国一番の薬師を父に持つわたし――エリン・ハーランドも、幼い頃から薬師になるべく勉強に明け暮れ、10歳の誕生日を迎える頃には最高ランクの薬師免許を習得。神童ともてはやされた。
……そこまでは、良かったのだけど。
その翌年、両親が流り病で亡くなり、父のハーランド工房は叔父のグレガノさんに引き継が……もとい、乗っ取られた。
身寄りがないわたしも叔父に引き取られるも、その後の生活は悲惨そのもの。わたしは奴隷同然に働かされた。
調合室に閉じ込められ、ひたすら薬を作り続ける日々。部屋から出ることもできず、わずかな水と食料が支給されるだけ。薬の材料である植物を多めに頼み、それを食べて飢えをしのいだこともあった。
……そんな生活を6年間も続けた結果、わたしは人と話すことが極端に苦手となっていた。
俗に言う、人見知り。下手をすると、人間不信のレベル。それくらい、人と話せなくなっていた。
……そんなある日、グレガノさんから工房長室に来るように言われた。
あの人がわたしを部屋に呼ぶなんて、いつ以来だろう。
もしかして、ようやく待遇改善してくれるとか? せめて、週に一度はお風呂に入
らせてくれたりしないかな。清潔にしておかないと、薬の調合にも支障が出るし。
そう考えながら扉をノックし、部屋へと足を踏み入れる。そこにはグレガノさんをはじめ、その妻のステラさん、そして娘のエルトナと、叔父家族全員が揃っていた。
「……エリン、てめぇは今日でクビだ。今すぐこの工房から出て行け」
かつて父が使っていた机に腰を下ろしながら、赤髪の男性――グレガノさんは開口一番に言った。
その言葉の意味がすぐには理解できず、わたしは頭の中が真っ白になる。
……出て行けって、そんないきなり? なんで? どうして?
これまで散々貢献してきたはずのわたしが、どうして突然工房を追い出されるの?
そんな考えが頭の中を駆け巡る。駆け巡るだけで、うまく言葉にはできない。
「あっ、その、どうして……」
しどろもどろになりながら、視線を泳がせる。すると、奥から一人の女性が出てきた。知らない人だった。
「紹介するぜ。こいつはマリエッタ。うちの新しい薬師で、今日からお前に代わってエルトナの補佐を担当してもらう」
名前を呼ばれ、女性は一礼する。腰ほどまである金髪を三つ編みに結っていて、緑の瞳が綺麗な人だった。いつも目の下にクマを作っているわたしと違って、きちんとお化粧もしている。
……つまり、代わりの薬師を雇ったから、わたしは用済みだと? そんな身勝手な。
「マリエッタは最高ランクの薬師免許を持つだけじゃなく、性格も明るくて愛想もいい。接客もできないお前とは大違いだ」
グレガノさんはそう言って、明らかに見下したような視線でわたしを見てくる。
「え、えっと、その」
いやいや、接客以前に、お店にすら立たせなかったのは誰なのか……!
そもそも、誰のせいでこんな性格になったと思っているのか……!
心の中で叫ぶも、それを実際に口にすることができなかった。
わたしはあわあわと口を動かしながら、視線を迷わせる。誰か助け舟を出してはくれないだろうか。
やがてその視線が、ステラさんを捉える。
……いや、この人は駄目だ。彼女はわたしを引き取って以来、いないものとして扱い、ずっと無視し続けている。ただただ父の遺産を食いつぶしてきた人だ。
今もああやって、我関せずと言った様子で大きな宝石のついた指輪を磨いているし、助けてくれるはずがない。
続いて、エルトナに視線を向ける。
この子はわたしと同い年なのだけど、すごく高飛車な性格で……わたしに薬を調合させてはそれを奪い、まるで自分が作ったかのように吹聴して回っている。
嘘も百回言えばなんとやらで、彼女は今や、将来有望なハーランド工房の看板薬師……なんて呼ばれている。
「……なによ? 言いたいことがあるなら、目を見てはっきり言いなさい」
「ひいっ、すみません……」
そんなことを考えていた矢先、エルトナに凄まれて反射的に謝ってしまう。
「パパがそう決めたんだから、諦めなさい。往生際が悪いわよ」
「で、でも、これまで薬……たくさん作りました……」
「そんなの関係ないの。わかんない? あなたはもう用済みなのよ。人見知りのエリンちゃん」
「あ、あう……」
女の子だけど、人を見下したような視線は父親譲りだった。
わたしはつい顔を伏せる。人見知りなのは事実なのだから、反論できない。
この人たちにとって、わたしはあくまでエルトナの補佐でしかないのだ。
「……あ、もしかしてお金が欲しいの? パパ、エリンにこれまでの給料、払ってあげてよ」
「給料だ? まぁ、エルトナが言うなら少しくらい払ってやるか。なんて心の優しい娘だ」
グレガノさんはそう言うと、ボサボサの髪を掻きながらポケットを漁る。
そして一枚の銅貨を投げてよこした。その銅貨は床を転がり、わたしの足に当たって止まる。
拾い上げてみると、それは100ピール銅貨だった。
100ピールというと、この街では一回の食事代にもならない。
……10年分の報酬が、これ? あまりにふざけている。
「あと、これも餞別にあげるわ。こんな古いの、置いていかれても迷惑だし」
エルトナはそう言うと、あろうことかわたしが愛用していた
……薬研は
それを投げるなんて。しかもこれ、お父さんの形見なのに。
「給料も受け取ったし、さあ出て行け」
「元気でねー」
全く悪びれる様子もないグレガノさんとエルトナに強い怒りを覚えつつも、今のわたしにはどうすることもできない。
わたしは形見の薬研と銅貨を握りしめると、そのままハーランド工房を飛び出したのだった。
……工房を追い出され、わたしは城下町をさまよっていた。
このミランダ王国は小さな国ながら、王都はそれなりに人口が多い。
道行く人も多く、どうしてもその視線が気になる。どうしよう。怖い。
まして、今のわたしは長い監禁生活ののちに追い出され、薄汚れた割烹着姿。できるだけ目立たぬように、道の端を歩いていく。
「こ、これからどうしよう……」
自分の体を抱くようにしながら、そう呟く。
わたしは薬を作ることしか能がない。けれど、この街に存在する薬師工房はハーランド工房だけ。そこを追い出されたとなると、薬師として働くためには別の街に行く必要がある。
そんな中で、わたしの所持金は銅貨1枚のみ。これでは旅なんてできない。
……これは旅費を稼ぐため、どこかでアルバイトをしないと。
そんな結論に至った時、近くの食堂が目に留まる。
その入口にはでかでかと『アルバイト募集中!』の看板が掲げられていた。
いきなりお店に入るのは怖いので、通りに面した窓から店の中を覗いてみる。
そこにはお客さんの姿はなく、一人の少女がいた。青色の髪を左右に揺らしながらカフェエプロン姿で掃除をしている。
ほうきを手に鼻歌でも歌っているのか、幸せオーラ全開といった感じだった。
「くはっ、眩しいっ……!」
わたしはその子を直視できず、反射的に視線をそらす。
「わたしが、あの子と同じようにこのお店でアルバイト……?」
そう口にしてみるも、まったく現実味がない。
そこでわたしは想像力を働かせて、お店の中で笑顔を振りまきながら働く自分の姿を想像してみる。
「いらっしゃいませー!」
「いよー、エリンちゃん、今日も可愛いねー」
「もー、おだてても何も出ませんよー!」
「わかってるってー。今日もいつもの頼むぜー」
「はーい、ありがとうございまーす!」
……いやいやいや。そんな対応絶対できない。
現実に戻ってきて、一人頭を抱える。
わたしは人と目を合わせられないし、すぐに緊張でパニックになるし、声は小さいし……。
やっぱり接客業なんて無理だ。想像しただけで魂がどっか行きそうになる。
……うん。別なお仕事にしよう。ここは大きな街だし、人と関わらずに黙々とできる仕事があるはず……。
「あのー」
「ひっ!?」
そう考えた時、先程まで店の中にいた少女が目の前に立っていた。わたしは思わず悲鳴をあげ、数歩後ずさる。
「さっきからお店の中を覗いていらしたので……もしかして、お食事ですか?」
「あっ、いえその、えっと……そ、そうです」
わたわたと手を動かしながら、そう口にする。突然話しかけられて、完全に動揺していた。
「そうだったんですね。ランチタイムですがお席は空いていますよ! こちらへどうぞ!」
彼女はそう言いながら、わたしを店内へと誘う。
――いえいえ、食事じゃないんです! ここで働かせてもらおうと思って覗いていただけなんです!
……そう言いたいのに、例によってうまく言葉が出ず。気がつけば窓際の席へと案内されていた。
「本日のオススメは日替わりランチです! 大盛りの鹿肉シチューに今ならサラダとパンがついて100ピールですよ!」
「あっ、えっと、じゃ、じゃあそれで……」
「かしこまりましたー。店長、注文入りましたよー!」
流されるがまま、そう注文してしまう。
見た感じ、わたしと年が近そうな店員さんはキラキラの笑顔で一礼し、去っていった。
……おかしい。アルバイト志願のはずだったのに、普通に食事してどうするの!
心の中で叫び、真っ白いクロスが敷かれたテーブルに頭を打ちつける。
……うん。この食事を終えたら、アルバイトを志願しよう。食事代はギリギリ足りるけど、このままだと一文無しになってしまうし。負けるなエリン。頑張れエリン。
料理が運ばれてくるまでの間、わたしはテーブルに突っ伏し、小声で自らを励まし続けたのだった。