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39話:モウリ―とメエド-Ⅱ


「征十郎くん。今日は色々と心配をかけてごめんね」


シャルメーンロードを歩いてしばらくした頃、分かれ道の手前で振り返ったモウリ―が切り出した。


「俺に謝らなくてもいい」


「でも…」


「モウリ―、今日はゆっくり休め。メエドの事もあるし、昨日から寝ていないんだろう?まずはゆっくり休んで、気持ちを少しでも落ち着かせるのが最優先だ」


「…征十郎くん…。ありがとう。こんなことがあったからね…しばらく店は休業しようかと思う。お客さんは誰も来ないし、何よりもこんな顔でお客さんをおもてなしなんて出来ないからね」


苦笑しながらモウリ―が答える。

メエドの事があったからか、精神的にかなりやられている様子のモウリ―にいつもの元気はなかった。

元気で愛想のいいモウリ―しか知らない俺にとっては、見ているだけで心苦しくなってしまう。


「また店を再開する時は、いつでも来てくれよ。征十郎くん」


「あぁ、もちろんだ。しばらくの間は持っている牛乳で何とかなりそうだから、なくなったらまた貰いに行く」


「わかった。じゃあまたね」


笑顔を取りつくろったモウリ―が歩き出した時、一帯の空気がガラリと変わり始めたことに気づいた。



「っ…なんだ…この感じ…ッ」


全身の悪寒が止まらない。

澄んでいるはずのヨルノクニの空気が一気に負のオーラに包まれたような…そんな感覚だった。



『ふふふ…あなたが噂のニンゲンね♡』



「ッ!!」


耳元で囁かれた色っぽい女の声。

全身に鳥肌が立つのと同時に、まるで金縛りにあったように身体が動かなくなった。


(なんだ…身体が動かせない…ッ)


『ゲオルグから話は聞いているわ…一度会ってみたいと思っていたけど、まさか今日会うことができるなんて…。会えて嬉しいわ…ふふっ』


甘ったるくて妖艶な声が、脳内で木霊するように響き渡る。

別の意味で身体の奥が熱くなってくるような気持ちの悪い感覚に、息をするのもやっとだ。

甘酸っぱい匂いと、鼻を突く強烈な香水の香りが鼻腔びこうまとわわりつき、より一層身体の自由が利かなくなる。


脳内まで支配されそうになる感覚というのが、表現として一番合っているのかもしれない。


ひんやりとした手が、俺の頬に触れる。


「ッ…!?」


かろうじて動かすことの出来る目だけで後ろを確認すると、俺の背後から抱き着くように纏わりつている女の姿があった。


(こいつ…ッ!悪魔…!?)


ゲオルグと同じ漆黒の長い髪をなびかせた女のこめかみ付近には、真っ黒い角が2つ生えていて、黒いエナメル製の布だけがくっついただけのような露出の高い衣装を身に纏っていた。


真っ赤な瞳と同じく、唇には艶のある赤い口紅が塗られていて、より一層女の美しさを際立きわだてていた。

色白の華奢な手が、滑るように俺の頬を撫でていく。

赤く塗られた爪はかなり長く、少しでも爪を立てられたら血が出そうだと感じるくらいには鋭利だった。


『あなた…思ったよりもイイ身体しているわねぇ…♡顔もいいし…力を奪う器としては最高のエサだわぁ…』


耳元でうっとりと囁かれ、全身に鳥肌が立った。

女の声と匂いに、頭がクラクラしてきたのを感じ、身体を放そうともがくが、肝心の身体はびくともしない。


『ふふっ…身体の自由が利かないでしょう?私の魔力は普通の悪魔の魔力とは違うの…特に男は、私の魔力が効かない者は上級以上の悪魔を除いては1人もいない…本当は今すぐにでもあなたを食べちゃいたいところだけど…残念。それはまたの機会にとっておこうかしら』


女の身体が離れ、フッ!と全身の金縛りが解ける。


「はぁっ…!はぁっ…!はぁっ…!」


地面に崩れ落ちるように座り込み、呼吸を整える。

身体が動かせるようになったとはいえ、身体の熱とクラクラしたような感覚が少しだけ残っていたからだ。

俺の目の前に立った女が、妖艶な笑みを浮かべたまま俺を見下ろしてきた。


『今日の私のエサは別にいるの。力を与えてあげた私の失敗作が殺し損ねた大事な“お友達”を食べなきゃいけないから』


「はぁっ…!はぁっ…!なんのことだ…?」


顔を上げ、女に訊ねると、女は不思議そうな表情を浮かべてすぐに、にこぉ…と不気味な笑みを浮かべた。


『私の姿を見てなんの反応もしないという事は、あなたは私の事を知らないのね…。そういうことなら、なにも知らない無知なニンゲンに、特別にイイものを見せてあげる…そこで見ているといいわ』


女は踵を返して歩き出すと、数歩歩いたところでその姿が消えた。


いや、正確に言えば消えたのではなく、物凄い速さでなにかに向かって一直線に飛んで向かっているようだった。

霞む視界で、女が飛んでいる方向を見て、ようやく女が“エサ”と言っていたのが誰なのかが分かってしまった。




「モウリ―――――ッ!!」




俺は、今出る最大の声量で叫んだ。

モウリ―と別れてからまだ間もなかったからか、俺がいる場所からモウリ―のところまでは、おおよそ60メートルといったところだ。


俺の声がかろうじて届いたモウリ―が立ち止まり、振り返ったところで、もう一度叫ぶ。


「モウリ――!!逃げろ!!今すぐそこから逃げるんだ!!!」


「征十郎くん?――ッ!!」


不思議そうな表情を浮かべていたモウリ―が、ようやく女の魔力に気付き、真っ青になった。

一直線に突っ込んでくる女悪魔に怯え、足をガクガク震わせている。

逃げたくても恐怖で逃げられないと言った状況なのかもしれない。


「モウリ―!!!」


『ふふっ。…気付くのが遅いわ』


女はすでのモウリ―の目の前まで来ていた。

怯えるモウリ―の表情を見て、女悪魔は不気味で妖艶な笑みを浮かべると、自らの長い髪を魔力で変形させ、先端を鋭い刃のような形に変えるとモウリ―目掛けて襲い掛かった。


「あ…誰か…たすけ…」


声を震わせながら、モウリ―が小さく呟く。

女悪魔の鋭利になった髪の毛が当たる直前、モウリ―は死を覚悟してぎゅっと目を閉じ、俺も思わず顔を逸らしてしまった。


そして一帯に、肉を引き裂くような音と血の飛び散る音が響き渡る。


静まり返る中唯一聞こえていたのは、血の滴る音だけだった。






「――ったくよぉ…やっぱりモウリ―は…俺がいねぇと……ダメじゃねぇか…」





「ッ……メエド……?嘘…だ…なんで…っ」



聞き覚えのある声に、モウリ―が閉じていた目を開ける。

そこには、モウリ―を女悪魔の攻撃から守るように立つメエドの姿があった。

メエドが自分自身の身体で、女悪魔の攻撃を受け止めていたのだ。


顔の半分、腕、胸、腹部や太ももなど身体中に大量の髪の毛が貫通し、メエドの身体は穴だらけになっている。

貫通した部分からは大量の血が出ていて、赤黒い血がボタボタと地面に滴っていた。


ミシェル達と一緒に神殿へ向かっていたはずのメエドが、何故この場所にいるのか。

どうして嫌っていたはずのモウリ―を自分の身体を犠牲にしてまで守ったのかが分からず、俺は唖然とその光景をただただ見つめていることしかできなかった。



「メエド……っ」




『チッ…!せっかくの私の餌が…。失敗作の分際で…私の邪魔をしないでくれる?』


女悪魔は不機嫌そうに呟くと、メエドの身体に貫通した髪の毛を引き、通常の髪の毛に戻した。


「はぁっ…はぁっ…うる…せぇ…ッ!友達を護って…はぁ…ッ…はぁ…ッ!なにが悪い…?」


メエドが女悪魔を睨みながら吐き捨てると、体勢を崩してモウリ―の方に倒れ込んだ。


「…メエド…ッ!なんで…なんでわしを助けた!?わしとお前は縁を切ったから、もう友ではないと言ったのはお前なのに、どうして…!!」


すかさずメエドを受け止めたモウリ―は、涙目になりながらメエドに向かって叫んだ。


「はぁ…はぁ…今更それを聞くのか?…どうせ気付いているんだろ?仲が良かったはずのお前に対して、俺がどうしていきなりそんなことを言ったのか」


「っ…!!」


メエドの言葉に、モウリ―が目を見開く。



『――まったく…むさ苦しい男同士の友情とか勘弁してよ。アンタのせいで餌も食べられずに、失敗作だけ始末して帰ることになったじゃないの…。はぁ…ホントサイアク…ゲオルグ様になんて言われるかわからないじゃない。――…仕方ない…メンドクサイ奴らが来る前に帰った方が良さそうね』


周囲を見渡して何かを察知した女悪魔が、残念そうに呟くと、すぐ傍の空間に扉くらいの大きさの異空間を作り出した。

帰ろうとしていることを悟った俺は、引き留めるために叫ぶ。


「てめぇ……待て!!逃げるな!!」


少し時間稼ぎをすれば、メエドと一緒にいたはずのミシェルとアリアが来ると思っていたからだ。


『逃げる…?バカなことを言わないでよニンゲン』


異空間に入ろうとしていた女悪魔が振り返る。


『これは逃げるんじゃなくて、“退散してあげる”だけ…。まだ“その時”ではないし、私の独断で勝手なことをしてしまったら、それこそゲオルグ様に怒られるからね』


「はぁ!?」


女悪魔が言っている意味が分からなかった。


『私がこのままここで暴れれば、もっと沢山の住人が死ぬけど…それでもいいのかしら?』


「っ…それは…!」


『――また、必ず会う事になるわ』


「それは…どういう意味だ…?」


女悪魔は俺の方に近づいてくると、頬から顎にかけて細い指をなぞるようにして触れ、妖艶な笑みを浮かべた。


『ふふっ…秘密♡――だからそれまで…力と知識をもっと身につけて強くなるといいわ。強いニンゲンほど、私達の魔力のかてとなるから』


「……」



女悪魔が名残惜しそうに俺の頬から手を離し、自ら作り出した異空間の方へ歩き出していく。

異空間へ入る直前、思い出したように俺の方を振り返った。



『あなたのために特別に私の名前を教えてあげる。…私の名前はリシュル。上級悪魔のサキュバスよ』


「!」


『また会いましょう?柊征十郎――…』




女悪魔――もとい、リシュルと名乗った悪魔は、そう言うと異空間の中に入り、空間ごとその場から姿を消したのだった。




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