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32話:黒を持つ者と一緒にいるということ

オリビアから3か月の猶予をもらった俺は、黒猫に“フラッフィー”という名前を付けて一緒に生活を送る事になった。


フラッフィーの名前の由来は、英語で「もふもふ」という意味だ。

艶のある黒い毛並みがもふもふして気持ちがいいと思い名付けた。


オリビアによると、フラッフィーの性別はメス。

念のためにと検査を受けたが、健康状態等は特に問題はないとの事。預けてから数時間ほどで俺の元へ戻してくれた。

通常猫はマイペースで1人の時間を好む猫が多いらしいが、フラッフィーはかなり甘えん坊でどこにいくにも俺の後を付いてくる。

トレーニング中も、飯を食っている時も、トイレに行く時も、風呂に入っている時でさえ洗面所で待っているほど寂しがり屋で、1人になると俺の姿が見えるまで鳴き続けている。

そんな甘えん坊すぎるフラッフィーの姿に困る事はあったが、俺の中でフラッフィーの存在に変化が表れ始めているのも事実だった。


「フラッフィー。少し出かけてくるから、留守番を頼むぞ」


玄関先まで俺を見送りに来たフラッフィーは、寂しそうに俺を見上げながら、か細い声で鳴く。


「にゃぁ~」


「…」


なるべく目を合わさずにきびすを返し、玄関扉の取手に手をかける…が、背中越しに聞こえ続ける哀愁漂う鳴き声に、取手を掴んだまま中々一歩を踏み出せずにいた。


「…すぐに帰ってくるから、そんなに寂しそうな声で鳴くな。お前の大好きな牛乳をもらいに行くだけだから」


本当はフラッフィーも一緒に連れて行こうと思っていたが、最初にフラッフィーをモウリ―の店に連れて行った事で、モウリ―が近くの店の店主にフラッフィーの正体を話した事、そしてオリビアから住人全員に通達がいった事で、フラッフィーの話は街中に広まってしまい、連れて行く事が出来なくなった。


連れていっては行けないという決まりは特にないが、悪魔になる可能性があるフラッフィーの姿を見て怯えてしまう住人や、フラッフィーに対して何をするか分からない住人の目にはあまり触れない方がいいという事で、オリビアやミシェルと話した結果、不用意に街に連れ出さないという事で話が付いたのだ。


フラッフィーの餌に関しては、まだ子猫という理由でしばらくの間はモウリ―から牛乳を提供してもらえる事になった。

オリビアから猶予を貰ってすぐ、オリビアからモウリ―に連絡をしてくれたようで、猶予を貰った期間中限定であれば、フラッフィーに牛乳を提供してもモウリ―に罰が下る事はないらしい。

お互い同意のもと、毎週1回牛乳をもらいに出かけているという訳だ。


「ちゃんと帰ってくる。大丈夫だ」


寂しそうな表情で見つめてくるフラッフィーの頭を優しく撫でる。

喉を鳴らしながら腕にすり寄ってくる小さな体をひと撫でして、俺は立ち上がった。

この調子ではいつまで経っても買い出しに行けない。

フラッフィーだけに我慢をさせるのではなく、俺自身も心を鬼にしなければいけない。

こういうのは人間の気持ちが動物にも伝わると聞く。フラッフィーを心配する俺の気持ちが伝わっているのであれば、原因は俺にある。

俺がしっかりしないと。



「じゃあ、行ってくる」


軽く振り返り、フラッフィーに声をかけてからようやく外に出る事が出来た。

慣れ親しんだ道を歩き、シャルメーンロードへと向かう。


空は一面青空で、雲一つない晴天だ。風もなく太陽の陽が眩しい位に地面を照らしていて、気温もちょうどいい。

シャルメーンロードに近くなるにつれ、まばらだった人が増えていく。

入口付近には多くの人化した妖精や精霊がいて、賑わっている事が分かった。


当初は人混みが嫌いだった俺だったが、こうも頻繁に人混みの中に来るようになればさすがに慣れてくるもの。

今では気持ち悪くなることもなく、買い出しが出来るようになっていた。


ようやく目の前にモウリ―の店が見えてくる。

いつも行列ができているはずの店は珍しく空いていて、順番待ちする事なくすぐに中へと入れた。


「征十郎くん、いらっしゃい!」


店の中に入ると、カウンターに立っていたモウリ―が、明るく大きな声で出迎えてくれた。

顔の皺をくしゃりと寄せながら笑顔を浮かべるモウリ―の接客は、相変わらず気持ちがいい。


「モウリ―。牛乳を3リットル、動物用でお願いできるか?」


「あいよ!今準備するから待っててくれな!」


「あぁ」


俺の返事に、モウリ―がカウンターの後ろに山積みにされている牛柄のボトルを持って店の奥へ消えると、ものの数分で牛乳が入ったボトルを持って出てきた。


「おまちどうさま!動物用で牛乳3リットルだよ!」


カウンターテーブルにボトルが置かれる。

見た目は結構な重さだが、トルドの水の時同様に、魔法で子供でも持てるほど軽くされているらしい。

中身が空になったボトルに関しても、自然と消えてなくなると言われた。どうやらシャルメーンロードで調達できるものは、ほとんどがそういう仕組みになっているらしい。


「ありがとう」


モウリ―ほど愛想のいい笑顔で元気な返事は出来ないが、自分の中で最大限の愛想のいい笑顔で返事をして牛乳の入ったボトルに手を伸ばす。

するとモウリ―が、なんとも言えない神妙な面持ちで口を開いた。


「征十郎くん…その…まだなんともないかい?」


「なんともないとは…なにがだ?」


モウリ―がなにを言いたいのかをなんとなく察知しながらも、聞いてみる。


「…あの黒猫だよ。まだ子猫ではあるけどいつ悪魔の力に目覚めるか分からない…もしかするとなにかがきっかけで子猫の内に悪魔の力に目覚める事だってあるかもしれないだろう?」


「……」

(やっぱり。またこの話か…)


モウリ―の店に来るたびに聞かれることで、正直うんざりしている話題だった。


確かにモウリ―が気にしてしまう気持ちは分かる。

通常であれば黒を持った者は、すぐに隔離される。それはこの世界ではそういうルールがあって、これまでずっとそのルールに従って黒を持つ者と住人は離れて生活を送ってきていた。

だから特別大きな事件が起きることなく平和に過ごせてきた。


それが、俺がフラッフィーを救いたいという提案をしたことで、フラッフィーを隔離せずに…云わば、自由に生活を送らせている。

子猫での発症例はないと言っても、例外があるかもしれない。

不安になってしまう気持ちは分かる…分かるが、毎回その話題を出される俺の気持ちも少しは考えて欲しい。

俺は大きくため息をついた。


「モウリ―…前にも言ったが、フラッフィーは大丈夫だ。悪魔の力になんて目覚めさせない。仮に目覚めてしまったとしても、俺が全て責任を取る。絶対に住人に危害を加えさせることはしないと約束する。もしも俺が約束を破ったその時は、俺を殺しても構わない」


「征十郎くん…」


「モウリ―には色々と迷惑をかけて申し訳ないと思っている。期間限定でオリビアに頼まれているとはいえ、本当はフラッフィーに牛乳の提供はしたくないのだろう?」


「っ……」


オリビアがモウリ―に牛乳の提供を頼んでから、かなりの日数が立って同意の返事をもらったと聞いた時、なんとなく感じたことだった。



「モウリ―に対して罰を与えられる事はないと言っても、モウリ―からもらった牛乳でフラッフィーが成長したというのは事実だ。そうなれば、今後牛乳の提供率が減ってしまう可能性だってあるし、住人達になにかを言われる可能性だってない訳ではないだろうからな」


気まずそうに目を逸らしながら口籠るモウリ―の姿を見て、俺の言った事が図星である事が分かった。


「…俺を信じて欲しいとは言わない。まだなんの進展も見られないうちに信じてくれと言ったところで、簡単に信じる事なんて出来ないと思うからな」


「…申し訳ない…征十郎くんを信じたい気持ちはあるが…今はまだ完璧に信じることが出来ない自分がいる…」


「仕方のないことだ。黒を持つ者の悪魔化を止める事は、これまでミシェル達四大精霊ですら成功した事がない事例だからな。…本当はモウリ―に迷惑がかからない他の方法があればいいんだが…残念ながらヨルノクニには人間の世界の様に猫専用の餌はないと聞く。だから、モウリ―の協力を得るしか方法がないんだ」


「征十郎くん…」


「牛乳の調達も、次からは少し多めにもらうことにする。少しでも俺が店に来る回数が減った方が客の入りも、牛乳の提供率も上がるだろう?」


「…いや、それは……っ」


言いにくそうに言葉を詰まらせるモウリ―に、その通りなんだと理解した。

カウンター裏に山積みにされているボトルが、全てを物語っている。

店の前に行列が出来ている時は、山積みにされているボトルはかなり減っているし、店内の雰囲気が活気づいているが、今日はそれがない。

山積みのボトルが減った感じもしなければ、補充されている感じもない。

フラッフィーの件が知られる前までは、店前に行列が出来ていなくても牛乳が提供されるのを待っている間に数人から数十人の客が来ていた。

だが、今日は俺が来店してから結構な時間が経っているが、誰一人として店に客が入ってきていないのだ。

店の外は多くの妖精や精霊が行きかっているのに、だ。


「正直に言ってほしい。フラッフィーの件以来、牛乳の提供率が減っているのか?モウリ―の周りで、なにかが変わってきてしまっているのか?」


「……っ」


最初は明るく接客はしているように見えていたが、実際は無理して明るく振舞っていただけなのかもしれない。

俺に気持ちを悟られることがないように。


その証拠に、モウリ―は少しやつれていて、目の下には初めて会った時にはなかったくまもあった。

こんな姿を見て、なにもないはずがない。


「モウリ―。俺に気を遣わなくてもいい。正直な気持ちを教えてくれ」


しばらくの沈黙のあと、言葉に詰まっていたモウリ―がようやく口を開く。




「……牛乳の提供率が減ってしまったんだ…」


消え入りそうな程小さい声で言ったモウリ―の言葉は、はっきりと俺の耳に届いた。



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