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第30話 一方的に何かできるほど世の中は甘くない

「ぎゃあああああああ!」

『もう少し可愛らしい悲鳴を上げられぬものか?』


 知千佳が喉も裂けるような大声で叫んでいた。

 ホテルの二階。人形遣いチェルシーの尋問を終え、そのまま非常階段を下りているところだった。


「ああ、ゴキ――」

「言わないで! なんかその単語で脳内が埋め尽くされる気がしてくるから!」


 夜霧の言葉を慌てて知千佳が遮った。

 非常階段の側面にある壁。そこにはゴキブリを中心に、大量の虫がへばりついていた。

 それらはぴくりとも動かずに壁面に留まり続けている。


「虫とか小動物も支配下に置いてるってことだから、俺たちを監視しにきたんだろうな」


 昆虫がどこを見ているかなどわかったものではないが、夜霧はなんとなく視線を感じていた。


「なんとかなんないの!」

「そうだな。こいつらを全滅させるぐらいなら――」

「殺っちゃって! 今こそ高遠くんの力を正しいことに役立てる時!」


 知千佳は食い気味に即答した。


「殺すのはいいけど、多分壁からぽろぽろと剥がれ落ちて、階段の上に転がってくることになるんじゃ」


 殺せば死体は残るし、それが邪魔になることもあるだろう。踏みつけて歩くぐらい構わないと夜霧は思っているが、知千佳はそうではないようだった。


「事態が悪化するビジョンしか見えない! それ却下で!」

「けど、このままだと、飛びかかってきたりしないかな? こいつらでも、人間を殺すぐらいは可能だと思うけど」

「いやいやいや、ジョージたちは気色悪いけど、さすがに人が殺せるとかってことはないんじゃないの!?」

「ジョージって、こいつらのこと? こんだけいれば殺せるんじゃないかな。たとえば大量に口から入ってきたら窒息するだろうし、内部に侵入して内臓を食い荒らすとか」

「……橘裕樹……お前は完全に私を怒らせた!」


 具体的に想像してしまったのか、知千佳はおかしなテンションになっていた。


「今のところは様子見って感じだからこのままここを出よう」

「もし飛びかかってきたら?」

「殺すけど……死体はそのままこっちに飛んでくるね」

「そうなったら私、わけわかんなくなるかもしれないけど、後はよろしくね」


 ほとんど目を閉じているといっていい知千佳の手を引きながら、夜霧は慎重に階段を下りていく。虫たちの触角は夜霧たちの動きに追随していた。やはり夜霧たちを観察しているようだが、今のところ攻撃をしかけてくる様子はなかった。


「橘裕樹を殺そう」


 今の状況について検討した夜霧は、その結論に達した。


「あー、そうね。今なら止めないけどね」


 知千佳が苛ついた様子で言うのが意外だったが、虫を送り込んできたことがよほど腹立たしいのだろう。


「支配者は厄介だ。このまま放っておけば、世界中が敵に回ることになる」


 人形遣いから支配者の能力についてさらに詳しく聞きだせた。

 橘裕樹自身が説明していたとおり、配下は加速度的に増えていくし、その全てをコントロールできる。また、奴隷が得るエネルギーをかすめ取ることで自身のレベルも加速度的に上がっていく。そのうえ、奴隷と知覚を共有することや、そのスキルを借り受けることもできるらしい。

 夜霧たちに対してだけではなく、この世界の人間にとっても橘裕樹という少年は最悪の存在だろう。このまま放っておけば世界の大部分が裕樹の支配下となってしまうはずだ。


「橘くんは街の外で私が来るのを待ってるんでしょ? そっちに行くってこと?」

「俺の考えてるとおりなら、そんなに手間はかからないと思う」


 夜霧たちが一階と二階の間にある踊り場に辿り着いたところで、変化が訪れた。

 昆虫たちがざわめきはじめたのだ。


「なんかすごい嫌な予感がするんだけど!」


 殺意。昆虫たちのそれが夜霧には見えた。

 回避しようがないほどの黒く細い線が無数に突き刺さってくる。

 それらは一つの意思に統一されているのか、いっせいに飛びかかるタイミングを推し量っているようだった。


「殺す気満々で虎視眈々と狙ってるって感じか」

「やっぱりね! いや、もう、踏みつけるのは仕方がないとしてさっさとやっちゃってくれないかな! これにたかられるとか死ねる自信があるんだけど!」

「ま、俺もたかられるのは嫌だけど」


 力を使うことに迷いはなかった。

 放っておけば敵はいくらでも増えていき、それらが四六時中襲いかかってくることになるのだ。いくら殺意を感知できても、その全てに対処し続けるのは面倒すぎる。

 それに、裕樹の支配が進めば、夜霧たちが自由に行動できる範囲は狭まっていく。そうなれば今までのようにのんびりと元の世界に帰る方法を探すだとか、クラスメイトと合流するなどと言っていられなくなるだろう。


「死ね」


 夜霧は力を放った。

 だが、虫たちには何の変化も見られなかった。


「ここにきて、まさかの不発!?」


 頼みの綱の夜霧が役に立たない。そう思ったのか知千佳はあからさまに動揺していた。


「不発の可能性がないとは言わないけど、これまでのところ俺の力が通用しなかったことはないよ」

「だったら!」

「ちょうどよかったから、橘を殺した」

「はい?」


 まさかここにいない裕樹の名前が出てくるとは思わなかったのだろう。知千佳は固まった。

 夜霧は、殺意の大元である裕樹に対して力を放ったのだ。

 たとえばどこかの誰かが夜霧に対して殺意を持ったとしよう。それだけでは夜霧の力はその誰かには届かない。

 それはその誰かが、配下の者に指示を出しただけの場合も同様だ。配下の者がやってきて夜霧を殺そうとしたところで、夜霧の力が及ぶのは、やってきた実行犯のみということになる。

 だが、支配者の場合は事情が異なった。

 支配者の力の本質は、群体を作り上げる能力だからだ。裕樹を頭として、配下の者を手足とする能力。だからこそ、配下を利用しても仲間を増やすことができる。配下となった者は裕樹の一部なのだ。

 よって裕樹の殺意は配下を通して夜霧にまで届く。そして夜霧はそれを逆に辿ることができた。


「橘が虫を操って俺を殺そうとしたから、返り討ちにしたんだけど」

「相手がどこにいるのかわかんなくても通用すんの、その力!?」

「向こうの手が届くってことは、こっちの手も届くってことだよ。一方的に何かできるほど世の中は甘くない」

「なんか世の中って、高遠くんにだけ、激甘な気がするんだけど!?」

「そうかな? 日本では結構厳しかった気がするんだけど、世の中」

「それは今どうでもいいとして、こいつら急にアクティブになってるんですが!」


 壁に張り付いている虫たちが乱雑に動きはじめていた。もう殺意は感じないので、それらの行動は夜霧たちを狙ってのものではないのだろう。


「橘が死んで、支配から解き放たれたってことかな」


 能力者の死亡でスキルの効果は無効になるようだった。


「いやいやいや、それまずいって!」


 上ずった声で知千佳が叫ぶ。

 虫がそこらを飛び回りはじめていた。支配されていようとなかろうと、その存在自体が知千佳にとっては気持ち悪いのだろう。


「走ろう」

「殺さないの!?」

「不愉快ってぐらいで生き物を殺すのはよくないんじゃないかな?」

「この場面でそんな正論は言ってもらいたくなかったよ!?」


 夜霧たちは階段を駆け下りた。出口はすぐそこだった。


  *****


 非常口から出るとそこはホテルの裏側だった。建物の合間なので少々薄暗いが、日暮れまでにはまだ時間はある。

 知千佳がすぐさま扉をしめた。

 どうにか虫の襲撃から逃れられた。だが、慌てて逃げ出す必要はなかったかもしれない。虫が意味もなく人を襲うはずはないからだ。


「あ、もう逃げる必要ってないんじゃないの?」


 冷静になってきたのか知千佳がそんなことを言いだした。


「橘が死んだから? けど、人間の部下が仇討ちに来るって可能性はあるかもね」


 何にしろ逃げたほうがいいだろうと夜霧は判断した。

 もしかしたら、支配とは関係なく裕樹を慕っていた者がいるかもしれない。少なくともこのホテルを使い続けるのはいろいろと問題がありそうだ。


「じゃ、やっぱり逃げる?」

「もう王都に向かったほうがいいかな」


 そのほうが後腐れがない。二人はそう決断した。

 狭い裏路地を進み、大通りへと向かう。二人はすぐに異常に気付いた。

 通りが妙に騒がしいのだ。

 街の喧騒といった雰囲気ではない。怒号に絶叫。何かの割れる音に、潰れる音。明らかに異常な何かが起こっていた。


「何だろ? ただごとじゃない感じなんだけど」


 だが路地にいたままでは何もわからない。二人は大通りへと出た。


 人が、人に喰い殺されていた。


「はい?」


 驚きのあまり知千佳は固まった。夜霧にとってもそれは予想外の光景だった。

 それらは餓えていた。

 倒れた人に、歪な人影が群がって貪り食っている。

 逃げる人々に追いすがり、しがみつき、絡みついていた。

 それらは、人が立て籠もっているのであろう建物にも大量に押し寄せ、バリケードを力尽くで破壊しようとしていた。

 頭蓋が陥没した者。

 腸をこぼし、引きずり歩く者。

 上半身だけで、這いずるように蠢く者。

 呻き声を上げながら人に襲いかかるそれらは、どう見ても生きているとは思えない。

 だがそれらは、緩慢な動きながらも着実に人々を追い詰めていた。


「異世界ファンタジー的な何かだと思ってたら、ゾンビパニック化してるんだけど!」


 腐乱し、欠損した死体が人を襲い、喰らっている。

 当然のように、街は大混乱に陥っていた。

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