トーファの胸倉を掴み、引き寄せる。
俺よりも華奢なトーファの身体は、いとも簡単に宙へと浮いた。
女だから、とかそんな事は関係ない。なにも知りもせず、憶測だけで決めつけて「悪魔」だと言ってきたトーファが許せなかった。
俺は紛れもない人間だ。
子供の姿に変えて人間を襲ってくるあんな悪魔とは違う。
俺は悪魔じゃない、普通の人間だ。
怒りで震える手に力を込め、トーファを睨む。
「ふふっ…そんなに怒っちゃってぇ…まさか図星ぃ?」
にひひ…と悪戯っぽく笑うトーファの態度は、ただただ俺の怒りを逆撫でするだけだった。
こういう奴は大嫌いだ。人間だろうが、人外だろうが関係なく。
「俺を悪魔などと一緒にするな…ッ!」
「悪魔じゃないのに、なんでそんなに怒ってるいの?違うなら普通にしていればいいじゃん。怒った方が逆に怪しいよぉ?」
「黙れ。それ以上喋ったら殺す…ッ」
胸倉を掴んだ手に力を入れ、暴発してしまいそうな理性をギリギリのところで保つ。
だが、トーファの口にする言葉の全てが、
「殺す?人間が…私を?どうやって?…ふふっ、笑わせないで。力どころか、パワーでも勝てないわ。家で身体を鍛えているようだけれど、いくらトレーニングを積んでも無理よ。それだけ人間というのは弱い生き物なの…。でも、それでもアンタが私を殺せるって言うのなら…
… 殺してみて?」
無邪気に笑うトーファの目は笑ってはいなかった。
手にはそれなりの力を入れているはずなのに、苦しそうな表情もせず、抵抗しようともせず、逃げようともせず余裕そうな表情のトーファに力の差を見せつけられている感じがした。
「っ…!」
俺が行動を起こせないということを、最初から分かっているかのようにも感じる。
その態度に腹が立った。
…いや、実際のところはトーファに対してだけ腹が立っているのではない。
今まで拳骨を落としていた幽霊達相手のように、感情のままトーファに手を上げられないでいる自分自身に対しても腹が立っていた。
「私は妖精で、アンタは人間なの。私を殺せないどころか、殴ることだって出来ないわ。でも…逆をいえば、力のある私達はいつでも人間を殺す事が出来るの」
どこか楽しそうな表情を浮かべるトーファの瞳に光が宿り始める。
白銀に光る瞳と視線が交わった瞬間、トーファを掴んでいた手が指の先から冷えていく感覚がした。
「っ…!!」
(なん…だ?)
「ふふっ」
瞳を光らせながら笑みを浮かべたのを合図に、俺は指先へと視線を落とした。
すると、冷えを感じていた指先から腕の方にかけて音を立てて凍り始めていったのだ。
「!!」
指先から侵蝕する様に凍り始めていった俺の手は手首、腕と凍っていき、最終的には肩までの腕全体を凍らされてしまった。
氷の中にある自分の手は、感覚を奪われてしまったのか、冷たさは一切感じない。
それどころか、服を掴んでいる感覚もしなければ、1ミリたりとも動かす事が出来なかった。
「このままだと、全身氷漬けにされちゃうよ?いいのかなー?」
「っ…」
「この私に“殺す”って言った事…謝るなら解除してやってもいいよ?」
ニヤニヤしながら顔を覗き込んでくるトーファに、悔しさと怒りで歯を食いしばる。
誰がこんな奴に謝るか。
俺は悪くない。先に挑発してくるような事を言ってきたのはトーファの方だ。
――どいつもこいつも、俺を見下す奴ばかり。
俺はなにもしていないのに、
俺の意思で言った訳ではないのに、
すべて俺が悪いと言われる。
相手はさも自分が傷ついたように演じ、こうやって謝罪を強要してくるんだ。
「……どいつもこいつも…っ」
震える声で、小さく呟く。
『幽霊が視えるなんて嘘を言った事、すぐに謝りなさい!』
『俺達はお前の親だ。謝ればちゃんと許してやる』
まだ小学生の頃、両親から言われた言葉を思い出した。
『お前が幽霊いるとか言うから、掃除係のマユミちゃんが怖がって泣いたんだ!今すぐ謝れ!』
『そうだそうだ!マユミちゃんに謝れよ、征十郎!』
学校でもそうだ。
今まで仲の良かった友達は、俺から離れた途端に俺の敵になった。
幽霊がいるかを聞いてきたのはそっちなのに。
俺は嘘なんて何一つ言っていないのに、みんな俺に謝れと言う。
ただ自分が視えた事を、ありのまま伝えただけなのに、だ。
友達に気味悪がれ、除け者にされた事で悩んでいた俺に心配するふりをしてしつこく聞いてくる両親に話した。
四六時中幽霊が視えてしまい、どうしたらいいか悩んでいる俺を見た友達が、『悩みがあったらいつでも相談しろよ!俺達友達だろ?』なんて味方のふりをするから友達に話した。
その言葉を疑うことなく信じてしまった俺も俺だが、当時は俺も辛かった。
誰も視えていない存在が、自分だけに視えるということが。
誰かに話して、少しでも心を楽にしたかったんだ。
――でもその結果、みんな俺を裏切った。
裏切ったのはそっちなのに、何故俺だけが謝らなければいけない?
何故俺だけ…
何故?
何故だ?
黙り込んでしまった俺の顔を、トーファがまた覗き込んでくる。
「ねぇ、聞いてるの?」
「――だ…」
「なにぃ?聞こえないんだけど。もう一回ちゃんと大きい声で言ってくれない?
さん、はいっ!リピートアフターミー?」
冗談交じりの耳障りなトーファの声は、すでに俺に届いてはいなかった。
「――何故だ?何故、俺が謝らなければいけない…」
「……は?」
トーファの表情から笑みが消えた。
余程俺の言葉が気に入らなかったんだろう、不快そうにトーファが表情を歪める。
怒りを通り越したなにか別の感情が、身体の中で渦巻くような感覚がする。
これはなんだ?
分からない。
感情のコントロールは得意なはずなのに、感情が抑えられない。
すると、さっきまで感覚を失っていた腕が、少しずつ感覚を取り戻していくのが分かった。
「ッ…!!」
トーファが銀色の瞳を大きく見開く。
視線は俺の方ではなく、腕の方を見ていた。
「なんで…っ」
「……」
トーファによって凍らされてしまっていた腕は、腕から指先にかけ、氷が溶け始めていたのだ。
「どうして私の力が…ッ!
腕、手と順番に氷が溶けていき、最後の指先の氷が溶けそうになったタイミングで銀色の目を光らせ、トーファが叫ぶ。
しかし、トーファの力が発揮することはなく、指先の氷まであっという間に溶けてなくなってしまった。
手にようやく感覚が戻ってくる。
「なんで…!なんで力が出てこないの!!
さっきまでの冷静さはどこにいったのか、トーファは困惑したように何度も叫ぶ。
だが、何度叫んでも力が発揮されることはなかった。
「…どう、して…力が出てこないの…っ!今までこんなことはなかったのに…」
「トーファ!!お前なにをしている!!」
「トーファ!お前は今、なにをしようとしていた?」
ミシェルがトーファに詰め寄る。その表情から、相当怒っているということは俺にでも分かった。
「……力が…使えない…の…っ」
トーファは力が使えなくなった意味が分からず、
自分の手の平に視線を落としながら放ったその声は、震えている。
「そう言う事じゃない!!さっきお前が叫んでいた魔法は、相手を氷漬けにして殺す魔法だろう!?まさかとは思うが、お前は征十郎を殺そうとしていたのか!?」
今度はミシェルがトーファの胸倉を掴み上げる。
「ちがっ…!違うの!私はただ…その…征十郎をからかおうと思っていただけで…本気で殺そうとなんて考えていないもん!」
「…からかうだと…?からかうためだけに、俺にあんなことを言ってきたのか?お前は」
それが本当だとしたら、トーファは人として終わっていると思った。
治まりつつあった怒りが再び沸々と湧き上がってくる。
「この……馬鹿者ッ!!」
ミシェルの怒号が、ツキドゥーマ森林一帯に響き渡る。
「っ…」
びくっと身体を震わせたトーファが、ミシェルの声に怯えた様に目を瞑る。
「自分の私利私欲のためだけに、征十郎相手に殺傷能力の高い魔法を使ったのかお前は!!例え本気で殺そうと思っていなくとも、もしもの時があったらどうするつもりだったんだ!」
「そ…れは…っ」
そこまで考えてはいなかったのだろう。トーファが言葉に詰まる。
「お前が力をコントロールしていたとしても、人間相手の加減が分からないお前の微々たるコントロールなど、まるで意味はないんだ!!!氷漬けにした事で氷漬けにした部分の細胞が壊死したらどうするつもりだった!?凍死したらどうするつもりだった!?先のことまでちゃんと考えていたのか!?」
「っ…」
トーファの目に涙が浮かんでくる。
泣きたいのはこっちの方なんだが…と内心思いつつ、2人を見守るようにやり取りを見ているモネをちらりと見てから、再びミシェルとトーファへ視線を向けた。
「だからお前は子供だと言うんだ!!私達は今日、遊びに来ている訳ではないんだぞ!?任務を遂行するためにここまで来ている!チームの輪を乱すのであれば、すぐに帰れ!!――オリビア様には私から話をしておく」
吐き捨てるように言うと、ミシェルはトーファから離れる。
そして、そのまま俺の目の前まで来ると、申し訳なさそうに謝ってきた。
「征十郎…トーファが申し訳なかった…」
「……ミシェルが謝る事ではないだろう」
「それでも、すまなかった」
「……」
「怪我はないか?」
伸ばされたミシェルの手が、俺の頬に触れる。
心配そうに覗き込んでくるミシェルの表情は、見た事がないほど優しかった。
やっぱりミシェルの手は温かい。
温かくて…なんだか懐かしい気持ちになるから不思議だ。
「…問題ない」
「そうか。それなら良かった」
ミシェルがホッとしたように微笑んだ。
「ミシェル、征十郎くん…ごめんね」
一部始終を黙って見ていたモネが、口を開く。
「モネ?」
「…どうしてお前も謝る?」
モネは暗い表情のまま下を向いて、なにか言いたそうな様子だった。
「実を言うと……今回のこの任務、私達は来る予定はなかったの」
「!」
「……その様子…なにか理由があるようだな?今回のトーファの行動についても聞きたいことがある。モネ、詳しく話をしてくれるか?」
モネは小さく頷くと、任務に付いてくることになった経緯を話し始めたのだった。