マサユキの目を通して不死機団の全滅を確認したレインは同調を解除した。
念のためではあるが、遠距離でも殺された支配者の例がある。マサユキへの力の行使が、レインにまで及ばないとは言い切れない。
「ご主人様のやりようはひどく危ういかと思うのですが。見ているだけでも影響があるかもしれません」
側にいるエウフェミアが進言した。彼女は夜霧を過小評価していないようだ。
「エウフェミア。お前は高遠夜霧をどの程度の脅威だと見積もる?」
「賢者や剣聖、神話生物以上かと。高遠夜霧にはこれ以上関わるべきではないと思います。今ならば、彼の関心はこちらにはないでしょう」
「つまり、逃げろと? それはできんな」
賢者による支配体制において、賢者は絶対の存在でなければならない。その命が脅かされることなどあってはならないし、その可能性があることすら下々の者に思わせてはいけないのだ。
思うがままを為せ。
大賢者が賢者たちに与えた言葉だが、そうは言うもののいくつかの禁止事項がある。
その一つが、賢者の絶対性を揺るがすような行いだ。
別に敵を無視しようが、逃そうがそれは構わない。それで賢者の絶対性が脅かされないのならばだ。
今回のケースはそれらとは異なる。一度手を出してしまった以上、ここで引くのは賢者の沽券に関わるのだ。
故に、彼女は高遠夜霧と何らかの決着を付ける必要があった。
「ですが、いったいどうするというのですか?」
おずおずとエウフェミアが尋ねる。それはレインにとって新鮮な反応だった。眷属と化した彼女は忠実な部下で、その誠心は疑いようもない。その彼女がレインの身を本気で案じているのだ。
こんな態度を取られるのは、賢者となって以来初めてと言ってもよかった。つまりエウフェミアは、レインよりも高遠夜霧のほうが強いと考えているのだ。
「とりあえずは、奴の限界を知りたいところだな。それを今から試すことにしようか」
ここからなら街の結界には手が届く。それを利用すれば、街中に影響を及ぼすのは比較的簡単なことだった。
*****
『精神操作の類だな。もちろん、お主への攻撃は我が防御しておるのだが』
もこもこが言うように、街の住民は何かに操られているようだった。
「じゃあ高遠君とリョウタさんは?」
「カウンターを警戒してるんじゃないかな」
「俺もまあ、一応賢者の従者としてそれなりのレベルだからな。こんな十把一絡げの大雑把な精神攻撃は効かなかったりするんだが……」
リョウタの歯切れは悪かった。これがレインの攻撃だとすれば、レインの部下であるリョウタの立場は非常に危うい。そう思ったのだろう。
「けど、ここからどうするつもりなんだ?」
完全に囲まれているため逃げようがない。だが、彼らは取り囲む以上のことをしようとはしなかった。
住民を皆殺しにして立ち去ることは可能だ。しかし、夜霧としても操られているだけの住人を一方的に虐殺する気にはなれなかった。
「操られてるんだとしたら、操り元を攻撃するとかはできないの?」
「橘の時とはちょっと違うかな。あれは群体みたいなものだったから」
しかしこのまま立ち往生しているわけにもいかない。試しに何かしてみるかと夜霧が考えたところで、周囲に動きがあった。
一人が飛び出してきたのだ。ナイフを振りかざし、夜霧に向かって真っ直ぐに突っ込んでくる。
そこには明確に殺意があり、夜霧は力の行使を躊躇わなかった。
次は二人。前後から同時。
それに対処すれば、次は四方から四人だった。
「こんな感じのことは前にもされたことがあるよ。俺の力を探ってる奴で、多少目端の利く奴はいろいろと試してくる」
知千佳への殺意を感じて、夜霧はその元を殺した。
リョウタへの殺意にもとりあえずは対処する。
「リョウタさん。もうちょっとこっちに寄っといて。あんまり離れてると対応が難しい」
「いいのか? 俺レインの部下なんだけど? 殺されても仕方がないかと思ってたんだが」
リョウタは、意外なことを言われたという顔になっていた。
「何もしてない人を殺したりはしないよ。ま、守れるのもこっちが余裕を持って対応できる間だけだし、リョウタさんが何かしたら反射的に殺すとは思うけど」
遠くで発生した殺意にも対応する。魔法か飛び道具なのだろう。距離もいろいろと変えて、こちらの出方を試しているようだった。
「ちょっとむかついてきたな」
身を守るために殺すのは仕方がない。だが、無関係の者を操って、あれこれ実験するというのはさすがに腹が立ってきた。
どんな現象なのか、囲みの中に入ってきた人間が爆発した。
体はバラバラになり、血しぶきや、肉片が飛んでくる。夜霧はその中に紛れていた鉄片をかわした。返り血は浴びてしまったが、それで傷を負うようなことはない。
「こんなの終わんないじゃん! どうしたらいいっての!?」
「終わらせるだけなら、どうにでもできるんだけどね」
夜霧はちらりとリョウタを見た。その顔は苦渋に歪んでいる。その表情から、街の住民を大切に思っていることが伺えた。
賢者の部下にしては、ずいぶんとまともな人間だと夜霧は考えた。
「これも計算のうちだってんなら、たいしたもんだ」
夜霧はぼそりとつぶやいた。何も通用しないと判断した敵は、最終的に夜霧の情に訴えかけてくるようになる。この段階でそれを考慮している敵だとすれば油断はできない。
このまま住民をけしかけ続けるだけではすまないだろう。次の手があるずだと夜霧は考え、そして強烈な殺意があたりを覆いはじめていることに気付いた。
「どしたの? すごい嫌そうな顔してるけど」
「急激にこのあたりを覆う殺意が上昇してる。普通は相手から黒い線が伸びてくるように見えるんだけど、今は黒い靄みたいなのが辺りに漂ってるように見える」
ロボットと分かれてこの街へやってくる途中に感じていたものに近い。街に近づくにつれ減っていき、街につくころにはほとんど感じていなかったそれが、またもや危険域に達しようとしている。
「あー、あの危険予報的なやつ?」
「予報的に言えば五十%を越えてるな」
「それ天気予報なら、大体雨が降るやつだよね!?」
知千佳が慌てて辺りを見回す。
「……なんか……乾燥してる?」
それは微妙な違和感でしかなかったが、言われてみればそうとしか思えなくなってくる。
風が、乾いていた。それに、どこか空気がざらついているようにも感じる。
「って、あれ何!?」
知千佳が慌てて遠くの空を指差した。
指差す先を見てみれば、人の形をした黒く巨大な何かがそびえ立っている。
それは、ゆっくりと街に向かってきているようだった。
「……まさか……侵略者……。あれが、クラヤミなのか?」
呆然となったリョウタがそう漏らした。
「知ってるの!? てか、侵略者ってロボなんじゃないの?」
「クラヤミは最近あらわれた
遠くから悲鳴が聞こえてきた。
さすがに全住民がレインの支配下にあるわけではないのだろう。クラヤミに気付いた者たちが、広場に逃げ込んできているようだった。
クラヤミはあっさりと街に踏み込んできた。結界は、クラヤミに対してまるで効果を発揮しなかったのだ。
クラヤミの巨体が遠くに見える高層ビルに重なる。ビルは一瞬で消失した。
「くそったれが! おかしくなった住民に囲まれてる上に、今度は侵略者だと!? どうしろってんだよ!」
リョウタが、やりきれないとばかりに泣き言を喚く。
たとえその動きがゆっくりに見えたところであの大きさだ。人と比較すればその移動速度はとても速く、今から警報を発しても避難は間に合わないだろう。
殺意を示す影はますます濃くなっていき、それはこの広場にクラヤミがやってくることを伝えていた。
*****
一通り試したが、高遠夜霧への攻撃は全て事前に察知されることがわかっただけだった。
直接襲いかかった者はもちろん、遠距離から矢や魔法で狙っても攻撃前に殺されてしまっている。
夜霧の視界に入っているかはまったく関係がなく、街の端からでも対応されてしまっていた。
「直接で駄目なら、間接的にならどうだ? 殺戮を意図せず、結果的に奴らが死ぬような事象を引き起こせばいい」
たとえば誤射や流れ弾だ。それらは夜霧を殺そうと考えてのものではないだろう。
他にも範囲攻撃に巻き込むだとか、時限式の爆弾を使うなども考えられる。
実際に殺傷能力のない血しぶきなどは夜霧に届いていたのだ。
「ですが、そのような仕掛けを今から用意するのは可能でしょうか?」
「お前も知っていることだが、都合のいいことに侵略者が街に向かっている。あれを利用することにしよう」
レインは、何が殺意と判定されるのかをもう少し調べたいと思っていた。だが、クラヤミを利用するならこのタイミングは逃せない。
「確かに、あれにまきこまれては、ただの人間ではひとたまりもないとは思います。ですがそううまくいくでしょうか」
エウフェミアは半信半疑という様子だった。夜霧ならあのつかみ所のない侵略者をも殺しかねないと思っているのだろう。
「さて。あまりのんびりとはしていられないな」
エウフェミアが驚きに目を見張った。瞬く間にレインが二人になったからだ。
寸分違わない二人が並ぶ光景。それはこの場に鏡でもなければありえないことだろう。
「私はこの身を完全に焼き尽くされたとしても瞬時に復活できる再生能力を持っている。それを応用すればもう一人の自分を作りだすぐらいは造作もないことだ」
「そ、その、ご主人様の偉大なるお力のことはわかったのですが……それはいったいなんのためなのでしょうか」
「そうだな。それは私も聞きたい」
見た目で区別はつかないが、聞いたのは新たに現れたほうのレインだろう。
「なに。こいつのことはレインBとでも呼ぼうか。Bは私の複製なのだが、ある人物に関連する一連の記憶がごっそりと抜け落ちているのだ。そう設定したからな。つまりその人物に対して殺意など抱きようがないというわけだ」
これは念のための措置だった。殺そうと考えただけで、反撃される可能性を考えたのだ。
「ふむ。まるで意味がわからないが、私にはこうする理由があるということなのだろう」
「お前は、上空に浮かび上がり待機。合図に応じて全力で街に突撃しろ」
レインBは言われるがままに空に浮かび上がった。自分の言うことだ。わけがわからずとも疑問には思わないのだろう。
レインは次々に複製を作りだし、空に浮かべていった。その総勢は百を越える。それだけの数の赤いドレスを着た美女が宙に舞う光景は、実に壮麗なものだった。
「あの、突撃するということですが、魔法攻撃などでは駄目なのでしょうか?」
エウフェミアが疑問を呈する。ずいぶんとまどろっこしい方法だと思ったのだろう。
「ああ。私はそれほど魔法が得意ではなくてな。このまま突っ込むほうがよほど威力があるのだ」
それがレインの特性を生かした作戦だった。
レインの空中機動速度は音速を軽く超える。その突撃を常人が見切ることはできないだろう。
全力で特攻し、吸血鬼としての類いまれな膂力を手当たり次第に叩き付ければいい。目標を定めずとも、その余波だけで街全体に打撃を与えるはずだ。
レインは住民どもに攻撃をやめさせた。
そして、無数の目で夜霧を観る。
それは、夜霧がクラヤミに対して力を放つ瞬間を見定めるためだった。