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第32話 何ができて、何ができないのかを検証したいところだな

 橘裕樹が倒れている。

 回復術士のステファニーが慌てて回復魔法をかけているが、何の反応もなかった。

 健康に不安はなかったはずで、今も倒れる直前まで何の兆候もなかった。彼を害そうとする者などこの場にはいないし、事実誰も何もしていない。

 だが、彼は間違いなく死んでいる。

 それを悟ったステファニーは、裕樹の死体にすがりつき身も世もなく泣きはじめた。

 彼女は奴隷市場から買われてきた。

 裕樹の元に来なかった場合の境遇を考えれば、支配者などという胸くその悪い能力に支配されていたとしてもまだ幸せだったのだろう。彼女は純粋に裕樹を悼んでいた。さすがです! などとおべんちゃらを言っていたが、この様子ならそれも本心から言っていたのかもしれない。

 恐怖に震えつつその様子を見ていたエウフェミアだったが、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。

 何の前触れもなく、いつ殺されてもおかしくはないと怯えていたが、夜霧は支配されていた者たちまで殺すつもりはないようだ。

 エウフェミアは冷静に己の身を探った。

 支配されている感覚はない。裕樹の死体を見てもざまあ見やがれという感想しか思い浮かばなかった。

 そして内在しているエネルギー、ソウルの量が格段に増えていることにも気付いた。

 裕樹が有していたソウルが拡散され、周囲にいた二人がそれを吸収したのだ。ほとんどは大気に溶けてしまったが、その一部であったとしても裕樹のソウルは膨大だ。その恩恵は計り知れなかった。


 ――さて、どうするか。


 ただ死んだ程度でこの男が許されていいのか。エウフェミアは裕樹を睨み付けた。

 その四肢を引き千切り、内臓を引きずり出し、原型を留めないほどに破壊し尽くしたい衝動に駆られている。

 エウフェミアの部族には死者を貶める風習があった。敵対部族の墓を暴き死体を損壊してさらすのだ。怨はそのようして晴らすものだと教えられてきた。


「いいわ、それはあなたにあげる」


 だが、そうしようとすればステファニーが黙ってはいないだろう。彼女はエウフェミアと同じく裕樹の被害者だ。恨みなどないし、戦う必要はどこにもない。


「え?」


 ステファニーがわけがわからないという様子でエウフェミアを見上げた。同じく裕樹の死を悲しんでいると思っていたのだろう。


「あなたもわかっていると思うけど、私たちは支配から解き放たれた。だから私にはその男に対しての忠義心は微塵もない。私は行くけど、あなたはどうするの?」

「それは……」


 ステファニーが途方にくれたような顔を見せた。だが、エウフェミアには彼女の面倒を見なければならないほどの義理はない。


「じゃあね」


 迷うステファニーを置いて、エウフェミアはここを出ていくことにした。ここは遺跡の地下一階だし、ステファニーも十分に強い。一人で残ってもたいした危険はないだろう。

 出口へと歩きながらエウフェミアは考えた。

 当面の目標は、部族の仲間と合流し、里を復興することだ。仲間たちが生きているなら、里に戻ってくるだろう。

 エウフェミアの部族は基本的な能力が高かったので裕樹も重用していた。使い捨てにはされていないはずだ。

 そう悲観的になることはない。これからいくらでもやり直せる。

 そう思えば足取りも軽くなり、一刻も早くこんな薄暗い遺跡など抜け出したくなってくるが、妙なことに気付いた。

 やけに喉が渇くのだ。

 エウフェミアはすぐにあたりが乾燥しているのだと気付き、入ってきた時とは様子が違うことに思い至った。

 この遺跡は原生林の中にある。遺跡内部も湿度は高く、じめりとした雰囲気だったはずだ。

 それがずいぶんと埃っぽくなっている。床を見てみれば砂のようなものが堆積していた。

 地上への階段が見えてきたところで、エウフェミアは警戒心から足を止めた。

 太陽光が階段を照らしだしていたのだ。遺跡の地上部には二階建ての石造建築物がある。ここまで陽の光が届くはずがない。

 乾いた風が吹き込んできていた。地上で何かがあったのは確実だ。

 しかし、いつまでも遺跡に留まっているわけにもいかない。

 エウフェミアは意を決して階段を上っていく。

 地上に出る。そこには半ば予想どおりの光景が広がっていた。

 何もなかったのだ。

 そこにはただ、辺り一面を覆う砂があるだけだった。

 遺跡も、鬱蒼とした原生林も、何もかもがなくなってしまっていた。


「なんなの、これは……」


 あまりのことに理解が追いつかない。

 当たりを見回す。すぐに目に入ったのは黒く巨大な何かだった。

 ぼんやりとしていて境界のはっきりとしない、人の形をした黒い靄のようなものだ。あまりにも禍々しい気配を漂わせるそれは、街へと向かっているようだった。

 振り返って見れば、原生林が一直線に砂地と化している。どうやらその影の巨人が通り過ぎたところに異常が発生しているらしい。

 侵略者。

 どこからともなくあらわれる、何を目的としているのかもわからない存在。この世界の者なら誰もが恐怖を覚えるはずだが、エウフェミアは安堵していた。

 それは彼女のことなどまるで気にしてはいなかったからだ。

 遺跡の地下にいたおかげで助かったらしいし、まっすぐに街に向かっているのだからこのまま逃げ去ればいい。


「ほう? どこからあらわれた? もしかしてクラヤミの攻撃に耐えたのか?」


 再び前を向くと真っ赤なドレスを着た女が立っていた。そして、エウフェミアは、自分は助かってなどいないのだと悟った。

 その姿を見ただけで、その気配を感じ取っただけで、弱者にはわかる。

 それは天敵で、捕食者で、魂の陵辱者なのだと。


「たいした力はなさそうだが……どうにもしようがなくて困っていたところだ。話を聞かせてもらおうか」


 戦うなど論外だ。何を置いても逃げなければならない。

 だが、女の目を見た瞬間からエウフェミアの体は動かなくなっていた。

 魅了。

 一切の抵抗を許されず、瞬時にして魂を鷲づかみにされていた。

 女が近づいてくる。エウフェミアは自ら首筋を差し出し、彼女の口付けを受けた。

 そして、彼女がオリジンブラッドと呼ばれる最上位吸血鬼であり、賢者レインであることを知ったのだった。


  *****


 相性が悪い。

 クラヤミと相対してすぐにレインはそれを思い知った。

 クラヤミは曖昧すぎるのだ。どこからどこまでがクラヤミなのかすらもはっきりとはしない。それがなんらかの生物なのか、そもそも意思を持つ者なのかすらわからなかった。

 近づいて殴りつけようと、霞を叩いているようなもので、まるで手応えがなかった。

 そしてクラヤミに触れればその部分は風化する。一瞬で乾き、崩れ、砂と化すのだ。幸い、レインの不死身性はその程度の攻撃はものともしない。崩れる側から再生していくのだが、それではただやられないだけで決め手がなかった。

 レインは吸血鬼だ。

 血を吸い、仲間を増やして支配する。超再生能力と極端なまでの膂力。見ただけで相手を魅了する魔眼。変身能力に飛行能力。様々な能力を併せ持ち、これといった弱点のない存在。

 だが、それではクラヤミを倒すことはできなかった。

 思えば、全ての魔法を自在に操るサンタロウは、クラヤミと相性が良かったのだろう。クラヤミに対しても有効な対応ができていたからこそ、一度は追い払うことができたのだ。

 レインは膨大な魔力こそ持つものの、魔法はそれほど得意ではない。一通りの回復魔法と賢者としての結界魔法。あとは初歩的な攻撃魔法が使える程度だ。

 結局、クラヤミはまっすぐに進んでいき、レインはそれを押しとどめることができなかった。クラヤミがレインを認識していたかすら怪しい。

 そんなどうにもならない状況で、レインは銀髪の少女を見つけた。

 荒れ果てた砂地に呆然と佇んでいたのだ。

 取るに足らない存在としか思えなかったが、この場にいて無傷なのが気になったので、レインは少女を眷属化した。

 話を聞くだけなら魅了をかけるだけでも事足りるが、魅了状態では思考が曖昧になり受け答えが散漫になる。事情聴取をするなら眷属化するのが手っ取り早いのだ。

 話を聞いてみれば、この少女、エウフェミアは地下遺跡にいただけのことだった。

 レインは落胆しかけたが、身の上を聞いてみれば賢者候補に関わりがあることがわかった。しかも高遠夜霧たちとも接触があったという。


「ほう? その場にいなくても殺せるのか」


 眷属と化したエウフェミアは嘘をつけないので、少なくとも見聞きしたことは事実だ。

 ならば夜霧は距離が離れている相手でも殺せるということになる。


「ここから街までは十キロほどだな」

「さようでございます」

「最低限でもその距離は届くということか」


 レインはエウフェミアから知りうる限りの情報を得た。

 夜霧が言うには、思っただけで相手を殺すことができるという。

 その対象は人間に限らず、魔法で生成した物体や、操られている人形なども該当する。

 基本的には視界内の敵を殺しているが、隠身している相手も、距離の離れた地下にいた者も殺している。

 害意を察知できるということだったが、その対象範囲は馬鹿馬鹿しいほどに広い。

 裕樹が殺せと命令した途端に死んだのも察知能力のためだろう。実に厄介な能力だった。これでは遠距離から狙おうとしても、殺意を抱いただけで殺されてしまうことになる。

 つまり夜霧の力は単純な即死魔法などではない。もっと始末の悪い何かだ。


「何ができて、何ができないのかを検証したいところだな」


 不死機団の襲撃は無駄に終わるかもしれないとレインは考えた。

 単純に刺客を送り込むだけでは時間と資源の無駄だろう。だが、どうせ殺されるにしても、そこから夜霧という少年を見定めねばならない。

 その能力の範囲を、威力の規模を、性質を。

 その性格を。何を好み、何を嫌い、何を無視するのかを。


「もっとも知りたいのは、この私をも殺せるか、だが」

「何かおっしゃられましたか」


 レインのつぶやきに、エウフェミアが耳ざとく反応する。眷属と二人きりとはいえ、気を抜きすぎたとレインは自省した。


「気にするな。まあ、いくら夜霧とやらを調べたところで、無駄に終わるかもしれないがな」


 侵略者であるクラヤミが、夜霧たちのいる街へと向かっている。

 このまま放っておけば、クラヤミの進路上で生き残る者は皆無だろう。賢者の結界が侵略者に通用すればいいが、結界はあくまで魔物避けにすぎない。クラヤミの力に対抗できるかは疑問だった。


「さて、クラヤミが街に入ってくれるなら、別の手立てもあるが」


 街を犠牲にしていいのなら、クラヤミへの対抗手段はいくつか思い浮かぶ。だが、レインはすぐにそれを使うつもりはなかった。

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