「…いつからだ」
俺は、暗い表情のままのモウリ―に訊ねる。
「女王様から住民達に、黒猫の話をしてしばらくしてから…」
「……オリビアは、住民にしっかりと説明をしているはずだ。それなのに何故…そんな事になっている?」
「もちろん女王様から住民達にちゃんとした説明があった上で、期間限定でわしの牛乳を提供する話をしてもらった。だが…住民全員が納得することはやっぱり難しかった。住民の中には、黒を持つ者が悪魔化した際に家族を殺された者や、家や土地を壊された者、自分自身が殺されかけて今も不自由な生活を送っている者も多いからね。黒を持つ者=隔離される悪の存在という認識でいる住民達にとって、どんな理由であれ、隔離されず成長を促す餌を与える形になってしまったわしの牛乳はもう飲みたくない…そう言う風に言う住民が増えてきてしまった」
「だが…全員がそんなことを言っている訳じゃないだろう?」
俺の問いに、モウリ―が小さく頷く。
「確かに常連客の全員がそう思っている訳ではないと思う。実際、女王様から話があった後も、何人かの常連客は来てくれていたからね。…まぁお客さん自身、黒を持つ者に牛乳を提供するという事に対して思う所はあったみたいで、提供する際にいろいろと言ってきた者もいたが」
「常連客が来てくれているのに、牛乳の提供率が減っているのは何故だ?」
「…」
モウリ―が唇を噛みしめたまま黙り込む。握られた拳と、その表情からは怒りと悔しさのようなものが感じられる。
「…数日前、シャルメーンロードの中間部分に、新しくヤギミルク屋が出来たからだ。…おそらくわしのところに来ていた常連客は、そこの店に引き抜きされたと考えて間違いない」
「…何故、引き抜かれたと言いきれる?」
「新しくヤギミルク屋をオープンさせたのは、妖精族 ゴート一族のわしの親友だった奴で、わざわざオープン前に皮肉たっぷりに報告をしに来たからだ」
「親友“だった”?」
過去形の言い方が引っかかり訊ねると、俺の質問にモウリ―が頷き、話し始めた。
「ホルスタイン族とゴート族は昔から長同士の馬が合わなくて、会うたびに喧嘩ばかりしていた。ヨルノクニで生活をしているから族同士の争いこそは起きなかったが、今でもお互いを敬遠している。だが、わしと同年代だったゴート族のメエドは族同士のしがらみに縛られず、昔から仲が良かったんだ…まぁ、仲が良いと思っていたのはわしだけだったんだがな…」
どこか寂しそうに話していたモウリ―の表情が、次第に怒りを含んだ表情へ変わっていく。
「なにがあったか、聞いてもいいか?」
「――親父からわしがこの店を継いだ初日に、店をメエドに襲撃されたんだ」
「!」
「元々シャルメーンロードで飲料タイプの乳製品を提供している店舗は、わしの店しかなかった。この牛乳屋は、わしの初代先祖から代々続いていた店で、シャルメーンロードで初めて店を始めた第一店舗でもある。新鮮で美味しい牛乳を飲めると、毎日行列の絶えない店として評判も良く人気店だったんだが…メエドはそれが気に食わなかったらしい」
「…そういうことか」
(モウリ―も俺と同じ…友達だと思っていた奴に裏切られていたとは)
「メエドの家系も昔、一時期にヤギミルク屋をオープンしたことがあったんだが、客の入りも提供率も悪くてな。人気店だったうちの店を潰せば、わしの店に来ている客を根こそぎ奪えると思ったんだろう。この件があって、メエドはわしを親友だと思っていないのだと確信し、喧嘩の末縁を切っているという経緯がある。このタイミングで再度店をオープンさせたのは、わしの店の牛乳が黒を持つ者の餌に選ばれた事を知り、客を奪えるチャンスだとも思ったんだろう――本当に性格が悪い奴だ」
「この世界にも性格の悪い妖精はいるんだな」
まともな奴ばかりがいる世界だと思っていたが、実はそうでもなかったらしい。
ヨルノクニをオリビアが取りまとめている以上、大きな争いが起こることはないだろうが、汚い手を使って姑息な嫌がらせをする妖精はいるようだ。
「女王様からの通達後も変わらず来てくれていた常連客は、恐らくメエドになにか吹き込まれたんだろう。そのせいでメエドの店がオープンして以来、この通りお客さんは1人も来やしない…」
補充されることなく積み上げられたボトル、静まり返った店内。
以前来店した時のような活気が、微塵も感じられないと思った俺の予想は当たっていた。
寂しそうに店内を見渡すモウリ―の表情は、なにか大切なものを失ったようなそんな表情だ。
「モウリ―…」
こういう時、気の利いた言葉をかけられればとは思うが、なんて声をかけたらいいのか最適な言葉が思い浮かばない。
モウリ―に辛い思いをさせてしまったのは、100%俺に原因がある。
でも、だからと言ってフラッフィーを見捨てるわけにはいかない。
モウリ―も、フラッフィーも見捨てたくない。2人とも傷つかずに幸せに暮らしていける方法があれば…と脳内で必死に考える。
(帰りに神殿に寄ってオリビアに相談してみるか…)
物事を客観的に考えて、最適な方法を提案してくれるオリビアであれば、よりよい提案を出してくれるに違いないと思った俺は、カウンターに置かれたままのボトルを手に取る。
「神殿に寄って、オリビアに相談してみる。恐らくオリビアは、モウリ―の今の現状を知らないはず。現状を知れば、きっと今の状況から抜け出す方法を教えてくれるはずだ」
「征十郎くん…」
「牛乳、ありがとう。また貰いに来る」
「あぁ。またいつでも来てくれ。それと…話を聞いてくれてありがとう」
カウンター越しに柔らかく微笑むモウリ―を一瞥し、店を出ようとした所で、店に入ってきた誰かがわざとらしくぶつかってきた。
「いてぇなぁ!どこ見て歩いてんだ!!」
「…」
ぶつかった相手は、大体モウリ―と同じくらいの年代だろうか。
茶色みがかった肌と、顎に白い髭を持つ細身の中年の男だった。真っ白い髪をオールバックで固め、膝までの長いエプロンと白い長靴を履いていた中年の男は、不機嫌丸出しの表情で俺の胸倉を掴みながら怒鳴ってきた。
体格も身長も俺の方があるため、俺は見下ろすような形で中年の男を睨みつける。
初対面相手に失礼極まりない野郎だ。
「誰だか知らんが、いい加減この手を離せ」
モウリ―の話を聞いて少し苛ついていた俺は、胸倉を掴んでいる男の腕を掴んだ。
「その見た目とこの匂い…お前、まさか例の人間かァ?」
「だからなんだ?手を離せって言ったのが聞こえてねぇのか?」
男の腕を掴む手に、力が入る。
最初こそは挑発するような態度を取っていた男だったが、俺の手の力に表情を歪めると舌打ちをして離れていった。
「チッ!」
男はそのままカウンターへ近づくと、挑発的な笑みを浮かべながらモウリ―に話しかける。
「よォ、モウリ―。黒を持つ者の餌やり担当になった落ちぶれた牛乳屋の店主さんよぉ…お前のような店にまだ通っている客がいるなんてなぁ…!?しかもその唯一の客が人間…ククッ…黒を持つ者の飼い主しか牛乳の提供が出来ないんじゃ、店はもう終わりだなぁ!?」
男の言葉に黙ったまま男を睨んでいたモウリ―が口を開く。
「メエド……」
「!」
(メエド…さっきモウリ―が話していたゴート族の元親友か…!)
「つい数日前に来たばかりだろう?なにをしに来た」
感情を押し殺したモウリ―の問いに、中年の男――メエドはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「ハッ!元人気牛乳店の落ちぶれた可哀想な店主の顔を見にきてやったんだぜ?親友にそんな言い方はないだろ~?」
「親友だと…?どの口が言っている?わしとお前は縁を切った。もう友でもなんでもない。どうせ、ただからかいに来ただけに来ただけだろう?わしの客を引き抜かないと、ろくにミルクの提供が出来ない店だもんな?良かったじゃないか。ようやく念願だったミルクの提供が出来て」
「っ…なんだと!?」
皮肉たっぷりに言い返したモウリ―に、メエドが怒りを露わにし、モウリ―に掴みかかる。
「わしの客になにかを吹き込んで、お前の店に来るように仕向け、客の引き抜きをしたのはお前だろう?」
「ハッ!だったらなんだって言うんだ!」
「そんな事をしても、一時的に提供率は上がるだろうが、長続きはしない。提供率だけを気にして、お客さんの気持ちを考えていないお前のやり方ではな」
「テメェ…モウリ―…!黙っていれば好き勝手言いやがって!お前のところの牛乳なんかより、俺のところのヤギミルクの方が美味いに決まっている!客の気持ちなんぞどうでもいい!提供率さえ上がりゃあ店を続けることが出来るからな!」
「だからお前の店は昔から続かないんだ」
「あぁ!?なんだと!?」
「お前は本当に何も分かっていない。商売をする者が一番大事にしなきゃならんことを」
「そんなもん分かんなくても商売はやれるに決まっているだろうが!俺の店に客を取られたからって強がってんじゃねぇよ!」
メエドは怒りのまま叫ぶと、拳を振りかざしモウリ―の頬を殴りつけた。
「ぐっ…!!」
カウンターの後ろに積み上げられていたボトルに激突してしまったモウリ―の身体の上に、空のボトルが大量に落ちてくる。
「モウリ―!大丈夫か!?」
俺は急いでモウリ―の元へ駆けつけた。
「あぁ…面倒な事に巻き込んでしまって申し訳ないね。征十郎くん」
心配させまいと笑顔を作って謝ってくるモウリ―の姿に、胸が締め付けられるような気持ちになった。
誰かとコミュニケーションを取ることが苦手な俺ですら、気持ちのいいと思える接客をしてくれるモウリ―が、何故こんな目に遭わなければいけない。
メエドに対して、沸々と怒りがこみあげてくる。
「おい。ヤギ野郎…」
「あぁ!?テメェ…人間如きが、なんだその口の利き方は!!俺は妖精族の気高きゴート一族だぞ!?」
「黙れ。クソヤギが。調子に乗るな…!お前みたいな卑怯者に
「なっ…!なんだとォ!?」
顔を真っ赤にさせ、怒りでわなわなと身体を震わせたメエドは、全身の毛を立たせている。威嚇をしているつもりなのか、頭から生えているヤギ特有の角を俺に向け、今にも突進してきそうな勢いである。
「友を裏切り、人の客を奪わなきゃミルクの提供もろくに出来ない奴のどこが“気高きゴート一族”だ。やっていることは、卑怯でクズな下衆悪魔と一緒じゃねぇか」
「なんだとッ!?テメェみたいに妖精の強さを分ってねぇ無知な人間には、身をもって俺の力を分からせてやる…ッ!」
「それは楽しみだ。――かかってこいよ。クソヤギ野郎」
完全に怒りの矛先を俺に向けたメエドに挑発的に笑みを浮かべれば、メエドは角を俺に向けながら猛突進してきた。
「こんの…ッ…クソガキャアアアアア!!!!」