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第12話『薬師、開店初日を見守る』


 チラシ配りの翌日。朝からたくさんのお客さんが詰めかけ、エリン工房は大盛況だった。


「すみませーん! 熱冷ましと頭痛薬くださーい!」


「こっちは胃腸薬をー!」


「おーい、婆さまの腰痛の薬も買っとけよ!」


「クロエさーん! 熱冷ましの在庫、どこにあったっけ?」


「奥の棚の右から三番目! 緑の印がしてある袋です! 間違えないでくださいね!」


 数年ぶりにできた新たな薬師やくし工房という物珍しさに加え、最近はハーランド工房が薬代を値上げしたのもあって、店内は大混雑。接客担当のクロエさんとマイラさんはカウンターの中を右往左往していて、本当に大変そうだった。


 かといって、わたしは接客なんて怖すぎてとても無理。調合室とカウンターを隔てるカーテンの隙間から、その様子を見守ることしかできなかった。


「クロエさーん、頭痛薬の一割引っていくらだっけ?」


「頭痛薬は150ピールなので、15ピールの値引きです! 135ピールですよ!」


「お姉さん、割引クーポン二枚あるんだけど、二割引になる?」


「なりません! 割引クーポンは一回の買い物につき一枚だけですー!」


 クロエさんがその青髪を振り乱しながら場を取り仕切る。まさに大車輪の活躍だった。


「……さすが商人志望。クロエは頼りがいがあるな」


 感心しきっていると、斜め上からミラベルさんの声が降ってくる。彼女は手伝う様子もなく、階段に座って店内の様子を眺めていた。


「ミ、ミラベルさんも頼りがいがあるところを見せてあげてはどうですか」


「お? エリンも言うようになったな。まぁ、そのうちな」


 少しだけ身を乗り出しながら言うと、余裕顔でそんな言葉が返ってきた。


 今日見せないでいつ見せるんだろう……なんて考えていると、商品棚に視線を送っていたミラベルさんの表情が険しくなる。


「……エリン、この調子だともうすぐ熱冷ましが枯渇する。追加の薬を調合しておいてもらえるか。それと、胃腸薬もだ」


「わ、わかりました。すぐに作ります」

続いて飛んできた指示を受け、わたしは即座に調合室へ引っ込む。


 その言葉からして、どうやらミラベルさんはお店全体の状況を常に把握しているようだった。


 この人もしっかりと仕事をしているじゃないか……と、先程投げかけた言葉を後悔しつつ、わたしは薬研やげんを手にしたのだった。



 ……まるで嵐のような時間はその後も続き、お昼頃になってようやく人の波が引いた。


「戦争だったー」


「いやー、すごかったですねー」


 接客担当の二人も疲労困憊で、やっと一息つけたよう。開店直後から隅に追いやられていた椅子に座り、大きく息を吐いていた。


「お、お疲れ様です」


 そんな二人に、おずおずと声をかける。すっかり汗だくの彼女たちに対し、わたしは調合室でひたすら薬を作っていただけ。一人だけ楽をしていたようで、妙な後ろめたさがあった。


「エリンさんもおつかれー。薬、たくさん追加してくれてありがとー」


「えっ、い、いえ、調合は慣れているので」


 直後、マイラさんが満面の笑みでそう労ってくれた。返事をすると同時に、何とも言えない安心感が胸の中に広がった。


「お前たち、ご苦労だった。昼からは多少落ち着くだろうから、順次休憩を取ってくれ」


 階段を下りてきながら、ミラベルさんも皆を労う。


 仕事内容はハーランド工房にいた時と何ら変わらないはずなのに、不思議と充実感に溢れていた。


 ……その時、店の扉が勢いよく開いて、一人の男の子が入ってきた。


「こんにちは! 薬師のお姉ちゃん、いますか?」


 次の瞬間、皆の視線がわたしに集中する。え、わたしに何か用ですか?


「あらあら……勝手に入っちゃ駄目でしょう。どうも、すみません」


 わたしが困惑していると、男の子に続いて女性が入ってくる。


「先日、お腹の薬を譲っていただいた者です。その節はお世話になりました」

どこかで見たような気がすると思っていると、女性はそう言って頭を下げる。よくよく見れば、あの時の親子だった。


「あ、ああ……どうも……治って、良かったですね」


 とたんに緊張してしまい、しどろもどろになりながら相槌を打つ。


 本能的にじりじりと後退していると、他の皆がわたしの背後に立ち、カウンター前まで押し出してくる。


 ま、待って待って。まだ心の準備が……。


「お借りした水筒を返しに行こうとしたら、この子が直接お礼を言いたいと聞かなくて」


「もうすっかり元気になったよ! お姉ちゃん、ありがとう!」


 私が冷や汗をかく中、その子はカウンターに飛びつき、一生懸命に背伸びしながら水筒を差し出してくる。


「そ、そうですか。それはなにより……」


 子どもが苦手……というわけではないのだけど、どういう態度で接すればいいのかわからなかった。


 わたしは無邪気な笑顔を見せる男の子とすら視線を合わせられないまま、震える手で水筒を受け取る。空っぽのはずが、少し重い気がした。


「えへへ、実はプレゼントが入ってるんだ!」


 思わず首をかしげていると、男の子は得意顔でそう言う。水筒の蓋を開けてみると、中には色とりどりのあめ玉が詰め込まれていた。


「わ……きれいなあめ玉。これ、もらっちゃっていいんですか……?」


「うん! 薬師のお姉ちゃん、本当にありがとう!」


 どこか照れくさそうに言う男の子にお礼を言いながら、わたしはあめ玉の入った水筒を受け取った。



 ――薬師が一番喜びを感じるのは、お客さんの病気が治って、感謝された時さ。エリンも薬師になればわかるよ。



 ……男の子の笑顔を見ていた時、幼い頃に父が言っていた言葉を思い出した。


 すっかり忘れてしまっていたけど、今ならその意味がわかる気がする。


 だって、今のわたしは、すごく嬉しい気持ちになっていたから。



 ……その親子が帰ったあとも、夕方まで頻繁にお客さんがやってきた。


 薬もそれなりに売れたので、わたしはその都度調合し、薬を補充していたのだけど……。


「あ……どうしよう。この薬材やくざいも足りない」


 何度も調合を繰り返すうちに、必然的に薬材が足りなくなってくる。わたしはカーテンを開けて調合室から顔を出し、ちょうど目の前で棚の整理をしていたマイラさんに声をかけた。


「あっ、あの」


「え? エリンさん、どうかしたの?」


「その、薬材が……足りなくて」


「あー、また買ってくればいい? どれが足りないの?」


「グリーンオリーブ……熱冷ましとかに使う薬材なんですけど、その、街に売ってないんです。森に探しに行かないと」


「そうなんだー。じゃあ、熱冷ましは品切れにしておくね!」


 マイラさんはそう言うと、すぐにその旨をクロエさんにも伝えに行ってくれた。


 ……そんなこんなで時間が過ぎ、閉店時間になる頃には、さらに複数の薬材が足りなくなっていた。


 あれだけたくさんのお客さんが来ると、地下倉庫の薬材も底をついてしまったよう。これは本格的に採取へ行かないと駄目っぽい。夜にでもミラベルさんに相談することにしよう。


 ……というわけで、その日の夕食の席でさっそくミラベルさんに相談してみた。


「薬材が不足している? まぁ、今日だけであれだけ売れたからな」


「そ、そうなんです。明日も今日と同じくらいの来客があるとは思えませんが、薬の補充ができないのはいかがなものかと」


「そうですねー。棚が空っぽなのはお店としても見栄えが悪いですし、ミラベルさん、どうしましょう?」


 ミラベルさんに続いて反応してくれたのはクロエさんだった。お店のことを考えているあたり、商人志望らしい発言だと思った。


「そうだな……売り物がなければどうしようもないし、明日は臨時休業にして、丸一日かけて薬材採取に行くことにしよう。場所は……西の森でいいか?」


「あっ、はい。そこでいいです」


「薬材採取って何するのかわからないけど、西の森ってことはピクニックみたいなものだよね!」


 わたしたちの会話を聞いていたマイラさんが、そこで喜びの声を上げた。


「じゃあ、お弁当も用意しないといけませんね!」


 わたしが面食らっていると、冗談なのか本気なのか、隣のクロエさんも笑いながらそんなことを言う。


「い、いやいや、確かに食料は必要ですが、主な目的は薬材採取なのであって……」


 わたしが慌てて説明するも、マイラさんたちは聞く耳持たず。おやつは100ピールまでとか言い出す始末だった。


「こいつらはわかってやっている。エリン、心配するな」


 おろおろするわたしを見かねたのか、ミラベルさんは苦笑しながらそう教えてくれたのだった。


「そ、そうですか? なら、いいんですけど……」


「まぁ、あの森は凶暴な野生動物も時々出るが、よほど奥に進まなければ大丈夫だろ」


 一人胸をなでおろした矢先のミラベルさんの発言に、わたしは一抹の不安を覚えたのだった。


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