……それからミラベルさんについて食堂を後にし、階段下の調合室へとやってきた。
「ここが今日からお前の仕事場となるわけだが、
決して広くはない室内を見渡しながら言う。一応掃除はしたものの、道具のたぐいは棚の中に乱雑に置かれたままだ。これは整理する必要があるかもしれない。
「それと、もし調合作業に集中したければこれを使え」
そう言ってミラベルさんが差し出したのは、古いカーテンだった。
「これは?」
「これを使えば、目隠しになるだろう」
窓のないこの部屋にカーテンなど不要では……なんて考えていると、彼女は頭上を指差す。そこにはカーテンレールがあった。
つまり、ここにカーテンを設置することで廊下との仕切りを作り、プライベートな空間を確保できると。
「ここは台所やカウンターも近いし、雑音が気になることもあるだろう。なんなら、設置も手伝ってやるぞ?」
「あっ、椅子を踏み台にすればなんとかなると思うので、自分でします。ありがとうございます」
ミラベルさんなりにわたしを気遣ってくれたのだと理解し、お礼を言う。
その反応に満足したのか、ミラベルさんは頷くと、食堂へと戻っていった。
一人残されたわたしは、さっそく道具の配置に取り掛かる。
「
薬を作るための道具は一通りミラベルさんが揃えてくれていたし、新たに購入すべきものはない。新品の薬研もあったけど、これは予備にしておこう。
あらかた配置を終えてから、今度はカーテンの取り付けを始める。小さな椅子を借りてきて、その上に立って作業をする。
わたしは背が低いけど、なんとか設置することができた。
「これでよし。あとは……」
立派なカーテンを前に、腰に手を当てて満足感に浸ったあと、床に設置された扉に目をやる。
ここの地下には薬材倉庫があるのだけど、ここの整理もしないといけない。
わたしはその扉を開けて階段を下り、倉庫内の薬材をチェックする。
薬材は保存が利くものが多いのだけど、ここにあるものは放置されすぎて使えないものが多かった。使えるのは一部の瓶詰めされたものくらいだ。
大きな箱も見えるし、これは一人では運び出せない。今度、皆に手伝ってもらう必要がありそう。
そう結論づけて、薬材倉庫の整理は一旦棚上げにして地上へと戻る。床の扉を閉めて一息つくと、とたんに静粛が訪れた。
「ミラベルさんの言う通り、カーテンは正解だったかも」
カーテンの生地が厚いのか、耳を澄ませても外の音はほとんど聞こえない。いい感じの暗さもあって、なんか落ち着く。
ほのかに薬材の香りがするし、周囲には大好きな調合道具たち。ここはまさにわたしの城だ。
「ふふっ……ふふふ……」
あまりの嬉しさに、つい踊りだしてしまう。労働環境を整えるって、大事だよね!
「すまないエリン。クロエが質問したいことがあるそうなんだ……が……」
……その時、カーテンが勢いよく開けられ、眩しい光とともにミラベルさんの声が飛んできた。
その背後にはクロエさんの姿もあって、一様に驚きの表情で固まっている。
……見られた。踊ってるの見られた。
次の瞬間、わたしは無言で床の扉を開け、地下の薬材倉庫へとその身を滑り込ませる。
「待て待て! 何も言わずに倉庫に閉じこもるな!」
「そうですよ! 素敵なダンスだったじゃないですか!」
扉を閉めようとした直前、頭上からそんな声が聞こえ、無理やり地上へと引っ張り戻された。
「うう……やっぱり見られてたんだ……」
「ど、どうしたんですか? 私たち、何も見てないですよ」
「そ、そうだぞ。何も見ていないぞ」
床にスライムのように力なく横たわっていると、二人がそんな優しい声をかけてくれた。
その気持ちをありがたいと思いつつ、あとで入口に『入る前にひと声かけてください』の看板を設置しておこう……なんて、考えたのだった。
「……た、大変お見苦しい姿をお見せしました。それで、質問とは何でしょう」
それからしばらくして、わたしの精神ダメージはようやく回復。できるだけ取り繕ったあと、クロエさんたちに向き直る。
「開業にあたって薬の注文表を作ろうと思っているんですが、エリンさんはどんな薬なら作れます?」
「えっと、薬材があれば、基本どんなものでも。よく使われるものなら熱冷まし、腰痛の薬、頭痛薬、耳鳴りの薬に下痢止め……」
指折り数えながら伝えると、クロエさんはそれをメモにしたためていく。
「そのお薬の相場、わかります?」
「ハ、ハーランド工房の値段でしたら」
「それで十分ですよ。あの人たちのことですし、他の薬も絶対値上げしてそうですが」
それは間違いない……と考えながら、記憶にある販売価格を教えていく。
効能が同じなら安いほうが手を出しやすいだろうし、なるべく価格を抑えるのはいいと思う。
「ありがとうございます! 次に必要薬材なんですが、新たにどんなものが必要ですか?」
「あっ、はい。倉庫にある瓶詰め薬材はまだ使えるので、他に必要なのはスイートリーフにオルニカの根、音止め草にネバイモ……」
「ネバイモって、あのどろどろになるイモですか? スープに使いますよね?」
「そ、そうです。あれも薬材になるんです。あとは……」
驚いた表情を見せるクロエさんにそう説明しつつ、わたしは必要薬材を列挙したのだった。
……その日の夜、マイラさんの希望通り、快気祝いとわたしの歓迎会が催される。
食堂のテーブルに並ぶクロエさんお手製の料理は見るからにおいしそうだった。
おいしそうだった、けど……。
「それでは食事の前に、エリンに簡単な挨拶をしてもらおう」
その料理にありつく前に、最大の敵が立ちはだかっていた。
「あ、挨拶……」
「どうしたエリン、顔が真っ青だぞ」
「いえ……生まれてこのかた、挨拶なんてしたことがないもので……」
湯気を上げる料理が並べられたテーブルに視線を落としながら、わたしはそう呟く。
「そう難しく考えるな。簡単な自己紹介で構わないぞ」
向かいに座るミラベルさんは手を広げながら苦笑する。その隣のマイラさんも、わたしの隣にいるクロエさんも、同じように笑顔を浮かべていた。
そう言われましても、怖いものは怖い。
「仕方ないな……クロエ、手本を見せてみろ」
「はい!?」
その矢先、ミラベルさんに指名されたクロエさんが素っ頓狂な声を上げた。
「一人だから緊張するんだ。クロエも一緒ならエリンも緊張しなくて済むし、参考にもなるだろう?」
「挨拶ですかー……うーん……」
ミラベルさんが続けてそう言うと、クロエさんは考える仕草をしながら立ち上がる。
「クロエ・リーベルグ、16歳です! 商人見習いをしています! 趣味は編み物と、詩を作ることです!」
そしてキラッキラの笑顔で言う。あまりの眩しさに、わたしは両手で視界を覆う。
……というか、クロエさんってわたしと同い年だったんだ。てっきり年上だと思っていた。
「さすがは商人志望。外面を取り繕うのは上手いな」
「むー、取り繕ってなんていないですよ。エリンさんに誤解されたらどうするんですか」
ミラベルさんの言葉を受けて、クロエさんは一転眉をしかめながら着席した。
それを見て、わたしはおずおずと立ち上がる。
「……エリン・ハーランドです。と、年は16歳で、
そして必死に言葉を紡ぐも、視線は定まっていないし、話の内容はクロエさんの二番煎じだ。しかも、後ろになるほど声も小さくなっていくのが自分でもわかった。
それでも皆は笑うことなく聞いてくれ、最後は拍手をしてくれた。
「エリンさん、あたしより年上だったんだー! 今から呼び捨てにしてくれていいからね!」
席に座ると同時に、マイラさんが言う。聞けば、彼女は15歳なのだという。
さすがに呼び捨ては無理なので、変わらずさん付けで呼ばせてもらうことにした。
「私とは同い年ですね! 改めて、よろしくお願いします!」
クロエさんは笑顔を崩さずに言う。同い年なのに、すごくしっかりしている気がする。
「では挨拶も済んだし、マイラの快気祝いとエリンの歓迎会を始めるとしよう。エリン、これからよろしく頼むぞ」
「あっ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします……あいたっ」
反射的に頭を深く下げすぎて、額をテーブルに打ちつけてしまった。
わたしが額を押さえるのを見て、皆が笑う。
……剣士のミラベルさん、用心棒のマイラさん、そして商人見習いのクロエさん。
なんだかすごい組み合わせだけど、皆、悪い人じゃなさそう。
ここなら、うまくやっていける気がする。
わたしの、新しい工房での日々が、始まった。