故郷の村が滅んだですと?


 軽い気持ちで聞いたのに、めちゃくちゃ重い話だった。


「生き残ったって言っても、あたしも死にかけたんだけどねー。ミラさんが作ってくれた薬で一命をとりとめた感じ。その名残かなー。時々熱が出るのはさ」


 軽い口調のまま言う。初めて出会った時に熱が出ていたのは、そういうことだったのか。


「薬を作ったと言っても、その頃の私は放浪の剣士で、薬の知識などなかったからな。床に伏した村の薬師やくしに学んだりして、必死だったよ」


 以前、少しだけ薬についてかじったことがある……とミラベルさんは言っていたけど、それはマイラさんを助けるためだったのだろう。


「結果、私が助けられたのはマイラ一人だけだった。苦しむ人々を救うために剣の腕を磨いてきたが、剣だけでは守りきれないものがあると思い知ったよ」


「それでも、当時のあたしには神様に見えたよー」


 位置的にミラベルさんの表情は見えないけど、どこか寂しげな声色で、マイラさんとは対象的だった。


「思い返せば、その頃からか。薬師工房を作りたいという思いが生まれたのは」


 ミラベルさんはそう言ったあと、自分には薬師の才がなかったとも続けた。


「だからこそ、エリン、お前のような立派な薬師に出会えてよかった。感謝しているぞ」


 そ、そんな。わたしなんて……。


 おなじみの言葉が喉元まで出かかるも、それを飲み込み、代わりに話をしてくれたお礼を言ったのだった。


 ……その後、無事に月の花を採取し終えたわたしは、少しだけ嬉しい気分になりながら帰路についた。


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