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3話:異世界-Ⅰ



湿ったような匂い。

鼻をかすめる僅かな獣臭。

遠くから聞こえる、聞いたことのない獣の鳴き声。

蒸し暑く、汗が肌に張り付くなんとも言えない不快感で俺は目覚めた。



「…どこだ、ここは」

辺りを見渡すと、むき出しになった山や岩に囲まれた荒廃こうはいした広大な敷地が広がっていた。


少し先には枯れ果てたような森林帯が見える。

どんよりとした空気の中聞こえる謎の獣の鳴き声に、恐怖心がかきたてられる。


いつ、どこから、なにかが出てきてもおかしくない雰囲気だ。


「そうか…俺、あの悪魔の後を追って来たんだった。日本じゃ見たことのない景色だし、もしかしてここが異世界とかいう場所なのか?」


「あの悪魔のせいで変な所に飛ばされちまったな…」


ふと、悪魔に襲われた時の光景が脳内にフラッシュバックする。

幽霊は見たことがあっても、悪魔を見たのは初めてだった。


圧倒的な力、スピード、身体能力。

あんなバケモノに人間が勝てるわけがない。

俺がこうして生きていられたのは、本当にたまたまだ。


「……まぁ、とりあえず死ななかったのはよかったが…あんな傷を負ってよく生きていられたもんだ。普通、腹に腕が貫通したら即死だと思うんだが」


大量出血していたはずの腹を触って、俺は違和感を覚える。


「…ん?」

そういえばさっきから血が流れている感覚もなければ、痛みも一切感じない。

不思議に思って自分の腹を見てみる。


「えっ…傷が、ない…?どういうことだ?」


(確かにあの時、悪魔の腕が突き刺さっていた。痛みだってあったし…夢ではないはず)


「もしかして、別の世界に来たことで傷が治ったとでもいうのか?……状況がよくわからんが、傷が治っているのはいろいろと手間が省けたし助かった。あんな傷でまたバケモノに襲われたら、たまったものじゃないからな」


次になにかが出てきても対処できるように、近くに落ちている木の棒を武器代わりに拾う。


「いつまでもここにいるわけにはいかないし、少し歩いてみよう」


荒廃した大地を歩き、森林帯の中へと入る。さっきまでいた場所とは違って一気に空気が重くなった気がした。

いかにもなにか出て来そうな雰囲気だ。


「そういえば、ここに来てから一度も幽霊を視ていない…。もしかしてこの世界に幽霊はいないのか?」


まぁ視えないに越したことはないし、視えないならそれでいいんだが。


「この世界は人が住んでいないのか?さっきから人一人いない」


唯一感じる気配といえば、どこからともなく見られているような視線だけ。

薄暗い森林帯の不気味さが、少しずつ増してきているように感じる。


「…離れたところから俺の動きを監視しているのか、襲うタイミングを待っているのか…どちらにしろ、ここを抜けるまで気は抜けないな」


背後と前方、左右を気にしつつ足場の悪い森林帯を更に進んでいくと、少しだけ開けた場所に出た。



「ここなら少しは歩きやすそうな道に――」


開けた場所に辿り着いた瞬間、俺の目の前になにかの身体の一部が飛んできた。



『ギエエエ―――――!ア゛…グェ…ッアギ…ァ…』


「…は?」


ボトンッ!と足元に落ちてきた何かを確認する。

落ちてきたのはバケモノの頭だった。


「っ…!!」


『ガルルル…ッ』

『ガウウッ!ガウッ!ガルルル!!』


肉を嚙みちぎるような音と租借音そしゃくおんが聞こえる。嫌な予感がして、恐る恐る顔を上げた。


「!!」


目の前で繰り広げられている光景に思わず固まってしまった。

やたら図体のデカいバケモノワンコ5匹が、別のバケモノの身体をむさぼり食い散らかしている最中だったのだ。


喰われているバケモノの身体を見てみると、頭がない。

たぶん、今俺の足元に事がっているこの頭は、あのバケモノのものだろう。


「……勘弁してくれ」


まだこの世界に来て30分も経っていないのに、死亡フラグが立つのはさすがに早すぎるんじゃないのか?

そんなことを思っていると、俺の気配に気づいたバケモノワンコ達が、一斉に俺の方を見てきた。


『ガルルル!』

『ガウッ!ガウッ!!』


バケモノを食い散らかしていた名残で、ワンコ達の口元は真緑に染まっている。

…いや、一体何を喰えば血の色がそんな色になるんだ?と現実逃避をしてみるが、現実は変わらない。


「……ここは逃げる方がいいのか戦うべきか」


『ガウッ!ガルルル!ガウッ!!』


生存率を上げるのなら逃げるのが一番だが、しつこそうだし、犬というのは足も早ければ鼻も利く。

例え逃げたとしても、あの数じゃすぐに追いつかれるのは目に見えている。

だからと言って隠れたとしても、匂いですぐに見つかるだろう。

どうしたらいいかと考えていると、ワンコ達が一斉に俺に向かって突進してきた。


「逃げても隠れても助かりそうにないのなら――戦うしか生き残る方法はなさそうだな!」


猛スピードで飛び掛かってくるワンコの攻撃をなんとか避けながら、回し蹴りを喰らわせる。1匹を攻撃すると、別方向から襲い掛かってくるワンコ。今度は木の棒を振りかざした。


『キャイイン!!』


木の棒が顔面にクリティカルヒットしたワンコは、痛そうな声をあげて吹っ飛ぶ。


「なるほど。あんなバケモノ相手でも、一応攻撃は効くのか。だったら俺一人でもなんとかなりそうだ」


目の前で歯をむき出しにしながら、俺を威嚇してくるワンコを挑発する。


「どうした?これで終わりか?」


『ガルルルッ!』

『ガウッ!!』


残りのワンコが今度はバラバラになって突進してきた。

前方から突進してきたワンコを避け、木の棒を後頭部付近に叩きつける。


『ギャイイン!』


吹っ飛んだワンコの方に気を取られていた俺の隙を狙う様に、今度は別のワンコが2匹左右から飛び掛かってきた。団体行動をしている動物なだけあって連携が取れているし、戦い方もわかっている。


「だが…あの悪魔と比べたらこんな犬っころなんてことはない!」


左右から同時に襲ってくるワンコの攻撃をギリギリで避け、回し蹴りと木の棒で反撃すれば『キャイイン!』と声をあげてワンコ2匹が吹っ飛び、地面に叩きつけられる。


「数が多いくせにこの程度か?俺を喰いたいなら、もう少し頭を使ってかかって来てみろ!」


とはいったものの、木の棒という弱すぎる武器しかない中で本気を出されたら、それはそれで困る。

頼むから魔法とか卑怯な方法で戦うのだけはやめてくれ。

俺の挑発にワンコ5匹はむくりと身体を起こし、なにやら顔を見合わせ始める。


「どうした?どうやって戦うか、作戦でも練ってるつもり――…」


言いかけたところで、地面から生えてきたツタのようなものに羽交い絞めにされた。


「ぐっ…!!」

(なんだこれは…ッ!)


赤茶色をしたツタは、俺が知っているツタと比べてもかなり太い。パッと見ても成人男性の腕くらいはある。


ツタを身体から引き剥がそうと暴れてみるが、剥がれるどころか余計に皮膚に張り付いてくる。

まるでツタ自体に意思があるかのようだ。

握っていた木の棒は絡まってきたツタによって地面に払い落とされてしまった。


「しまった…ッ!!」


元から無防備同然だったが、これじゃあ本当の意味で無防備状態だ。


『ガルルルッ!!』

『ガウッ!ガウッ!!』


「なるほど…俺達人間が会話できるように、おまえらも同じ種族同士、なにかしら意思疎通いしそつうする方法があるという訳か」


最初俺の攻撃を受けていたのは、あのワンコ達にとってただのじゃれ合いに過ぎなかったのかもしれない。


「俺を殺す方法でも話し合っているのか?」


ガウガウ言っているワンコ共に声をかけてみるが、もちろん返事などない。


「…さて、どうするか…」


この絶体絶命の状況で魔法なんぞ使われてみろ。

身体の自由が利かなくても敵いやしないのに、今の状況なら尚更即死案件だ。

別の世界に飛ばされたあげく、よくわからんバケモノに殺されることになるとは…

俺という人間は、昔から本当にツイていない。



「この世界に来れば、なにかが変わると思っていたが…やっぱり俺の思い違いだったのかもしれない」


視界には、5匹のワンコが口を大きく開き、俺に向かって魔法のようなもので攻撃しようとする姿が映った。


「あいつ等なら倒せると思ったんだがな…」


死を前にした時、もっと焦って生きることに必死になるかと思っていたが、自分でも驚くほど冷静だった。

この世のものじゃない存在が視える俺は、どこに行っても不必要でいらない存在なのだ。

死んだところで、誰もなんとも思わない。


覚悟を決め、静かに目を閉じる。

遠い記憶の中で、誰かの声が聞こえた。





《――がずっと一緒にいる。征十郎のそばにいるよ?》




その瞬間、ワンコ達の身体から勢いよく炎があがった。




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