ターニャの土地に入って、その広さに思わず息をのんでしまった。
「…すごいな…」
まるで絵本の中の世界に迷い込んだようだ。
綺麗に整備された地面には、一面に芝生が敷かれていて、中央奥には木造の大きめのペンションのような建物が1つ。
ターニャ曰く、あのペンションがターニャの家らしい。
そして、ペンションと繋がるように併設されているのが、ミシェル達四大精霊が来た時に泊まる別荘…要は特別な来客専用の建物だ。
ペンションのすぐ傍には大きな池がある庭園と、温室がある。
ペンションから少し離れた端の方にはレンガ造りの大きな倉庫があり、これらの建物から離れた土地の出入り口付近にある木造の建物が、俺とフラッフィーが滞在する予定の「離れ」と呼ばれる建物とのことだ。
街の中同様、周りには見たことのない猫型の花や植物、木がたくさんあるし、遊ぶために設置しているのか、至る所に木や植物で出来たキャットタワーのようなものがある。
(猫の妖精だけが使うのかと思っていたが…ターニャもこういうので遊ぶ時があるのか…)
空中のあちらこちらに張り巡らされているキャットタワーを見上げながら、そんな事を思っていた。
ケット・シーとはいえ、元々は猫だ。普通の猫の妖精と気質はあまり変わらないのかもしれない。
先を歩くターニャの後ろに続きながら歩いていると、入口付近にある離れの前でターニャが立ち止まる。
「ここが離れよ」
大きさで言えば、ソラリア庭園都市にある自宅と同じくらいの大きさだ。
1階建ての平屋で、オシャレな造りだな…というのが第一印象である。
入口らしき扉には、地面から伸びている木の枝が、扉や取っ手に絡みついていた。
「これは…中に入る時はどうやって入ればいいんだ?」
「この離れはほとんど使っていないから、使う時以外は鍵を閉めているの。この木の枝は鍵の代わり。離れを使っている間は、征十郎が家から出ると自動的にこの木の枝が絡みついて、近づくと解けるように設定しているわ」
そう言うと、ターニャが扉に近づいて手を差し伸べる。
すると、シュルシュルという音を立て、扉に絡みついていた木の枝が
「中々に便利だな。これなら鍵の心配をしなくてもいい」
少し前の俺であれば驚いていた光景だが、いろんなことを体験しすぎたせいか、些細なことでは驚かなくなってきている自分に対しての驚きの方が大きい。
中に入ってみると、ほとんど使っていないと言っていた割に家の中は綺麗にされているようだ。
頻繁に掃除をしているのか、ホコリを被っているものもなければ、綺麗に整理整頓されてある。
「猫の杜での生活は初めてだし、今回だけ冷蔵庫の中に1週間分の食材と飲み物が入っているから使って。もし足りなくなるようだったら市場で買ってきてちょうだい」
「俺は、水と米さえあれば俺は特に問題ない」
「征十郎…お前、またそんな生活を続けているのか?」
呆れたように聞いてくるミシェルに、ちゃんとした食事を摂るようにと以前ミシェルに言われた事を今更ながら思い出してしまった。
「…………時々だが、ちゃんと野菜も食べている」
とりあえずその場しのぎの返事をするが、ミシェルは無言のまま俺をじっと見てくる。
「嘘をついても、私にはすぐばれるぞ?」
「なっ……どうしてバレたんだ?」
「――やっぱりな」
「は…?」
「少しカマをかけてみた。本当に水と米以外を摂っているなら、お前は即答するはずだからな」
「……」
不敵な笑みを浮かべるミシェルに、言い返す言葉が見つからずに黙り込む。
「ねぇアンタたち…。悪いんだけど、人の家でイチャつくのはやめてくれない?」
俺とミシェルのやり取りを見ていたターニャが、ソファーに座ったまま呆れたように言ってきた。
ターニャの言葉にいち早く反応したのは、顔を赤くさせたミシェルだ。
「バッ…!馬鹿を言うな!今のどういうところがイチゃついているというんだ!私と征十郎はそういう関係ではないと言っただろう!なぜ、みんなしてそういうことを言うんだ!」
「あーー…ハイハイ。わかったわかった。そう言う事にしておいてあげるから。とりあえずミシェルは今日どうするの?泊まって行くわけ?征十郎のことが心配なら、いつもの別荘じゃなく、征十郎と一緒に離れで泊まってもいいわよ?」
「ハァ!?どうしてそうなる!」
「……」
(みんなにこの話題を出してくるが…一体なんなんだ?何を言いたいのかさっぱり分からん)
俺はミシェルとターニャの会話を聞きながら、同じようなやり取りをしていたアリアやエヴィ―の事を思い出した。
そしてふと、フラッフィーの姿がないことに気づく。
さっきまでミシェルの腕の中にいたはずだが、ミシェルの腕はいつの間にか自由になっている。
ミシェルに聞くよりも先に俺はフラッフィーを探し始めていた。
「フラッフィー。どこにいるんだ?」
周囲を見渡しながら、家のどこかにいるはずのフラッフィーを懸命に探す。
「フラッフィー。どこだ?」
部屋の扉を開け、締め切っていたカーテンを開け、椅子の下を確認し、棚の上を確認し…といろんな場所を探してみるが、フラッフィーの姿はどこにもない。
「一人で外に出るのは怖がるから、勝手に外に出ることはないはず…そうなると家のどこかにいると思うんだが…」
家中を探し終え、最後に寝室を確認しようと扉を開けて、俺は安堵の表情を浮かべた。
「こんな所にいたのか」
視線の先、ベッドの枕元に置いてある真っ白い巨大な猫のぬいぐるみに寄り添うように身体を丸めて寝ているフラッフィーの姿があった。
まるで母親に寄り添うように寝ているフラッフィーの表情は、とても穏やかで安心しきっているようにも見える。
これまでフラッフィーと生活を送ってきた中で、1度も見たことがない顔だった。
フラッフィーを起こさないようにそっと近づき、優しく頭を撫でる。
手のひらに伝わる柔らかい感触と、暖かい体温に自然と表情が緩んだ。
いつもなら、頭を撫でるとすぐに目を覚ますはずのフラッフィーの瞳は、未だ閉じたまま。
「フラッフィー…。フラッフィーの母親は、このぬいぐるみのように真っ白い猫だったのか?」
返事が返ってこないと分かっていながらも、小さな寝息を立てるフラッフィーに訊ねる。
聞き分けもよく、わがままも言わず、しっかり者だと思っていたフラッフィーの、子猫らしい一面を見る事が出来た瞬間だった。
「まだ小さい子猫なのに、たった一人の家族と離れ離れになってしまったんだ…そりゃあ寂しいに決まっているよな…」
平気を装っているように見えたが、本当は大好きな母親に甘えたいだろうし、寂しいのだろう。
フラッフィーは俺に甘えて来てくれるが、本当に甘えたいのは俺ではなく母親だ。俺はフラッフィーの母親代わりに過ぎない。
「明日から1週間。猫の杜での生活が始まる…。知らない場所に連れて来られて、初めて体験するものばかりで疲れただろうから、今日はゆっくり休むといい」
ベッドに畳まれて置いてあった毛布を広げ、フラッフィーにそっとかけると、電気を消した。
「おやすみ、フラッフィー」
暗くなった室内でうずくまるフラッフィーに向けて声をかけると、俺は静かに寝室を出て行った。