空中に待機していたレインBたちが力を失い墜落していくのを、レインは見ていた。
具体的に何が起こったのかはわからない。レインはレインBたちと同調していなかったからだ。
夜霧が即死の力をレインBたちに使ったのだろう。そうでなければ、不死身の吸血鬼が死ぬなどありえないからだ。
砂まみれの地面に激突し醜く潰れたレインBたちはすぐに消えていった。不要となった部位は消滅するようにできているからだ。
「あ、あの、これはいったい……」
人が落ちては潰れていく地獄絵図を見て、エウフェミアが恐る恐る聞いてくる。
「レインBがやられたようだ。同一のテンプレート設定から作られた複製だからか、一つやられればみんなやられてしまったらしいな」
「やはり高遠夜霧には手を出すべきではなかったのです!」
「そうか? 次は少しずつ設定の異なる複製を作ればいいだけのことだろう。そうすれば、一つがやられたところで他へは波及しないはずだ」
現にレインBが死んでも、レインには影響がない。夜霧の力にも限界はあるようだ。
殺意に対する反応についても、状況に応じて微妙に差違がある。そのあたりに夜霧攻略の鍵があるかもしれない。
もう少し調査を進めれば打開方法が見つかりそうだ。だが、手応えを感じたレインは落胆していた。
結局のところ、夜霧では不死身の吸血鬼、オリジンブラッドを殺すことはできないのだ。
レインは夜霧に対する興味を失った。
――クラヤミを始末したようだしな。生かしておいても利用方法はあるか。
賢者に反逆する者は始末しなければならない。だがその掟には単純な抜け道がある。その反逆者を賢者にしてしまえばいいのだ。
だがそれについて考えるのは後のことだ。クラヤミが消滅した今、この地に用はない。
レインは帰還しようとし、そして異常に気付いた。
身動きがまったくできなくなっているのだ。
――何が起こった!?
予想外の現象にレインは戸惑った。これほどの驚きを感じたのは、この世界に来て初めてだろう。
まるで時間が止まっているかのような状況。この現象から、レインは信じがたい可能性に思い至った。
本体が死んでいる。
今、この場にいるレインも、レインBと同じように本体によって作られた複製だ。だがレインBのような即席の存在ではなく、本体とリンクして記憶を共有している。
これが、レインの不死性の正体だ。
本体は安全な場所に存在し、複製を活動させる。複製がいくら壊れようが、即座に次の複製を作成すればいいだけのことだった。
だが、肝心のリンクが途切れてしまっていた。本体との連絡が取れなくなり、最新の状態が反映されなくなっているのだ。
そのため、今この場にいるレインは独立した思考を継続している。
だが、それもそう長くは持たないだろう。この場にいるレインは、本体とリンクすることを前提に設計された存在だからだ。
リンクが切れればこの体は不要とされ、消滅する。それは従属的存在である複製からはどうしようもないことだった。
今のレインは残像のようなものだ。本来なら意識されることのない、同期と同期の間にだけ現れる一時的な存在。
走馬灯現象のようなものなのか、レインはこの一瞬を引き延ばすようにして考えていた。
――レインBから本体まで辿り着いたというのか。
レインは感嘆し、そして安堵していた。
レインBと本体は直接つながってはいない。なのに高遠夜霧は、隔絶した空間に存在する本体を殺しうるのだ。
どんな理屈でそうなるのかはわからない。それはあまりにも理不尽で、馬鹿馬鹿しいまでに強力な力だ。
だが、それでこそだ。
それでこそあの子を救うことができるはずだ。
消え去る直前、レインの心は希望に満ちていた。
*****
一連の事件があった翌日。
夜霧たちは中央広場にいた。
広場のスペースには被災者用のテントが数多く用意され、夜霧たちもそこに宿泊したのだった。
ゾンビ騒ぎに、住民の異常行動に、クラヤミの襲撃。そして賢者による大規模破壊。
どこから手を着けていいかわからず、自暴自棄になってしまいそうな状況だが、リョウタはすぐさま対応を開始した。
被害の状況を把握し、近隣の都市へと応援を要請。被災者を救助し、必要な物資をかき集め、焼け出された者たちに宿泊場所を提供したのだ。
「起こしちゃったけど、大丈夫だった?」
「まだ眠いけどまあなんとか」
夜霧たちは災害対策室として用意された建物に向かった。
中に入り、対策室長であるリョウタの元へ赴く。
「本当にありがとう。昨日は助かったよ!」
寝ていないのかさすがに疲れた顔をしているが、夜霧たちを出迎えたリョウタは満面の笑みを浮かべた。感謝しているのは本当のようだ。
「その、ありがとうって言われましても、賢者? をやっつけちゃってるんですけど……」
知千佳が戸惑い混じりに返した。リョウタは賢者の従者なのだから、喜んでいる場合ではないのではと思ったのだろう。
「いいっていいって。あんな人間爆弾みたいな奴に敬意もくそもねーよ」
リョウタは開き直っていた。
「でも、街は賢者の結界があるから安全だったんですよね? 大丈夫なんですか?」
「そのうち、新しい賢者が担当になるだろ。それまでは壁でも作ってしのぐさ。で、何か用かな。できることは何でもするって言ったけどこの状況だ。少し待ってもらわないといけないこともあるかもしれないぞ」
「はい。私たちすぐにでも街を出ていこうと思ってるんです」
朝になっても寝続けていた夜霧が叩き起こされた理由が、それだった。
知千佳はこの街をすぐに出ていくべきだと強く訴えてきたのだ。
知千佳が心配しているのは、夜霧が一般市民を殺していることだった。夜霧からすれば返り討ちにしただけだが、生き残った市民からすれば複雑な気持ちだろう。
中には敵討ちを考える者も出てくるかもしれなかった。
「それはいいけど、まだ列車は動かないぞ?」
「それなんですけどね、広場にあるトラックをもらってもいいですか?」
「不死機団のか? 確かにあれなら王都まで行けるかもしれんが、そんなんでいいのか?」
「はい。あれって燃料はどうなってるんですか? この世界ってガソリンとかあるんでしょうか」
「この世界の車は魔力で動いてるな。魔石って形で使うから、別に魔法が使える必要はないよ。わかった。ちょっとだけ待ってくれ。出発前に整備してやる」
そういうことになった。
*****
さらに翌日の朝。
知千佳たちがトラックのところへやってくると、大量の物資が運び込まれているところだった。
トラックは無骨な長方形をしていて、タイヤが六個付いている。軍用の装甲車をモデルにこの世界で開発されたものだ。
「いいんですか? 街がこんな状況なのに」
知千佳は申し訳ない気持ちで、運搬作業を指揮しているリョウタに話しかけた。
「いいんだよ。あんたらがいなけりゃ、街の被害はこんな程度じゃすまなかったはずだ」
「俺らが来なかったら、こんなことにはなってなかったかもしれないけど」
「ま、それは言っても仕方がないな。もともと賢者様のなさることにたいした理由なんざないから、レイン様のやったことの原因があんたらにあるかなんてわかりっこない。マサユキがやったことに関しちゃ、あんたらが街にいるかどうかは関係なかったしな。それに侵略者は賢者様とは関係なく襲ってきたかもしれない」
そういうものかと夜霧は納得した。
「よし、積み込みは終了したな。必要そうなものを用意しておいた。魔石も余裕を持って入れておいたから、王都までなら十分もつだろう」
リョウタが物資や、トラックの基本的な事柄について説明する。夜霧はさっさとトラックに乗り込んでしまったので、知千佳がそれを聞くことになった。
「何から何までありがとうございました」
「じゃあな。崖から落ちないように気をつけろよ」
リョウタが手を差し出す。握手をして二人は別れた。
知千佳がトラックに乗り込むと、助手席にはすでに夜霧が座っていて、携帯ゲームをプレイしていた。
「って、運転しないの!? マリカー得意とか言ってたじゃん!」
知千佳は、運転は男がするものだとばかり思い込んでいた。
「得意じゃないよ。やったことがあるって言っただけだ。俺、カーブでいつも壁にぶつかるんだけど、そんな奴が運転してもいいのか?」
「ブレーキ踏んだらいいと思うよ!?」
夜霧に運転は任せられない。
知千佳は夜霧を乗り越えて、運転席に座った。
「でも私も実物は触ったことないんだけど、大丈夫かなー」
『なに、我が壇ノ浦式走行術を伝授してやるから大船に乗ったつもりでいるがいい』
「その何にでも壇ノ浦式ってつける安直なのやめてくれない!?」
ちなみに壇ノ浦式フライングボディプレスなる技も存在していて、姉の得意技だった。
『戦車だろうがヘリだろうが運転方法なら熟知しておる! 壇ノ浦を舐めるでないわ!』
「うちの家、いったい何をしでかすつもりなんだろ……」
恐ろしい可能性に気付きそうだったので、知千佳は途中で考えるのをやめた。
もこもこの指示に従ってエンジンを始動する。内部で魔法が働いていようと、操作体系や計器類は一般的な車とそう変わらないようだった。
恐る恐るアクセルを踏み込むと、トラックはゆっくりと動きはじめた。
「えーと、出発!」
知千佳は片手を上げて元気よく号令する。
「……ってなんか反応してよ!? 一人ではしゃいでるみたいになってんだけど!」
「がんばって」
夜霧はゲーム機から目を離さずに言った。
「はいはい、がんばりますよ!」
まずは峡谷へと向かう。目指すはその先にある王都だった。