「うちの店では、お客さんの要望に沿った牛乳を提供しているんだ」
「要望に沿った牛乳?」
「飲む対象者によって成分を調節したり、牛乳の濃さや量を細かく決めることが出来る。飲む人によって、濃い味が好きな人もいれば、薄めの低脂肪タイプを好む人もいる。わしらのような精霊や妖精達が飲む牛乳の場合もあれば、犬や猫、その他の人型じゃない動物達が飲む場合だってある。人型と動物型だと成分も少し変わってくるからね」
「…なるほど」
現実世界では聞いた事のない牛乳屋だ。
今回は俺が飲む様じゃないし、動物用に成分を調節してくれるのなら逆にその方がいいのかもしれない。
「ちなみに店の奥にある牛小屋でしぼりたての牛乳を提供しているから、新鮮で美味しい牛乳が飲めるよ。今回は征十郎くん用で牛乳をご所望かな?」
「…いや、残念ながら俺用ではない…こいつ用で牛乳を買いに来た」
俺は腕の中の子猫をモウリ―に見せるようにして抱き上げる。
「にゃぁ~」
すると、今まで笑顔で話していたモウリ―の表情が明らかに変わった。顔色は真っ青になり、怯えた様に後ずさって、俺から距離を置くように離れていく。
「…モウリ―?どうかしたか?」
「君っ…、その猫をどこで見つけた…?」
「え?いや、見つけたというか…今朝、自宅の前にいたんだ。かなり痩せているし、親もいないみたいだから、とりあえず牛乳でも飲ませて腹ごしらえをさせてからミシェルに相談をしようかと思って」
モウリ―の様子が明らかにおかしい。
ただの子猫なのに、どうしてそんなにも怯える必要があるのかが分からなかった。
もしかすると、猫が苦手だったのだろうかと、抱き上げていた子猫を腕の中へと戻す。
「悪い…もしかして猫が苦手だったか?それなら申し訳ないことをした」
俺は特に問題はないが、猫が嫌いな人もいれば、アレルギーを持っている人もいると聞く。
仮にモウリ―が猫アレルギーを持っているか猫嫌いだとしたら、少しでも距離を取ろうとするのは分かる。
「…そういうことじゃない…君、もしかして知らないのか…?」
声を震わせながら、モウリ―が聞いてくる。
「は…?知らないってなにがだ」
「その猫は――呪われた猫だ」
「呪われた猫?…何を言うのかと思えば…こいつはまだ幼い子猫だ。呪いとかそんなものはあるわけないだろう」
子猫を凝視していたモウリ―が真っ青な顔を俺に向けてくる。
すると、険しい顔つきで話し始めた。
「――いいか、征十郎くん。ヨルノクニでは、身体の一部に“黒”を持つ者は不吉とされているんだ。人間の世界ではほとんどの人が黒い髪や黒い目を持っていると聞くし、そんな事は考えられないかもしれないけど…この世界では違う」
「悪魔と同じ黒は、悪魔の種と言われていてね…いずれ必ず悪魔の力に目覚めてしまうんだよ。それと、黒が入っているということは祖先の誰かが悪魔か悪魔堕ちしている可能性があるから、黒を持たない者よりも悪魔堕ちしやすい。今はまだ幼いから悪魔の力は目覚めてはいないようだけど、きっとこの先この子は悪魔堕ちをしてしまうだろう…」
「そんな、馬鹿な…」
モウリ―の話を聞いて、俺は子猫に視線を落とす。
「にゃあ…」
「っ…」
にわかには信じられなかった。
俺からすればこの猫は普通の子猫だ。ただ黒い毛並みというだけの、普通の猫だ。
悪魔になんてなる訳がない。
自然と子猫を抱きしめる手に力が入った。
「これまで、黒を持つ者で悪魔の力に目覚めた者は全員。逆に力に目覚めなかった者は1人もいないよ。そして、実際に悪魔となれば女王様や四大精霊様によって殺される…それがこの世界での決まりだ」
「っ…!!」
「悪魔となれば今までの記憶は消されてしまい、新たな悪魔として生まれ変わる。そして悪の力に目覚めれば、わしら精霊や妖精達を殺し、力を手に入れ…やがてヨルノクニをも滅ぼそうと考えるようになる。…悪魔という存在は、それほどに恐ろしい者なんだ…」
「だから黒を持つ者は、例え力が目覚めていなくても、悪魔化する前に
「……」
モウリ―が深く頭を下げる。
「征十郎くんよ…大変申し訳ない。今回ばかりはうちの牛乳を提供する事は出来ない。君用であればいくらでも提供はするが、その猫に与えるとなると話は変わってくる。猫に栄養を与えて、成長を促す手伝いをしてしまうという事になってしまうからね。そんなことをすれば、わしにも罰が下って店を続けられなくなるんだ…本当に申し訳ない」
「……分かった」
大きくため息をついてから子猫の頭をひと撫でする。
反論しようかとも考えたが、ヨルノクニに来てまだ間もない俺がなにを言おうと、モウリ―には響かないだろうと思った。
人間の世界にルールがあるように、ヨルノクニにもヨルノクニのルールや決まりがある。
この世界で暮らす以上、ルールは守らなければいけない。そんな事は分かっている…分かってはいるが、それが本当に正しいことなのだろうか。
か細い声で鳴く猫を見ながら考えて、顔を上げた。
「長々と話をさせて、仕事の邪魔をして悪かった。いろいろと教えてくれてありがとう」
「気にしないでくれ。いろんな理由があるとはいえ、わしの方こそ、力になれずに申し訳なかった…次に来る時は、とびっきり美味しい牛乳を征十郎くんに提供させてくれるかい?」
「あぁ。また機会があれば買いに来させてもらう」
子猫を腕の中に隠すように抱いたまま、俺はモウリ―の店を後にしたのだった。
***
「にゃあ~、にゃあ~お」
家までの道のりを歩いていると、腕の隙間から顔を出した猫が、悲しそうな声で何かを訴えるように鳴いていた。
相当腹が空いているのだろう、猫から腹の鳴る小さい音が聞こえる。
「…悪いな。お前のために牛乳を買いに行ったんだが、売り切れていた。米ならうちにいくらでもあるから、ふやかしてそれを食べよう」
猫に人間の言葉は分からない。だから俺は、猫に小さな嘘をついた。
そもそも、俺の言った言葉を理解しているかも調べようがないし分からないが、返事をするように鳴く子猫を見て、返事をしたと勝手に解釈をすることにした。
そうでもしないと、悪魔になるかもしれないこの子猫との接し方が分からなくなりそうだったからだ。
(飯を与えて成長を促す手助けをしてしまったとしても…餓死しそうなこいつを放っておく事は出来ない)
それにまだ、こいつは悪魔にはなっていない。
力には目覚めていない。
悪魔の力に目覚めずに、猫の状態のままいられるようにする方法は必ずあるはずだ。
自宅に戻り、炊飯器の中から余っていたご飯を小鍋に移して猫用のおかゆを作った。
人間用ではないため、味付けはなにもせずに柔らかくなるまで煮込む。ご飯にしみ込んだ水のおかげでご飯はすぐに柔らかくなり、ものの数分でおかゆが完成した。
「今は熱いから、少し冷ましてから食べような」
優しく猫の頭を撫でる。猫は気持ちよさそうに目を細め、腕にすり寄ってきた。
(まだこんなに小さいのに…身体の中に黒が入っているというだけでこんな扱いをされてしまうんだな…)
「――普通の人間なのに、幽霊が視えるというだけでバケモノ扱いされてきた俺と同じだ…」
無意識で出てきた言葉に、甘えていた子猫が俺を見上げてくる。
猫に幼かった自分の姿を重ねてしまい、無性に悲しくなってきた。
黒を持って生まれた者は、好き好んで黒を持って生まれた訳じゃない。
モウリ―の話を聞く限り、黒を持って生まれる原因は遺伝や祖先の影響によるものだと言う。
原因を考えると当人はなにも悪くない。
誰も悪魔になりたい訳じゃないんだ。こいつも、他の奴らも。
ようやく人肌くらいの温度まで冷めたおかゆを猫の前に持ってくれば、余程腹が空いていたのか、猫は無我夢中でおかゆを食べ始める。
「俺が何とかする方法を考える…お前がお前で在り続けられるように」
猫がご飯を食べている間、俺は猫の頭を優しく撫で続けた。