シャラの自宅に入ると、広いリビングルームへと通される。
外観と同様綺麗に整頓されている室内は、上質なアンティーク家具が揃っている落ち着いた空間だった。
中央に設置された6人席のテーブルに座るように促されると、花の絵が描かれた白いティーカップが目の前に置かれる。
「どうぞ」
わざわざ淹れてくれたのだろうか、テーブルに置かれたティーカップからは紅茶のいい香りが漂ってきた。
「シャラ。早速だが、現在の状況を教えてくれるか?魔物の情報も分かれば話してもらいたい」
向かい合うように座ったシャラに、ミシェルが切り出す。
「わたくしが最初に違和感を感じ始めたのは、3か月ほど前です。氷山エリアにはほぼ毎日氷を取りに行っているのですが、最初はいつもよりも氷の状態が悪いと感じただけでした」
「しかし、日に日に氷の状態が悪化していいき、取れる氷の量も減少していったのです。わたくしがお店で提供している氷は、全て氷山エリアの所持している土地で取ってきた氷になります。自宅で自身の力で氷を作り出すことは造作もない事ですが、氷山エリアで作りだされる氷とは、溶け具合も食感も全く違うため、氷山エリアの氷でないと提供率が格段に下がってしまうのです」
シャラはどことなく寂しそうな表情で話すと、膝の上に置かれた手をきゅっと握る。
「氷の状態が悪化とは…具体的にどういう状態なんだ?」
ミシェルが訊ねると、シャラが「こちらを見ていただいた方が早いかもしれません」と言ってテーブルに手をかざした。
すると、テーブルの上に正方形状の氷が形成され始める。
正方形の氷はモニターの様な役割を果たしているようで、その中に現状の氷山であろう雪山の様子が映し出された。
「今、こちらに映っているのが通常の氷の状態です」
氷山と言う名だけあって、ごつごつした氷山の山々には沢山の雪が積もっていた。天気はかなり荒れていて、吹雪いていることから一帯が真っ白だ。所謂ホワイトアウトという現象である。
「これが氷山エリアか…大分天気は荒れているんだな」
映像を見ながら呟くと、シャラが小さく頷く。
「氷山エリアではこれが普通なのです」
「この場所が晴れ渡っている日はむしろ一度もない。氷山エリアの天候は基本的に吹雪だ。道が舗装されて整備されている訳ではないし、山々に積もった雪もあって足場はかなり悪いから、氷山エリアに立ち入る人はほとんどいない」
「…ここに、これから行くんだろう?大丈夫なのか?」
「まぁ、なんとかなるだろう」
(なんだ、その適当な返事は)
表情を変えずに答えるミシェルに多少の不信感を抱きつつ、再び氷のモニターを見ると、全体的な氷山の様子から別の場所へと映像が切り替わる。
「そしてこの場所が、わたくしの所有する土地です」
「!」
一面が雪山だったさっきの風景とは違い、四方が岩崖に囲まれた山が映し出された。
場所によって吹雪加減が変わるのか、天候は多少穏やかになっていて、まるでそこの場所だけが別世界のように、至る所に巨大な氷がいくつも形成されていた。
見る角度によって違った輝きを見せるその氷達は、まるで巨大な宝石のようである。
どうやったら自然にこんな大きさになるのかが不思議だ。大きさで言ったら1つあたり全長数十メートルはある。
形こそ全て違うものの、それがまた芸術作品のごとく圧倒的だ。
「これが氷山で出来る氷か…」
「氷山で形成される氷は、透き通っていてその色合い・形が非常に美しいと言われています。通常の氷は冷やさないと溶けてしまいますが、ここの氷は30日間常温で置いていても冷たさと形を維持し続けると言われている特別な氷なのです」
「……すごいな…」
いろいろと衝撃的な事が多すぎる。
以前、シャルメーンロードに来た時、一度だけシャラの店の前を通った事があった。その日は店の前に大行列が出来ていて、あまりの人の多さにドン引きして足早に通り過ぎた記憶はまだ新しい。
あれはたまたま出くわしてしまった事だと思っていたが、たまたまなどではなくヨルノクニでは普通の光景だったのかもしれない…そう思うとこの氷の凄さが分かる。
驚いて映像を食い入るように見る俺をよそに、ミシェルが切り出す。
「この映像だと氷は通常の様に見えるが…」
「はい。これは氷に異変が現れる前の映像です。現状の変化をより分かっていただくため、最初にお見せいたしました。次にお見せする映像が、昨日の映像です」
シャラが丁寧な口調で答えると、再び映像が切り替わった。
「!!」
「!」
俺とミシェルがほぼ同時に声にならない声を上げた。
宝石のように光輝いていた氷の色は白濁色に濁り、数十メートルあった巨大な形は崩れ、数メートルほどまでに小さくなっている。
1か月間常温で置いていても、冷たさと形を維持するはずの氷は溶けていて、氷から溶けた水滴が地面に滴り落ちていた。
「この現象は…」
ミシェルが真剣な眼差しで映像を見ながら呟く。
「一体どういうことだ?氷は1か月間、常温でも溶けないんじゃないのか?」
「氷が30日間常温で保つ事が出来るのは、氷山エリアから持ち出された場合のみ…氷山エリアにある場合は年中溶けることなく、その場所に在り続けます。こんな現象は今まで一度たりともありませんでした。わたくしもなにがなんだか…」
「……」
困惑しているシャラの表情は暗く、成す術がないという状況の様だった。
「この現象は、コールヒュ―マの影響とみて間違いはないだろう」
ミシェルが確信を得た様に話し始める。
「コールヒュ―マって確か…最初に候補であげていた氷属性の魔物か?」
シャラの家に向かっている道中で話していた会話を思い出しながらミシェルに訊ねれば、ミシェルが「そうだ」と言って頷いた。
「コールヒューマが喰った後の氷は、口を付けた際に付着する唾液の成分で白濁色になることが多いんだ。そして、唾液の成分の影響で氷の形成と機能に抑制がかかってしまう」
「!」
(だから、シャラの氷が溶けているという訳か…)
「ですが、ミシェル様。コールヒュ―マは、氷山の奥地から滅多に出てこないと言われている魔物だったはずです。実際にわたくしも、数える程度しか見た事はございません。コールヒュ―マが氷を主食としているのは有名ですが、何故わざわざ奥地から出てきてまでわたくしの土地の氷を…」
「確かにシャラが言うことも分かる。氷山の奥地でも、氷が形成されている場所はいくつも存在するからな。わざわざこちら側に出てこなくても喰うことは出来る」
「それならば何故…!」
「詳しい事は実際に行って調べてみないと分からない」
「っ…」
シャラが不安げな表情を浮かべて押し黙る。
そこまでミシェルの話を聞いて、俺の中で疑問が浮かび上がった。
「思ったんだが、コールヒューマが氷を喰うと、その氷は悪化したまま元に戻る事はないのか?」
仮に、コールヒュ―マが住処としている奥地の氷が溶けてなくなってしまったのなら、奥地から食料を求めて出てくるのは理由が付く。
要は森の中で餌が不足した野生動物が、人里に下りてくる原理と一緒だ。
「――いや、それはない」
俺の問いにミシェルが断言した。
「この世界には魔物の影響を受けるものも多くあるが、氷山で形成される氷はそんなにやわじゃない。コールヒュ―マによる影響を受けても、それは一時的な物であってすぐに回復するのだ。そうでなければ、氷山中の氷はすでに消滅している」
「確かに…それもそうだな」
「兎にも角にも、現地に行ってみない事には何も分からない。征十郎、早速氷山へ向かおう」
「あぁ」
立ち上がったミシェルに続き、俺も席を立つ。
「ご面倒をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
玄関先まで見送りに来てくれたシャラが深く頭を下げる。
最後まで律儀な妖精だと感じつつ、俺達はシャラの家を後にした。
ふと、どこからともなく視線を感じて振り返る。
「…」
(なんだ?今、誰かに見られていたような気が…)
「征十郎、どうした?」
誰かに見られていると思い辺りを見渡してみるが、誰かがいる感じはしない。視線は一瞬だけだったようで、今はその視線は感じなくなっていた。
(気のせいか)
「いや、なんでもない」
「そうか。なんでもないならいいが…なにか気になる事があればすぐに言うんだぞ」
「分かっている。…氷山にはどのくらいで着くんだ?」
隣を歩くミシェルに訊ねる。
「ソラリア庭園都市からは歩いて40分ほどで行ける。だが、まずはシャルメーンロードで衣服や武器の装備品を調達する。私はこのままでも平気だが、人間のお前がその恰好で氷山へ入れば、数分も持たないで凍死するからな」
「……それは助かる」
自分の軽装さに不安を抱いていた俺はホッと胸を撫で下ろし、シャルメーンロードへと向かったのだった。