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第8話『一方、ハーランド工房では その①』


「それでは、よろしくお願いいたします」


「はいはい。承りました。今後ともごひいきに」


 ……工房長のグレガノさんが、王宮からの使いにペコペコと頭を下げている。


 普段は絶対に頭なんか下げないくせに、こういう時だけ下手に出るんだから。


「おーい、エルトナにマリエッタ。さっそく王宮からの納品依頼が来たぞ。常備薬の調合だ。お得意様だから、心してかかれ」


 やがて扉が閉まったのを確認すると、彼は気怠げに言い、私たちに書類を差し出してきた。


「えー、また依頼? マリエッタ、お願いしていい? 王宮関係の薬、いつもエリンに任せてたからさー」


 グレガノの娘エルトナは、いかにもな口調で言い、私に書類を回してきた。


「それなら、エルトナには店の薬の補填を頼むとするか。マリエッタ、依頼品の納期は明日の朝までだ。頼んだぞ」


「はーい、かしこまりましたー!」


 私は努めて笑顔で対応し、その書類を受け取る。


 この家族……特にエルトナには、決して逆らってはいけない。


 数日ここで作業して、私は身をもって理解した。この工房、本気でヤバイ。


 特にエルトナは、ハーランド工房の看板薬師……なんてのは名ばかりで、まともに薬を作れない。おそらく、ずっとあのエリンって子に調合を丸投げしていたのだろう。


 そんなことを考えながら、足早に隣の調合室へと向かう。


 ……ところで依頼を受けたのはいいものの、常備薬って何を用意していたのかしら。


 渡された紙には『常備薬5種・10日分』としか書かれてないし、あの様子だとグレガノさんも詳細を知らなそうだ。


「こういうのって記録取っていそうなのに、帳簿の一つもないだなんて……まさかあのエリンって子、取引先の情報から薬のレシピまで、全部自分の頭の中に入ってたっていうの?」


 首をかしげながら戸棚を探してみるも、それらしきものは見つからない。


 この工房に採用された際、勢いで最高ランクの薬師やくし免許を持っていると言っちゃったけど、実際に私が持っているのはランク的にかなり下のもの。正直知識不足だし、薬の調合は苦手だ。


「……駄目だわ。とりあえず熱冷ましと、腰痛の薬、それから……頭痛薬くらい調合しておこうかしら」


 考えても納期は待ってくれないので、常備薬と言われて思いつくものを調合しておくことにする。


「腰痛の薬は……確かジャールの根を使うんだっけ……? いやこれは胃腸薬だったかしら? えーっと、図鑑見ないと……」


 色々と頭を働かせつつ、鞄から自前の薬材図鑑を引っ張り出していると、扉の向こうからグレガノさんとステラさんの話し声が聞こえてきた。


「お前さん、風のうわさで聞いたんだけど、エリンの奴が別の工房に入ったそうじゃないか」


「俺も話は聞いてるよ。あんな奴を拾うなんて、物好きな工房があったもんだ」


「……ママ、その工房って薬師工房なの?」


 その時、二人の会話にエルトナが混ざる。あんたは早く仕事に取り掛かりなさいよ……と思いながらも、私は耳をそばだてる。


「どうもそうらしいよ。何を思ったか、この街に新しい薬師工房を作るつもりらしいのさ」


「ふーん……パパ、また潰しちゃうの?」


「……当然だろ。そのうち手を回す」


 少し間があって聞こえてきたグレガノさんの声からは、明らかな企みが感じ取れた。


 ……それを聞いて、私は胸をなでおろす。


 薬師免許を取ってすぐ、とある工房にスカウトされたんだけど、新規工房と聞いて加入を見送ったのだ。エリンが入ったというのは、おそらくその工房だろう。


 この街で薬師工房なんて作ろうものなら、すぐに潰されるのは目に見えてるし。取りやめて正解だった。


 待遇は最悪だけど、ここなら当面クビになることもないだろうし。寄らば大樹の陰ってね。


「……っていけない。考えるより先に手を動かさないと」


 扉の向こうではまだ話が続いているようだったけど、気にしている場合じゃない。


 私は立ち上がると、薬材倉庫へと向かったのだった。



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