『―――』
『―――』
口を開け、涎を垂れ流しながら天井を見上げるように浮いたままの男2人は、一言も喋ることなく一瞬で静かになった。
男2人が争っている様子を楽しんで見ていた野次馬たちも、ターニャの声が聞こえてから顔色が悪くなり、その場から離れて行ってしまった。
「ターニャ…なにをしたんだ?」
ターニャの声が脳にダイレクトに伝わってきた直後に身体におきた異変は、いつのまにかなくなっていた。
若干身体に残るだるさのような感じに不思議に思いつつ、ターニャに声をかける。
「うるさいから黙らせただけよ」
「……」
冷たく言い放つターニャの表情はかなり険しい。
本人に聞かずとも男2人に対してイラついているのはすぐにわかり、俺は小さくため息をついた。
(…この世界の精霊や妖精は、起伏が激しい奴が多くて本当に面倒くさい…)
「ターニャ様…っ!せっかくお越しいただいたのに、お迎えに行けず申し訳ありませんでした!!」
男2人を止めていた刑務官のような恰好をした猫の妖精が、慌てた様にターニャの元に駆け寄ってくる。
男の口調から、ターニャがさっき言っていた“監視役の刑務官”とはこの妖精のことだったようだ。
「この学校で生徒同士が争わないように、監視を怠るなと言っていたはずよ……
一体なにがあったか、説明をしなさい」
ギロリと刑務官を睨みつけたターニャの恐ろしさに、「ひっ」と声を上げた刑務官は顔を真っ青にしながら事の経緯を話し始めた。
「実は…先程争っていた男2人は、更生学校に入学して90年目の生徒なんですが、片方の生徒が、イチゴが腐っていると私に報告をしてきたことが全ての始まりでして…」
「………は?」
まさかイチゴという単語が出てくるとは思わず、拍子抜けしたと同時に呆れた声が出てしまった。
「あぁ。生徒が大事に育てているあの畑にあったやつね」
ターニャは特に驚きもせずに普通に返事を返しているが、俺からすればイチゴという単語が出て来た時点で、何故そこを突っ込まないのかが分からなかった。
争いの発端になった出来事が、至極どうでもいい内容のような気がしてならないのは、俺だけだろうか。
『腐っているイチゴを確認するため、私は報告してきた生徒と畑に見に行ったんですが…その生徒がイチゴに触れている最中に、そのイチゴを育てている生徒がその光景を見ていたようで、報告をしてきた生徒がイチゴを枯らしたと口論からの喧嘩に発展してしまい……あのような事態に…』
「なるほど…そういうことね」
「……」
(やっぱりどうでもいい内容だったじゃねぇか…)
予測できた内容に、俺は心の中でツッコミを入れる。
「…少し聞きたいんだが、なんでイチゴを育てているんだ?イチゴの他にもいろんなものが育てられているようだが…」
そもそもの話どうしてイチゴを育てているのか気になった俺は、刑務官の妖精に訊ねた。
畑を見ると、100メートル前後はある畑は1つずつ区切られていて、イチゴの他にも見たことのないたくさんの果物や野菜が栽培してあるようだった。
それぞれの栽培エリアには、育てられている果物や野菜の名前、育てている人らしき名前が書かれた映像が映し出されている。
『このキャット更生学校では、100年間なんの争いも起こさず卒業条件を満たすことができれば、学校を卒業することができるんです。その卒業する条件の1つとして、“自家栽培”という項目がありまして…生徒は好きな果物や野菜を育てなければいけないんです』
「自家栽培……」
どうして自家栽培が卒業条件の1つなのか謎だ。
なんとも言えない表情を浮かべてしまった俺に気付いた刑務官が、続けて話し始める。
『自家栽培をする理由としては、植物相手にも優しい心を持ち、成長するまで大切に育てるという…優しい心と継続力を求めるという意味があるんです。最初は実のないただの種の状態から全て自分1人で育てていくことで、次第に愛着が湧いてきます。種が成長していき花を咲かせ、実が成りその食材に感謝の心を持っていただく…これは、今後外の世界に出て生活を送っていくにあたりとても大事なことなんですよ』
「…そういうことか」
刑務官の話を聞いて、あの大柄の男がどうしてイチゴを育てていたのか、ようやく理由が分かった。
そして俺はそこでハッとする。
「ん?お前は今、100年間なんの争いも起こさず…って言っていたな。あの男は今90年目なんだろう?ということは……」
言いかけて、刑務官の男が困ったように小さく頷いた。
「あと10年で卒業することができたのに……本当に馬鹿な子達だわ」
呆れたようにターニャがため息をついた。
「争いを起こした奴はどうなるんだ?」
「1度でも争いを起こせば、振り出しに戻るわ。最初からやり直しね…また100年間この更生学校で過ごすことになるの」
「!」
「100年間の期間を設定したのは、長期間生活をしていく中で、なにがあってもすぐに感情的になって誰かを殺したり怪我をさせたりすると言った行為に走らず、理性を自分でコントロールし、人並みの生活を送れるようにするためなのよ」
『ターニャ様の仰るとおりです…。感情を抑えきれずに争いを起こしてしまえば、外に出ても同じことを繰り返しやりかねませんので…』
付け足すように刑務官の男が続けた。
「とりあえずこの子達は邪魔ね…いったん魔法を解いて拘束するから、お仕置き部屋に1か月間入れておいて」
『かしこまりました…』
未だ浮いた状態の男2人を見たターニャが、冷たく言い放ち魔法を解く。
魔法が解かれた途端、宙に浮いていた男2人は地面に落下し、同時に意識が元戻った。
『あ~~!もう最悪だ…ッ!イチゴは腐るし、今までの努力が水の泡だ…』
『クソッ…90年間感情を抑えられていたのに…ッまた振り出しに…!テメェのせいだぞ!!』
『んだとォ!?』
目が覚めた途端再び口論に発展しそうになった男2人に、ターニャがブチギレしたのは言うまでもない。
***
お仕置き部屋とやらに男2人を放り込んできた刑務官が戻ってきて、俺達が更生学校の応接間に通されたのは、1時間後の事だった。
茶色い革製のソファーに座り、向かい合うようにして初老の男が座ると、初老の男の背後に立った状態の刑務官と共に頭を下げる。
『大変お待たせいたしました。…ターニャ様、この度は新人刑務官の監視が未熟だった故、せっかくお越しいただいたのにもかかわらず、早々にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした』
『申し訳ございませんでした…』
「本当よ…早朝から時間をかけて来たんだから、ちゃんと準備をしてくれないと困るわ」
『はい…申し訳ありません…』
始終泣きそうな表情で立っている刑務官と、申し訳なさそうな表情で何度も頭を下げる初老の男。
見た所、初老の男は刑務官の上司といったところだろう。
「予め話していたと思うけど、今日私がここに来たのは、“黒を持つ者”である黒猫のフラッフィーを、大人の精霊や妖精に慣れさせるためなの。予定よりもだいぶ時間がおしてしまったから、早く進めたいわ」
『承知いたしました。…あなたがフラッフィーの保護者、柊征十郎殿と…腕の中の子がフラッフィーでしょうか?』
ターニャから視線を逸らした初老の男が俺と、恐る恐る腕の中から顔を出していたフラッフィーに声をかけてくる。
「そうだ。お前は?」
『申し遅れました。私、キャット更生学校の理事長を務めております。ドリルドと申します。この者はキャット更生学校に入社して10年目の私の部下…サードです』
『サードと申します。よろしくお願いします』
軽く頭を下げてきたドリルドは、背後に立っていた刑務官をちらりと見ながら紹介し、続けてサードが深々と頭を下げてくる。
白髪の髪に白い猫耳と白い尻尾が生えているドリルドは、優しくも凛々しい顔つきをした猫の妖精だった。
全体的に優しい雰囲気を醸し出しているが、目つきの鋭さと雰囲気から怒らせたら怖そうな雰囲気が出ている。
ドリルドの背後のサードが、未だに真っ青な顔つきなのは、もしかするとドリルドに怒られるのを恐れているからなのかもしれない。
「ドリルド。今日はフラッフィーがどんな風に過ごすかあなたが考えて提案するという話だったわよね?早速だけど1日の流れを教えてもらえるかしら?」
ドリルドは、『承知いたしました』と答えると、応接間の壁に自分の尻尾を伸ばす。
数メートルほど伸びた尻尾は、壁沿いでぐにゃぐにゃと触手のように動き出し変形すると、広がった尻尾がモニターの形になり、映像が映し出された。