巨人の大きさは、十階建てのビル程度だろう。全長三十メートルほどと夜霧は判断した。
「いやあ、しかしロボだよね、これ。どう見ても」
知千佳がしみじみと言う。
近づいて見てみれば、やはり機械のようだが、その姿はどこか化け物じみていた。
四本腕の骸骨に装甲を付けたような姿だ。その細い骨組みでは直立できないのか、腰から上の背骨らしき部分はずいぶんと湾曲している。
頭部には巨大な角が生えていた。目らしき部分は一つあり、それがぼんやりと光っている。
「現実味がないって意味ではドラゴンだろうとロボットだろうと一緒だけどね」
夜霧と知千佳が話していると、巨人はゆっくりとしゃがみはじめた。
待機姿勢ということかもしれないが、この巨人の機動性はかなりのものだ。しゃがんでいるから安全とはとても言えないだろう。
「で、交戦するつもりはないってことだよね」
『ソノトオリダ。勝ち目のない戦いをするつもりはない』
片言の合成音のような声だったが、調整を続けているらしく自然な声になりつつあった。
「って、もしかして女の子が乗ってるとか?」
巨人は若い女の声になっていた。首にかけている翻訳器が働いていないので日本語を話している。夜霧たちの会話を聞いて合わせてきたのだろう。
『搭乗者はいない。自律型のロボットと思ってもらって差し支えはない』
「だったらなんでわざわざそんな声出してるの?」
『媚びを売るためだ。人間の男性を相手にする場合、この声色だと好感度が上昇する可能性が高いとデータベースにある』
「すごい打算的だ、このロボ!」
『戦闘行為も含めて三億パターンに及ぶ検証を行ったが、任務遂行のためにはできるだけ穏便に、下手に出るのがいいということになった。こうして思考の経緯を正直に話しているのも、信頼を得るための手段だ。このまま立ち去ろうとした場合、危険視されて強制停止させられる恐れがある。ここで、あなたたちの理解を得ることは任務遂行のための必須事項なのだ』
「このロボ、ものわかりが良すぎるよ!」
機械故の、希望的観測を交えない合理的判断なのだろうと夜霧は考えた。
ここまで警戒されるのはまれなことだった。大抵の相手は夜霧の能力を目の当たりにしても、それをそのまま受け止めようとはしないのだ。
「まあ戦わないってのならそれでいいけど、いくつか聞いてもいい?」
このまま巨人が立ち去っても問題はないが、それではここで何が起こっていたのかがわからない。
先ほど殺したのが本当に賢者だとしたら、今後の夜霧たちの行動に何か影響があるかもしれなかった。
『答えられる範囲内でなら』
「なんでこいつと戦ってたの?」
夜霧は死んだ少年を指差した。
『襲われたからだ。推測するに、防衛のための行動だろう。彼らは我々のことを侵略者と呼んでいる』
「こいつは賢者らしいんだけど、それは知ってた?」
『この個体についての情報は持っていない』
「侵略者なの?」
『侵略が、国家の主権や領土を侵すという意味なら、その意図はない。だが、私は任務のために武力行使を厭うつもりはない。彼らの立場からすれば防衛のために戦うのは理にかなっているだろう』
「任務って?」
巨人は途端に押し黙った。どうやら言いたくないことらしい。
「わかったよ。そっちが何やってようと関係ないし。こっちは攻撃するつもりはないから、その任務とやらに行けばいい」
『交渉がしたい。私が提供できるものがあれば与えよう。代わりにそちらは私を攻撃しない。これでどうだろうか?』
「なるほど。ただ見逃すって言われても信用できないから、こちらに利得を与えるってこと?」
「めんどくさいロボだな! 見逃すって言ってるんだからそれでいいじゃん! ってかさ! そもそも高遠くんはロボをどうにかできるわけ?」
「逆に聞くけど、なぜできないと思ったの?」
「え? そりゃ、ロボは死んだりしないんじゃない?」
知千佳は呆気にとられていた。そんなことを聞き返されるとは思わなかったのだろう。
「ロボだって生きてりゃ死ぬんじゃない?」
「それ、なんか哲学的な話なの!?」
「ま、やってみなきゃわからないけど、あっちは効く前提で話してるみたいだよ?」
夜霧が巨人を指差すと、巨人の一つ目が明滅した。
『あなたたちが私のような存在をどう思っているのかはわからないが、私は自分が生きていると思っている』
「そういや、侵略者ってことだけどどこから来たんだ?」
『この世界の外からだ』
「あ、じゃあもしかして帰り方とかわからないかな? 俺たちは別の世界から強制的に連れてこられたんだけど」
『残念ながら、私が帰れるのは、自分が元いた世界だけだ』
帰れるのならほとんどの問題が解決するのだが、そううまくはいかないらしい。
「じゃあ、あんたの世界でもいいから連れていってもらうことは?」
他に手段がないなら、それを試してみる価値があるかもしれないと夜霧は考えた。
『無理だ。理由は二つある。一つ目。私は存在の全てをこちらに持ってきているわけではない。元の世界に一部が残っていてそれと繋がっている状態なのだ。だから、元の場所に戻れるのだが、あなたたちは全ての存在をこちら側に持ってきている』
「なるほど。あんたは命綱付きでこの世界に潜っているって感じか」
『そのたとえは適切だ。この世界はエネルギーのポテンシャル的に最下層に位置する。落ちてくるのは簡単だが、昇るには莫大なエネルギーが必要となるのだ』
「そういうことなら、花川たちが戻れたのは元の世界との繋がりがあったってことか」
そして、夜霧たちにはそれがない。つまり夜霧たちを召喚した賢者は元の世界に戻すつもりがないということだろう。
『私が元の世界に戻るためのエネルギーは、元の世界から供給される。しかしあなたたちが元の世界に戻る場合は、元の世界の座標と、戻るための莫大なエネルギーが必要となる』
「座標とエネルギー。それがあれば世界間移動は可能ってこと?」
『そのとおりだ』
「その二つを手に入れたとしてどうしたらいい? 帰る方法は見当もつかないんだけど」
『手段のアドバイスは可能だろう。その二つに比べれば他の問題は些細なものだ』
「じゃあその約束で交渉成立ってことでいいよ。ありがとう」
元の世界に帰る具体的な方法はまるでわかっていなかったのだ。その約束には十分な価値があると夜霧は考えた。
『こんなことでいいのか?』
「いいよ。そういや連れていけない二つ目の理由は?」
『あなたのような危険な存在を、私の世界に連れてはいけない。それは私個人の生命よりも優先される事柄だ』
「壇ノ浦さんは、何か欲しいものってあるの?」
「いや、そう言われても、ロボが何持ってるのかとか、そーゆーのわかんないと欲しいものって言われてもさ」
知千佳が困った顔をした。異世界のロボに何を要求すればいいかなど、見当もつかないのだろう。
『ふふっ。ならば我に提案がある!』
知千佳が悩んでいると、幽霊の壇ノ浦もこもこがしゃしゃり出てきた。
*****
第一衛兵隊のエーデルガルトとジョルジュは驚きに固まっていた。
賢者レインの命を受け、工事用車両に同乗してやってきたのは、ガルラ峡谷が見えはじめる地点だ。
そこに少年の死体が転がっていた。
「何がどうなっている!?」
「賢者サンタロウ様……ですよね?」
エーデルガルトが詰問してくるが、ジョルジュには答えようがなかった。
汽車が半壊し、レールが途切れ、人が挽き肉になり、峡谷の地形が変わってしまっている。
異常事態が起こっていることはわかるが、それ自体はさほど珍しいことでもない。賢者の戦闘が行われればそれぐらいのことは起こるだろう。
だが、それを引き起こしたであろう賢者は地に倒れ伏していた。
首の骨がありえない角度に曲がっている。おそらくはそれが死因なのだろうが、ジョルジュは素直に信じることができなかった。
賢者は絶対的存在だ。
こんなところで、ゴミのように転がっているはずなどないのだ。
「ここで何が起こったというのだ!」
それを知る者はここにはいなかった。
生きて動いているのは、工事のためにやってきた者だけだ。
乗務員や乗客は逃げたか、死んでいる。
「何かと戦われたということでしょうが……こうなりますとあの二人がやった可能性も……」
ジョルジュたちは、高遠夜霧と壇ノ浦知千佳を追ってここまでやってきた。
すると、彼らの乗っていた電車はここで半壊していて、しかも賢者が死んでいたのだ。
二人は怪しげな力を使うという話もあるし、彼らが賢者を殺した可能性も考えざるをえなかった。
「もう何がなんだかわからん! 見たままを賢者様に報告するしかあるまい!」
一介の衛兵ごときには手に余る事態だった。