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ロストサイトエイト
ぬるかべ
BLファンタジーBL
2024年07月30日
公開日
3,882文字
完結
両親の離婚により「適応値」の下がったリョーイチは療養地のサイト8で暮らす事になる。そこで治療の一環として、別の患者であるコウイチの話し相手をすることになる

第1話

リョーイチがサイト8への一時的移住が決まったのは7月の事だった。医療機関で受けた適応値の検査で、危険範囲と診断されたからである。

両親の離婚が決まると、子供は必ず受けされる検査だった。家庭環境が変わる事でのストレスは多くの論文で証明されている

きみがおかしなわけではないよ。年若い医者はそういった。よくあることなんだ、サイト8は良い所だよ、ゆっくりやすんでおいで。


リョーイチがショックに感じたのは、適応値の減少ではなかった。リョーイチは両親を愛していた。愛されていたとも感じていた。

だから彼ら二人が別れを選んだ時、リョーイチはひどく衝撃を受けた。適応値の減少は彼にとってむしろ愛の証明だった。

ただ、サイト8に移送されるのは憂鬱だった。

サイト8には父方の祖父母が住んでいる。彼らもかつてはリョーイチと同じように都心区域に住んでいた。そこから様々な制約と試験を乗り越えての移住だった。

サイト8とは地方風景を人工的に再現した地域である。民家の数は制限され、森林地区の割合も決まっていた。

居住する人々は一種のロールプレイのように、最新の情報から遠ざかった、牧歌的な人々を演じる事を要求される。

リョーイチの感覚からすれば、作られた街など気味が悪い。しかし、サイト8に対する移住希望者が多いのは確かだった。

だからリョーイチも己の中の違和感を話した事はなかった。


リョーイチもボランティアとかを始めた方がいいんじゃないかしら。祖母が朝食の席でそう言ったのは、リョーイチがサイト8に来て三日目の朝だった。

きっとこの切り出しのタイミングも台本で決まっているのだ。朝食を食べ続けながら、リョーイチはそう思った。

それは良い、ぜひ今日にでもボランティア斡旋場に行こう。間髪入れず祖父が続けた。

リョーイチ、ボランティアは適応値の回復に良い。おまえは良い子だから、すぐに適応値を元に戻す事ができるさ。

最も戻っても、ここにいたいならずっと居て良い。サイト8の子供枠はまだ空いているんだ、

リョーイチは箸をおいて、曖昧に笑った。

ボランティア相談場は、灰色の豆腐のような形をした建物だった。入り口で整理券をとる。間もおかずに番号を呼ばれた。

窓口に座る女の人はやさしげだった。今日はどんな御用で?付き添いの祖父が答える。孫にボランティアの仕事を。

どうしてボランティアなのか、なぜそんなことをしないければいけないのか、聞かれる事はなかった。

そんな事は百も承知だという風に女性はパソコンに何かを打ち込み、一枚の資料を印刷して、リョーイチと祖父の前に置いた

こちらなんて、いかがでしょう。療養所の子の話相手です。おとなしくて良い子ですよ、それに歳が近いんです。

きっと良いお友達になれますよ。と事務員は微笑んだ。祖父も頷いた。誰もリョーイチの意見を聞かなかった。


リョーイチが話し相手を務める少年はオクタ コウイチと言った。歳は14歳。10歳ごろに酷いいじめにあい、適応値の著しい低下が認められた。

そこでサイト8での療養を勧めらた。サイト8に身内のいないコウイチはヨウア療養所に入所し、現在にいたる。

リョーイチの権限で確認できたのは、それくらいの情報と顔写真だけだった。その顔写真も入所前後にとられたものだろう。同い年にしては顔つきが幼い。

ヨウア療養所はサイト8の小高い丘の上にあった。最初の印象としてしては、真四角の白い箱だった。

ある程度古めかしい街並みを管理されているサイト8では異質なくらい近代的な建物だった。

入場管理も自動化されている。相談場の職員につきそわれながら、リョーイチは冷たい廊下を歩いた。

面会室、とプレートが付いた部屋へはいるとオクタ コウイチはもうそこにいた。写真より顔立ちが大人びて、髪が長くなっていた。

コウイチくん、こんにちは。職員があいさつすると、コウイチは口角の左右が揃わない笑みを浮かべた。

その瞬間、リョーイチは奇妙な安心感を得た。この作り物だらけの町で、初めて人間を見つけた気持ちだった。

な、名前が。コウイチはいびつな笑みのまま、リョーイチに向かって言った。目は合わなかった。

名前が、に、似てるね、ぼくたち。緊張して、泣きそうに上擦る声に、リョーイチはそうだな、と頷いた。


リョーイチの仕事はコウイチと話をすること、一緒に遊ぶこと、できれば外へ連れ出す事だった。資料によれば、コウイチは施設の外へ出れない。体が震えて、足を一歩も踏み出せなくなるのだそうだ。

コウイチは思ったよりもおしゃべりだった。というよりも、話し相手に飢えているのかもしれない。療養所の人間たちは気味が悪いくらい優しくて、単調だった。他の入所者は見たことがない。

レクレーションルームでは、ヘッドセットを利用したVRゲーム楽しむ事ができた。今まで住んでいた町では飽きられていたものも、サイト8で遊ぶと新鮮だった。

リョーイチとコウイチは電脳世界で色々な所へ行った。地球の裏側へ行く事もあれば、宇宙へ旅立った事もあった。

ヘッドセットを外すコウイチの頬が赤く染まっている時、リョーイチはゲームに興奮しているのだろうと思っていた。

違うと分かったのは、彼らが一緒に居始めてから少し経ってからだ。

その日もコウイチはヘッドセットを外して、真っ赤な顔をしながら、ああ、とちいさく息を吐いた。

リョーイチと一緒に居ると、なんでも楽しいね。

そこで初めて、彼は何年もこの遊びを続けているのだとリョーイチは気付いた。


きみがこの町を嫌いなのは、分かってるよ。と部屋の窓際に座ってコウイチは言った。雨の降る日だった。

レクレーションルームは調整日で、彼らは部屋で話をしていた。窓についた雨粒が流れていくのを、コウイチは楽しそうに指先でなぞった。

リョーイチには、ここは退屈だよね。違う、とリョーイチはわざと言わなかった。コウイチには自分が感じている違和感を理解してほしくなかった。

ぼくはこの町は好きだよ。コウイチは綺麗に笑って、リョーイチの目を見ながら笑った。みんな同じように、ぼくに優しくしてくれる。

コウイチは自分の過去をリョーイチに話した事はなかった。一体どんな事があったのか、それは想像する事しかできない。

その想像に怒っている自分がいる事にリョーイチは気付いた。

でもリョーイチも好き。リョーイチはぼくをみんなみたいに扱ってくれないけど。おどけるように言うコウイチの事をリョーイチはひどく胸が苦しくなった。

あの頃、きみがいてくれたらよかった。

リョーイチは言えなかった。俺は、今お前がいてくれてよかったよ。そういうのは、とても残酷な事に思えたからだ。


診断は2ヶ月に一回行われる。4ヶ月目の診断で、医師はリョーイチの適応値が適正範囲に戻った事を告げた。

祖父母に告げると、すぐさまに両親へと連絡が行き、リョーイチがサイト8を出る日付が決まった。

それはつまり、コウイチとの別れが迫っているという事だった。

リョーイチはいつもより速足で療養所に向かっていた。もしかすると、と淡い期待があった。2ヶ月に一度検査があるのは、この町にいる子供全員が同じ事だった。

その期待が崩れたのは早かった。療養所に行くと、エントランスホールに珍しくコウイチが座っていた。淡いピンクのソファに座って、彼は指を絡めたり手を閉じたりを繰り返していた。

コウイチ。

名前を呼ぶと、コウイチは素直に顔をあげた。こわばった顔でリョーイチを見て、それから、きっとできるだけやわらかく笑おうとしたのだろう。そんな顔で言った。

おめでとう、リョーイチ。

わずかな沈黙があった。二人とも今の空気を壊さないよう、そろそろと息をした。

ありがとう、と礼を言いたくないとリョーイチは思った。他の誰かに言われたら、きっと素直に言えるのに。コウイチだけには言いたくない。、

あんなにサイト8が嫌だったのに、ここにしかコウイチはいないのだ。

リョーイチはそっと足を踏み出した。コウイチの隣に座って、驚かさないようゆっくりとコウイチの体に両腕を回した。

最初硬かったコウイチの体も、体温がなじむにつれゆっくりとやわらかくなっていた。彼の両腕がリョーイチを抱きしめ返してくれた。

エントランスは静かだった。時計の音も、誰かの足音も聞こえなかった。彼らは長いこと、抱きしめあっていた。


迎えに来たのは父だけだった。分かっていても少しだけ落胆があった。きっとこれから父と二人で暮らすのだ。助手席ではなく後部座席に乗り込んで、リョーイチは体の横に荷物を置いた。

久しぶりだな、元気だったか。父に話しかけられても以前のようににじむような嬉しさはなかった。うん、と短く呟いて、シートベルトを締める。

車はゆっくりと走り始めた。窓の外をこの数か月で見慣れた風景が過ぎ去っていく。

その中に、コウイチの姿を見つけた。リョーイチは驚いて、扉にはりついた。反射で窓をあけて、叫んだ。

コウイチ!


コウイチは道から少し離れたあぜ道に立っていた。リョーイチの声に応えるように、大きく、つま先立ちにまでなって手を振っていた。

リョーイチも窓から身を乗り出してコウイチに手を振った。時々動きがぶれながらも、コウイチは手を振り続けてくれた。

それがどんどんと遠くなる。リョーイチの目頭が熱くなる。


コウイチの姿が見えなくなった。リョーイチは車の中に体をひっこめた。くちびるがわなわなと震えた。

涙がこぼれ落ちてくる。こぼれるに任せるまま、座席の上で丸まって、リョーイチは泣いた。父は黙って運転を続いている。

浅い息を繰り返しながら、リョーイチは泣き続けた。誰も背中をさすってくれる人間はいなかった。

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