「その日以来、男という生き物に対して嫌悪感を持ってしまったってミシェルは言ってた…」
「……」
「でも、この世界で生きていく上で完全に男の人と関わりを無くすことは無理だから、程よい距離感を保って接しているみたい…。だからミシェルは絶対に男の人と2人きりにはならないし、自分の家に呼ぶなんて事もあり得ないの」
「……」
エヴィ―の話に、俺はなんて返事をしたらいいのかが分からなかった。
男が苦手な人が一定数いるのは、前に聞いたことがあるから知っている。職場の休憩所に置いてあったテレビで関連しているニュースを見たこともあるし、そういう事件もこの世の中に多いのは知っている。
でも、どこか他人事のように聞いていた自分がいた。
仮に自分がまともな家庭で育って、
仮に仲のいい女友達や姉妹がいて、そういう身近な人達がそういう事件に巻き込まれてしまったら…俺はきっと犯人を許さないと思う。
絶対に見つけ出して、殺してやりたいとさえ思うだろう。
――でも俺には何もなかった。
なにもなかった俺からすれば、被害に遭った人に対して大変だ。酷いことをする奴がいるもんだと思う事はあっても、それ以上なにも思うことはなかったのだ。
だけど今、一緒にいることが多いミシェルの話を聞いて、俺の中で芽生えたことのない感情が渦巻いているような気がした。
(――誰がミシェルを…)
この感情はなんだろう?
沸々と湧き上がってくる感情を抑えるように、腕の中に抱いている子猫を避けるように拳を握り締める。
そう、この感情は確か――…。
“怒り”という感情だ。
「征十郎くん…?」
何も話さなくなった俺を不思議に思ったエヴィ―が、顔を覗き込んでくる。
俺はエヴィ―に視線を合わせることなく口を開いた。
「当時…ミシェルになにがあったんだ…詳しく教えてくれ」
小さく頷いたエヴィ―がゆっくりと話し始める。
「私達四大精霊は生まれた時からずっと一緒で、ある程度の年齢になるまでみんなで一緒に暮らしていたんだ。当時はまだ小さかったし、みんなで遊ぶことも多かったの」
「――あれは暑い日のことだった。私達はその日、
エヴィ―が、遠くを見つめながら話し始めた。
「遊んでいる途中で、ミシェルが森の奥にある川に水を飲みに行くって言いだしたの。飲み水ならアリアの力で出せるから、わざわざ川まで行かなくてもよかったんだけど、住処があった森の奥にある川の水は神聖ですごく美味しい水だったから、その水が飲みたいって言いだして…」
「……ミシェルは1人で行ったと…?」
当時の事を思い出しているのか、切なそうな表情でエヴィ―が頷く。
「でも、いつまで経ってもミシェルが帰ってくる様子はなかった。最初はそこまで気にしていなかったんだけど、あまりにも遅いから探しに行ったら…ちょうど襲われている所に遭遇したの」
「……」
「ミシェルを襲った精霊は、悪魔堕ちして間もないこともあって、ブチギレた私達の力で殺すことができたから未遂で済んだんだけど…ミシェルの心には深い傷が出来てしまったんだ」
「暫くの間は男の人に対して凄く怯えていたよ……でも、私達やオリビア様全員で必死にケアをして、今は普通に接することが出来るようになった。――いや…最近のミシェルはまた少し、変わった気がする」
「なぜ…そう思う?」
「昔みたいに、笑うのが多くなったから」
「っ…!」
何度か見たミシェルの笑顔が脳裏に浮かんできた。
「昔のミシェルはね、すごく明るくて元気で、とっても優しい子だったんだ。ふふっ、今とイメージが本当に違うんだよー?」
「そうなのか」
元々あまり笑うタイプじゃないだけだと思っていたが、実際はそうじゃなかったようだ。
俺が知っている今のミシェルからは想像も出来ないが。
「今はクールだし、怒ると怖いし、人によっては冷たい印象を与えてしまうから、近寄りがたいっていう人もいるけど…素のミシェルはすっごく可愛いの。だからみんなミシェルが大好き」
「エヴィ―…」
アリアとまったく同じ事を言っているエヴィ―に気付いてエヴィ―へ視線を向ければ、満面の笑みでエヴィ―が笑った。
エヴィ―の話を聞いて、少しだけミシェルと境遇が似ていると感じてしまった。
親や友人に裏切られ、感情を殺した俺と、悪魔堕ちした精霊に襲われてしまい、その時のトラウマから笑顔を見せなくなったミシェル。
状況は違えど、俺もミシェルも過去の事が原因で自分の本当の感情を殺してしまっているのだ。
「私、ミシェルが笑うようになったのは征十郎くんのおかげだと思ってる…だから、ありがとうね!」
「俺は何もしていないが…」
思いつく限り、お礼を言われるような事はしていない。
最初の出会いは最悪だし、しょっちゅう言いあいもしていたし、なにかと衝突している記憶しかないからだ。
――まぁ、最初に比べると言いあいも減ってきたし、少しだけではあるがミシェルの性格が分かってきたというのは事実ではあるが…。
「ミシェルがずっと探している人間も……征十郎くんみたいに優しい人なんだろうな…」
エヴィ―が小さく呟いた。
「え?ミシェルが探している人間…?エヴィ―それってどういう――」
言いかけたところでエヴィ―がハッとし、誤魔化すように俺に笑顔を見せてきた。」
「あ、ごめんね!独り言だから気にしないで!じゃ、じゃあ私そろそろ買い物に行かなきゃだからっ!」
エヴィ―は慌てた様子で歩き出した。
恐らく無意識で話してしまって、焦っているのだろう。
分かりやすすぎる。
「あ、おい!エヴィ―!今の話…っ」
「さっき私が話した事、ミシェルには黙っててね!そうしないとまた怒られちゃうから!じゃあねーっ!」
続きが気になって呼び止めるが、その話題に触れることなく、エヴィ―は足早にシャルメーンロードの人混みの中へ消えてしまった。
「人間を探している…か。そう言えば前にもアリアが似たような事を話そうとして、ミシェルに止められていたような…」
ミオールキャットを倒した後のアリアの会話を思い出す。
『あの日から、ミシェルは人間が大好きだものねっ』
『アリア…!余計なことまで話さなくてもいい!』
まさかミシェルが人間を好きだとは思わずに驚きはしたものの、その時は深く聞こうとは思わなかった。
「ミシェルは俺以外の人間に会った事がある…のか?」
「にゃ~お」
腕の中から子猫がひょっこりと頭を出してくる。
「起きたか」
喉を鳴らしながら腕に身体を擦りつけてくる子猫に、頭を撫でながら話しかけた。
「にゃあっ!にゃーお…にゃーお…」
「遅くなって悪かった。今、知り合いと会って話をしていた。牛乳が売っている店もそいつに教えてもらったから、買いに行こう」
「にゃあ!」
目を輝かせる黒猫に“現金な奴だな”と呟きつつ、牛乳屋を目指して歩き出した。
***
目当ての牛乳屋は、エヴィ―の言う通りシャルメーンロードを歩き始めてすぐのところにあった。
店の前には人型をした精霊が数人並んでいる状態で、思ったよりも少なかった客の数に安堵しつつ、俺も続くように最後尾に並ぶ。
意外に回転スピードは速く、並んでしばらくするとあっという間に俺の順番がまわってきた。
「いらっしゃい!ご注文はお決まりかな?」
カウンター越しに威勢のいい声が聞こえてきた。
店主は銀髪に白髪交じりのパーマをした中年のオッサンで、灰色と白のまだら模様のエプロンを身につけていた。
フレンドリーで愛想のいい威勢のあるオッサン…というのが第一印象である。
「牛乳を1つ欲しいんだが」
「あいよ!…って君、見かけない顔だねぇ?うちの店は初めてかい?」
「まぁ…そんなところだ」
「あっ、もしかして最近ヨルノクニに来たって言う人間さん?」
「あぁ。柊征十郎と言う」
「そうかそうか!いやぁ~、人間さんがうちの店に来てくれるとは思っていなかったから嬉しいよ!一度会ってみたいと思っていたから光栄だ」
笑顔で話しかけてくる店主は、カウンター越しに手を差し出して来た。
「わしの名前はモウリ―。精霊 ホルスタイン族で妻とこの牛乳屋を営んでいるんだ!よろしくねぇ」
「……よろしく頼む」
初対面の人と握手なんて今までしたいとも思わなかったが、気さくに話しかけてくるモウリ―を断れず、差し出された手を握った。