ミシェルに連れてこられた場所は、神殿近くにあるミシェルの自宅だった。
俺の家と違ってセキュリティ面は厳重の様で、家の造りも神殿までとはいかないが豪華だ。
家の中は、しっかり者のミシェルらしくかなり綺麗で整理がされている。
「おい、ミシェル…いきなりなんだ」
「そこに座って、ちょっと待っていろ」
「はぁ…?おい!」
ミシェルは広いリビングの中央にある赤色のソファに俺を座らせると、振り返ることなく奥の方へ消えていった。
何の説明もなく連れて来られた俺からすれば、なにがなんだかさっぱり分からない状態。
誰かの家に来た事自体初めてだった俺は、どうしていいか分からず、でもさすがにウロウロするのもどうかと思い、とりあえず言われた通りソファに座ったまま、ミシェルが戻るのを待つ事にした。
しばらくして、ようやくミシェルが戻ってきた。
いつの間につけたのか、淡い赤色のフリル付きエプロンを着て、手には何やら食器が乗ったお盆を持っている。
そして、ソファ前のテーブルにお盆を置いた。
「食べろ」
「……」
お盆の上には、炊き立ての白米と豆腐の味噌汁、焼き魚に小鉢に入った煮物、サラダ、カットされたフルーツとヨーグルトが綺麗に盛り付けられてあった。
何故いきなり食事を出されたのか分からず困惑していると、向かい合わせになっているソファにミシェルが座る。
「水と米があれば飢えで死ぬことはないだろうが、栄養は偏りすぎている。魔物討伐がどうこうと言う前に、ちゃんと栄養のある食事を摂って身体の基盤を整えろ」
「…」
ミシェルが俺にご飯を作ってくれるとは微塵も思わなかっただけに、驚きの方が大きい。
そもそも、誰かに料理を作ってもらう事自体が久しぶりだった。
最後に口にしたのは、両親に霊感の話をした日の朝食が最後だったと思う。話をしたあとの夜ご飯は食べなかったし、その日以降も母親が作るご飯は食べたいと思わなくなった。
何度も食事を拒絶していたせいか、次第に母親もご飯の準備することはなくなっていき、最終的にはテーブルの上にお金だけが置いてあるようになった。
元々共働きで仕事が忙しかった両親だ。
向こう側からすれば、料理という手間が省けて楽だっただろうし、俺も両親と関わることなく毎日自分が食べたいものを食べられるから気分的にも楽だった。
それから今まで、毎日水と米だけを食べてきた。
さすがに白米だけだと飽きてくるから、たまに惣菜を買ったりもしていたが、基本的な食事は白米だけ。
俺からしてみれば、胃に入ってそれなりの満腹感を得られて、喉の渇きを潤せれば十分だった。
「……」
出された食事を見つめたまま、どうしたらいいものかと考える。
出来立ての食事は十数年ぶりだ。わざわざ作ってくれたミシェルに対してなにを話せばいいかも、どうやって食べたらいいかも分からない。
「どうした。料理が冷めてしまうだろう。早く食べろ」
「…いや…だが…」
「嫌いなものでもあったのか?」
いつまでも食べようとしない俺に不思議そうにミシェルが訊ねてくる。
「そういう訳じゃないんだが……どうしたらいいかが、分からない」
「…は?どうしたらいいかとはなんだ?」
「他人が作ってくれた料理を食べるのは子供の時以来なんだ」
「両親の料理は食べていなかったのか?お前には両親がいるんだろう?」
「……拒絶されてからは食べていない」
「拒絶?両親と仲がよくなかったのか?」
ミシェルの問いに俺は黙り込む。
今まで誰かに自分の過去を話す事はなかったし、話したいと思う事もなかった。
それは俺が俺以外の誰かを信じなかった事と、他の誰かと関わってくることがなかったからだ。
それなのに不思議なもので、ミシェルには話しても大丈夫かもしれないと直感で感じた。
だけどやっぱり話しずらいことは事実で、中々言葉を発することが出来ない。
「言いたくなければ、無理に話さなくてもいい」
俺の表情を見てなにかを悟ったらしいミシェルが、いつもと少し違う優しい口調で言った。
そして
「やっぱり俺は…この世界でも誰かと上手くやっていくことは難しいのかもしれないな…」
失笑しながら呟く。
すると、部屋の奥に消えたミシェルが戻ってきた。
その手には、俺のものと同じ料理が乗ったお盆を持っている。
再び目の前に座ったミシェルは、テーブルにお盆を置くと、胸の前で手を合わせた。
「いただきます。――食事を摂る時は、“いただきます”といって手を合わせるのが人間達の礼儀だろう?」
「!」
「私はお前の過去は知らない。だからといって、無理に話して欲しいとも思わない。だが、征十郎の顔を見てあまりいい過去ではないことだけは分かる。誰にでも言いたくない事はあるからな。征十郎が話したいと思えた時に話せばいい」
「っ…」
「料理を作った私に対してなにかを言わなければいけないとか、そんなことは考えなくてもいい。“いただきます”と“ごちそうさま”。ただそれだけを言ってくれればいい」
「…ミシェル…」
「それに、なにから食べなければいけないという決まりもない。征十郎が食べたいと思うものを、食べたいと思う順番で食べればいいんだ。難しく考えなくてもいい…ここはお前が住んでいた世界じゃない。過去に縛られず、もっと自由にしていいんだぞ」
そう言って笑ったミシェルに、俺の心は軽くなった気がした。
そうか
難しく考える必要はなかった。
ここは俺が住んでいた世界とは違う。
以前のように、俺を拒絶する人はもう誰もいない。
「――――とう…」
「ん?なにか言ったか?」
聞き取れなかったミシェルが訊ねてくる。
「――ありがとう。ミシェル」
数十年ぶりに笑えた俺の口から出てきたのは、心からの素直な言葉だった。
「――ッ!!」
俺を見つめていたミシェルの顔が赤くなる。
「いただきます」
手を合わせ、まだ湯気の上がっている料理を食べていく。
「美味しい…」
ミシェルが作ってくれた料理はどれも美味しかった。白米も、味噌汁も、新鮮な焼き魚も、スーパーの総菜とは全然違う。
自分のために作ってくれる料理が、こんなに美味しいとは思わなかった。
「そ、そうか…。それならよかった」
ミシェルはというと、ほんのり顔を赤くしたまま、俺から視線を逸らし、もくもくと食べている。
出された料理をすべて食べ終わった俺は、再び手を合わせる。
「ごちそうさま。どれもすごく美味しかった」
「っ…!…食器を片付けてくる…少し待っていてくれ」
「あぁ」
自分の分の食器と重ね、お盆を持って立ち上がったミシェルが足早に部屋の奥へと消えていった。
**
「食後の紅茶を淹れた。場所を変えて少し話をしたいんだが…いいか?」
「あぁ」
ミシェルに付いていき、庭先のテーブルと椅子が置いてあるスペースに移動する。
見たことのない植物や花が沢山植えられている庭には、小さな噴水が付いている池があり、用意された椅子に座れば、非現実の世界と空に浮かぶ無数の星空を眺めることが出来る癒される空間だった。
「食後にこの場所で紅茶を飲む時間が、私の中で至福の一時なんだ」
「そうか…」
淹れたての紅茶を一口
コク深いのにスッキリとした後味の紅茶は、身体に染み渡るような気がした。
今まで紅茶を飲んだことはなかったが、こんなに美味しいものなんだなと、もう一口啜りながら星空を見上げる。
「ヨルノクニでも星を見られるんだな」
「当たり前だ。人間のいる世界と別とはいえ、空だけは繋がっている。むしろ、ヨルノクニで見る星の方が、人間の世界の空よりも近いから間近で綺麗な星たちを見ることが出来る」
「…」
「…」
俺とミシェルは、紅茶が入ったカップを片手に空を眺める。
ミシェルが言う通り、現実世界よりも空の位置が近い。今まで米粒よりも小さく光っている星は見たことがあっても、大きく光る星を見たことはなかっただけにその美しさに息を飲む。
今まで生きてきた中で、こんなにゆっくり星空を眺めたことはなかった。
沈黙の中、先に口を開いたのは俺の方からだった。
「ミシェル…今日は何故、俺を家に呼んだんだ?」
「お前の様子が変だったからだ」
間髪入れずにミシェルが答えた。
「変?…俺が?」
思わず隣に座るミシェルを見る。
自分では、なにがどう変だったのかすら気付かなかった。
「表情に、いつもの私が知っている征十郎の元気がなかった。だから、食料調達の時に、なにかあったのかと思った」
「…いや、特に変わった事はなかった」
トルドの件やモネの件はいちいち話さなくてもいいだろうし、それ以外で変わった事は思い出す限り特にない。
「そうか。特に何もなければそれでいい」
俺とミシェルの間に再び沈黙が流れる。
「もう遅いし、そろそろ帰る」
空になったコップを片手に立ち上がると、俺からコップを受け取ったミシェルが玄関まで見送りに来てくれた。
「征十郎。私はお前の世話係だ。なにかあればすぐに私に話せ。私が出来る限りのことはサポートする。…だ、だが勘違いはするなよ?これもオリビア様から頼まれたから気にかけているだけだからな!」
顔を逸らしながら照れくさそうに言うミシェルに、俺は表情を変えないまま素通りして外に出る。
「考えておこう」
「なっ…!私が嫌いな男相手に親切にしているのに、なんだその返事は!」
ムッとした様子で声を上げるミシェルに振り返る。
「とりあえず今日は世話になった…ありがとう」
「っ……あ、あぁ…」
ミシェルが照れくさそうに視線を逸らす。
口では冷たいことを言っていても、根は優しい。以前にアリアが言っていた言葉を思い出した。
(この世界も…悪くはないのかもしれない)
僅かな街灯に照らされた夜道を歩きながら、ふとそんな事を思った。
**
その頃、神殿から1人の少女が出てきていた。
「ふぅ~~!疲れたぁ。ようやく長期の任務も一息ついたし、しばらくはゆっくりしたいなぁ」
褐色の肌に、明るめのオレンジ色の髪をしたボブヘアーの少女は、背伸びをし終えたところで、ミシェルの家から出てきた征十郎の姿が視界に入る。
「ん?あれは―…」
「へぇ…あれが噂の人間…」
「ミシェルが人間のお世話係になった話はオリビア様から聞いていたけど…まさか家に招待するまでに仲良くなったなんて…ふふっ、これは面白くなってきたかも」
征十郎の姿を目で追いながら、少女は悪戯っぽく微笑んだ。