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35話:黒を持つ者の襲来


「遅くなって悪かったな…モウリ―からいっぱい牛乳を貰って来たから、好きなだけ飲んでいいぞ」


「にゃあ~」


シャルメーンロードから帰宅した俺は、モウリ―から貰ってきた新鮮な牛乳をフラッフィーに与えながら、艶やかな黒い毛並みを撫でる。

よほどお腹が空いていたのか、器に牛乳を注いだ瞬間凄まじい勢いで飲み始めるフラッフィーを見て、思わず笑ってしまった。

俺は飲んだ事がないが、人気店であるモウリ―の牛乳はフラッフィーでも夢中になるほど美味しいんだろう。


(モウリ―の件は、フラッフィーが寝静まったタイミングでオリビアに相談に行くか…いや、まずはミシェルに相談をしてからの方がいいのか…)


すでに半分ほど無くなった器をぼーっと見ながらそんな事を思っていると、なにやら外が騒がしくなっていることに気づく。


「なんだか騒がしいな…祭りでもやっているのか?」


時刻は夕方から夜に切り替わるくらいの時刻。

基本的にこの時間になってくると、シャルメーンロードに建ち並んでいる店が少しずつ閉まっていき、出歩いている人の数も少なくなり始める頃だ。

現実世界で言う祭りと似たような行事もあるとは言っていたが、俺がヨルノクニに来てからはまだ見た事がない。

なにかあればミシェルが経験の為に「行ってみるか?」と声をかけてくれるはずだが、それもない。


「牛乳を買いに行った時は、祭りの準備らしきものはしていなかったと思うが…」


数十分前のシャルメーンロードの様子を思い出すが、いつもの様子と変わらなかった。


ヨルノクニの祭りがどういうものかは知らんが、微かに聞こえてくる声は叫びにも近いような声に聞こえる。場所が離れているからそう聞こえると言われればそうかもしれないが、人が楽しそうに騒いでいる声には聞こえなかった。



「なんの音だ?」


声と一緒になにか衝撃音のようなものも聞こえ、気になって窓のカーテンを開ける。


「!!」


すると、ちょうどシャルメーンロードあたりから大きな炎と煙が上がっているのが見えた。

明らかに祭りという雰囲気ではない。


「シャルメーンロードでなにか起きているのか…!?フラッフィー、悪いが少しだけ留守番をしていてくれ!」


フラッフィーが器から顔を上げ、不思議そうに首を傾げながら見上げてきた。

いつもだったら寂しそうに縋りついてくるフラッフィーは、俺の様子が違うことに気づいたのか、「わかった」とでも返事をするかのようにひと鳴きすると、残り少ない器の牛乳を飲み始めた。




***


なにかあった時のためにと渡された護身用の剣を腰に装備し、家を飛び出す。


(まさか…シャルメーンロードに悪魔が現れたんじゃないだろうな…!俺の思い違いならいいんだが、もしそうだとしたら…!)


ゲオルグを中心とした大量の悪魔が、シャルメーンロードでたくさんの住民を殺している映像が脳内に浮かび、振り払うように首を振った。

考えたくもないことなのに、嫌なことばかりが頭に浮かんでしまう。

走っている最中、何人もの精霊や妖精とすれ違った。

逃げるように走っている者や身体に傷を負った状態で逃げている者、血まみれで道端に倒れている者を見る限り、なにかしらの争いがシャルメーンロードで起きている事は間違いない。


ようやくシャルメーンロードの入口が見えてきた。安堵したのも束の間、状況の酷さに思わず足が止まってしまった。


「なんだ…これ…っ」


入口付近から中の敷地まで、地面にはいくつもの大きな穴が開いていたのだ。

まるで隕石か爆弾が落ちてきてできたような、大きく、深い穴。入り口に設置されていた看板は破壊されていて、破壊された看板の欠片が大量の血痕と共に無数に地面に散らばっている。


「どういうことだ…?一体何が起きている…?」


つい数時間前とは全く別の空間と化していたシャルメーンロードの地面には、何人もの精霊や妖精達が倒れていて、白いマントを羽織った精霊数人が手当てをしていた。

恐らく怪我を治すことに特化した魔法を持つ精霊なんだろうが、怪我を負った人数が多すぎて対処しきれていない様子だ。

ふと、目の前の瓦礫の上で倒れている中年の男の手が微かに動く。


「…げろ…ッ…」


「おい、大丈夫か!?」


俺はすぐに男の元へ駆けつけると、上半身を起こし、男の身体を支える。


「ゲホッ!ゴホッ…あ…う…ッ…げ…ろ…ッ」


血まみれになった顔を上げた男は、懸命に声を搾り出しながら、苦しそうな表情で俺に手を伸ばしてくる。

なにかを伝えようとしているのは分かるが、言葉が途切れ途切れになっているせいで上手く聞き取ることができない。


「酷い怪我だな…無理して喋るな!傷に触る!…とりあえずこの場所から少し離れよう」


「…め…だ…ッ…ハァ…ハァッ…げ…ろ…ッ」


必死になにかを伝えようとする男の言葉を無視して男の腕を肩にまわし、移動しようとした時、耳元で男がはっきりと言葉にした。


「逃、げ…ろ…ッ」


「――え?」


男は言葉を発したと同時に俺の身体を思いきり突き飛ばし、距離を取るように離れた。


「俺の…事はいい…ッ!だから…は…やく…ッ!逃げ…るんだ…ッ」


苦しそうな表情をしながら繰り返し逃げろと言ってくる男が、身体をふらつかせながら立った時、背後に人型をした黒い影が現れる。


「っ…!!」


そして男の身体に黒いなにかが貫通するように突き刺さった。



「ガッ…!」


「!!」


ゲオルグに腹を貫通された時の光景がフラッシュバックする。

氷のように冷たい黒い腕。

全身に駆け巡る激痛。

口から逆流してくる鉄の味。

邪悪の塊のような禍々しい圧。


まるで自分の身体を貫通されたような気分だった。


「…はッ…は…ッ…!」

呼吸が出来ない。


「は…ッ!はッ…はッ…!」


体内に酸素を送り込む事が、こんなに難しいと感じたのは初めてだった。

今までにないほど心臓の鼓動が激しくなっていく。

あんなにも悪魔と戦う事を楽しみにしていたはずなのに。

悪魔と遭う事が出来れば、ゲオルグと再会出来る近道だと思っていたのに。


いざ本物の悪魔と遭った途端、これだ。

なにも出来ないまま、悪魔に対して恐怖を抱いている自分がいる。


身体を貫通した黒い“なにか”は、悪魔の腕だった。

禍々しい魔力を放った黒い腕は、身体から腕を引き抜く瞬間、男の心臓を掴んだまま引き抜いた。

周囲に大量の血しぶきが飛び散り、男が力なく地面に倒れ込む。


『ククク!弱ェなぁ…!――いや…それとも、俺が強くなりすぎちまったかぁ?』


「!!」

(この声…どこかで…)


初めて会うはずの悪魔の声に、なぜか聞き覚えがあった。

聞き馴染みのある声ではない事は分かる。

誰だっけ…?と頭をフル回転させていると、人型をした黒い影の姿が、徐々にはっきりと見えてきた。

ゆっくりと近づいてくる黒い影が月の光に照らされ、その姿が徐々にクリアになっていく。


「っ…お前は…――メエド…!」


『さっきは散々な事をいってくれたなぁ?無知で弱い人間如きの分際で…。俺の事だけじゃなく、俺の一族のことまでコケにしやがって』


目の前に立っていたのは、つい少し前、モウリ―の店で会ったばかりのメエドだった。

茶色だった身体は全身が黒に染まり、頭から生えていた角も黒い悪魔の角に変化している。

全身に返り血を浴びていたメエド姿は、悪魔そのものだ。


「お前…何故そんな姿になっている…?“気高きゴート一族”とやらの精霊じゃなかったのか?」


悪魔特有の赤い目を光らせながら、メエドがどこか楽しそうに笑った。


『ククク!!あぁ、お前の言う通り俺は気高きゴート一族だった。――表面上はな』


「…表面上…?どういう意味だ?」


俺が訊ねると、笑っていたメエドの表情が真剣なものへと変わる。


『俺ぁ……



本当は “黒を持つ者” の精霊だ』




「!!」


『“黒を持つ者”は生まれた時から身体の一部に出てくるのが普通だ。そして、悪魔の力に目覚めるのは100歳以降と言われている。だが俺の場合、“黒”が身体に現れたのは180歳を迎えた時だった』


「…」


『今までなかったはずの黒が出てきた時は、そりゃあ驚いたもんだぜ?まさか自分の身体の一部に、“黒”が出てくるなんて思いもしなかったからよ。“黒を持つ者”の話は、どの種族も必ず幼少期に話を聞かされる。黒を持つ者がどういう処遇を受けるのか、どういう運命を持って生まれたのかも全部』


「…黒を持つ者の処遇がどうなるか分かっていながら…なぜ隔離されないで今まで普通に生活が出来ているんだ。黒を持つ者が現れたら、神殿の地下に隔離されるんだろう?」


俺の問いに、小さく笑みを浮かべたメエドがおもむろに右足を上げると、俺に足の裏を見せてきた。


「黒が出てきた俺の身体場所は、ココだ」


「…なるほど。見つかりにくい場所に出てきたという事を利用して、誰にもバレる事がないように隠してきていたという事か」


今は悪魔化し、全身の色が黒に染まっているため分からないが、足の裏であれば二足歩行で生活している以上他の場所に比べて見つかりにくい場所ではある。

だが、ふとした瞬間にバレてしまったり、悪魔の力が目覚めてしまったらどうするつもりだったのか。

ルールを作り、隔離するという徹底ぶりのオリビア達に隠していたことがバレれば、恐らくただでは済まないだろう。


「黒が身体に出て来てからは、絶対に足の裏を見られない様に隠して来た。運がいい事に俺の場合、毛が黒くなるのではなく皮膚が黒くなるタイプだった事もあって、毛で皮膚を隠すことが出来ていた。おかげで家族、親族や一族、友人…誰にもバレず、怪しまれることなくここまで隠し通す事が出来た。まさか、今日このタイミングで力に目覚めるとは思わなかったが、俺にとっちゃあ都合がいい」


赤い瞳を俺に向けてきたメエドが怪しく微笑む。


「都合がいい…だと?」


「俺や一族を馬鹿にしてきたお前を殺せるだろ?」


「…モウリ―…ッ」


「そうだ!最初にお前の心臓をえぐり取ってから、モウリ―も殺すか。昔から家族からも一族からも可愛がられてきたモウリ―は気に食わなかったんだ。店を受け継いで人気店になっているのも、住民から慕われているところも…全部気に食わねぇ…。力に目覚めてしまった以上、俺はもうこの街では暮らせないし、一族からも追放され、全てを失う。それならもうどうでもいい。気兼ねなく気にいらねぇ奴を殺せる…ッ!そうは思わねぇか?――なァ…人間サンよぉ?」


不敵な笑みを浮かべながら舌なめずりをするメエドを、俺は真っすぐ睨みつけた。

メエドをこのまま放置すれば、なにをするか分からない。

俺も殺されるかもしれないし、俺を殺した後でモウリ―を殺しに行くかもしれない。

殺られる前に、俺がこいつを殺さないと…

すでに心まで悪魔になってしまったのか、最初から悪魔のような心を持っていたのかその真相は分からないが、非道な考えを持っているメエドにある意味安心する。


(そういうことなら、安心して殺せる)


「――お前が根っからの悪魔で良かった」


「…あ?」


俺はメエドを睨みつけたまま、腰に装備していた剣を鞘から抜く。

まだ一度も使った事がなかった剣は、思っていた以上に重い。失敗する事なくメエドを殺せるようにと、柄を握る手に力が入る。


『そんな剣で、悪魔の力に目覚めた俺を殺せるとでも?精霊でも妖精でもない、ただの人間であるお前が?』


刃を向けられているというのに、メエドの表情は未だ余裕そうだ。


「やってみなきゃ分からないだろう」


『ハッ!やってもやらなくても分りきっている事だろーが!…面白い!遊んだ後で殺してやるから来てみろよ!!』


街中に響き渡るほど大きい声量でメエドが叫んだのを合図に、俺はメエドに向かって一直線に走った。






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