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第16話 眼球自体はどうでもいい

 夜霧たちが正午出発の汽車に乗ったころ、第一衛兵隊のジョルジュは、隊長のエーデルガルトと共に領主の城に来ていた。

 十階層からなる無骨な石造りの城は街の中心にそびえ立っている。低層の建物が多い街中にあって一際高いその城は異彩を放っていた。

 城の屋上にある平坦な広場。そこにジョルジュとエーデルガルト。そして領主が待機している。

 ジョルジュとエーデルガルトは、鎧は装着しておらず、軍服のみの格好だ。領主はいかにも金のかかっていそうな派手な服を着ていた。


「昨夜の件についてとのことだが、わざわざ賢者様がおいでになるようなことなのか?」


 エーデルガルトは、背後組織への手がかりがなくなったことばかりを気にしていた。

 中々尻尾を見せなかった奴らが、無能力者の日本人という格好の獲物にくらいついた。だというのに、何の手がかりも得られなかったのだ。


「それはお気になさる可能性もあるのではないですか? 原因不明の集団死亡事件が発生したんですから」


 ジョルジュは呆れた。

 捜査中の案件で、捜査対象が十人も怪死しているのだ。一般的には大事件と捉えられてもおかしくはないだろう。


「こんな地方都市の取るにたらん犯罪者どもが死んだ程度のことでか?」

「死んだ者がどうというよりは死に方でしょう。疫病や毒ガスなど様々な可能性が考えられますし。この世界を統治する賢者様が興味を持たれたとしても不思議ではないと思うのですが」

「それでも賢者様が気になさるほどのこととも思えんのだがな。まあここで考えていても仕方がないのだろう。賢者様のお考えなど我々にわかるはずもない!」


 エーデルガルトが胸を張ったが、なぜ自慢げなのか、ジョルジュにはわからなかった。


「あんたら……賢者様の前では大人しくしてろよ?」


 隣にいる領主が言う。

 領主と衛兵は直接の上下関係にはない。衛兵には日本人を取り締まる役目もあるからだ。つまり、日本人であり、賢者の従者である領主は衛兵が捜査する対象となりえる。


「出頭を命じられたのは我々だけだと思ったが?」

「そりゃ、俺の城に到着するんだ。挨拶ぐらいはしとくだろ?」

「ふむ。そういうものか」


 話は続かず、気まずい沈黙が訪れる。

 しばらくして、空から円盤が下りてきた。

 賢者のほとんどは浮遊大陸に居を構えている。地上との行き来にはこの飛空挺が主に使われているのだ。

 銀色の円盤が屋上に着地し、ハッチが開く。

 真っ赤なドレスを着た女が屋上へと降り立った。

 賢者レイン。大賢者のひ孫の称号を持つ、この地を守護する賢者だった。


「出迎えご苦労」


 レインが尊大に言い放ち、領主のもとへとやってきた。


「久しぶりだな、マサヒコ。うまくやっているのか?」

「お久しぶりです。レイン様。何も問題はありません」


 レインと領主であるマサヒコは、互いが賢者候補のころからの仲であるらしい。


「おまえがエーデルガルトか。報告書は読んだ。生き残りのところに連れていけ」

「はっ! この城に連れてきております」


 エーデルガルトは敬礼で答え、レインを城内へと案内した。


  *****


 城内の一室にジョルジュたちは移動した。

 そこには簡易的なベッドがあり、獣人がしばりつけられていた。

 昨夜の件の唯一の生き残りだ。外傷は特にない。ただ、目と耳と鼻が機能しておらず、事情聴取のしようがなかった。

 レインは犬の獣人に近づき、興味深そうに見つめていた。


「ふむ。見た目は特に問題ないようだ」


 レインが獣人のまぶたをこじあける。眼球がつぶれたりはしていない。

 だが、窓から入ってくる直射日光を浴びようと、その瞳孔はぴくりとも変化しなかった。


「はい。事情聴取のために治療は行ったのですが、回復の兆しはまるでありません」

「報告書によれば回復魔法でも駄目だったということだな?」

「はい。そのとおりです」


 ジョルジュの答えを聞いたレインは、まぶたを開いていた指をそのまま眼窩へとさし入れた。


「賢者様!?」

「私は自分の目で見てみないと納得できない性質でな」


 獣人はもがき、苦しみの声をあげた。当然だろう。レインは眼球を掴み、引きずりだそうとしているのだ。


「黙れ」


 その一言で獣人は動かなくなった。耳は聞こえていないはずだ。なのに獣人は固まった。それは恐怖を肌で感じ取ったためかもしれなかった。

 視神経を引きちぎり、レインが眼球を目の前に持ってくる。

 レインはしげしげと見つめたが、それはただの眼球にすぎなかった。


「特に変わりはないな。マサヒコ、これを移植してみる気はないか?」

「ちょっ! 勘弁してくださいよ」


 領主の顔が青ざめかけたが、すぐに冗談だと気が付いたようだ。今の言葉は命令ではなかったからだろう。

 だが、それで安心できたものではない。いつレインの気が変わるのかと思えば気が気ではないはずだ。


「まあこの眼球自体はどうでもいい。本題はこちらだ。ヒール」


 レインは眼球を放り捨て、獣人に回復魔法を使用した。

 すると、虚になっていた眼窩に変化が訪れた。

 瞬く間に眼球が現れたのだ。

 賢者の圧倒的な魔力が、獣人の眼球を一瞬で再生していた。

 だが、獣人の瞳は虚ろなままで、何を写している様子もない。


「ふむ。見えている気配はないな。器官としては完治しているはずだが、機能が回復していない。ではこれはどうだ?」


 レインが口角を上げる。すると長大な犬歯が伸びてきた。

 十分な長さになったところで、レインは獣人の首筋にかぶりついた。


「な、何をなさっておいでなのだ!」


 エーデルガルトはレインの不意の行動に驚いた。


「ご存じなかったのですか? 賢者レイン様は吸血鬼ですよ」

「屋上ではまったく平気なご様子だったではないか!」


 吸血鬼はアンデッドで、太陽の光に弱いというのがこの世界での常識だった。


「レイン様のクラスはオリジンブラッド。最上位のアンデッドで、ノーライフクイーン、不死の女王などと呼ばれるお方です。そんなお方が日光程度を気にされることはないのでしょう」

「そんなことをよく知っているな! 賢者様とはてっきり、すごい魔法使いなだけだとばかり思っていたのだが」


 エーデルガルトが驚いているうちに、吸血は終わったのだろう。レインは首筋から唇をはなした。

 すぐに獣人の体が変化しはじめた。

 爪が伸び、筋肉が膨れあがる。唇がめくれあがり、特徴的な牙が伸びはじめた。

 手足を動かせば、縛り付けていた縄が簡単に引きちぎれる。獣人はベッドから転げ落ちた。


「跪け」


 レインが足元の獣人に命令する。

 獣人は手足をばたつかせたが、それだけだった。

 何かを命令されたことはわかったようで、それに答えようと必死になっているのだが、具体的に何をすればよいのかがわからない。そんなところかとジョルジュは解釈した。


「血族にしてやっても駄目か。面白いな、念話も届かないらしい」


 吸血鬼は血を吸うことで仲間を増やす。その仲間同士では、テレパシーのようなものが使えるのだが、それも機能していないようだった。


「まあこんな者でも血族にはしてしまったしな。こいつは私が連れ帰るがいいか?」

「は、はい。了解いたしました」


 エーデルガルトが了承する。

 ジョルジュはほっとしていた。こんな状態の容疑者を置いていかれても困るだけだからだ。


「さて。こいつはこのようにずいぶんと面白い状態になっている。これをやったのは高遠夜霧と壇ノ浦知千佳という名の日本人で間違いはないな?」

「え、いえ、その。彼らは無能力者でして、何ができたとも思えないのですが」

「阿呆か、エーデルガルト。十人が死に、その場に二人が残っていた。他に誰を疑えと言うのだ?」

「そ、それはそうなのですが、その手段となると皆目見当が付かないのです。何の証拠もなしに拘束することはできません」


 ジョルジュは死を覚悟した。

 エーデルガルトもそうだろう。だが、彼女は下手な言い訳をしようとはしなかった。

 わからないものはわからない。それを誤魔化せるほど器用な人間ではなかったのだ。


「少々意地の悪いことを言ってしまったな。許せ。実は、私はその二人について事前に知っていたのだ」


 レインがにたりと笑う。どうやら死なずにすむらしいとジョルジュは胸をなで下ろした。


「そうなのですか?」

「賢者シオンの従者にヨウイチというものがいる。そいつから連絡があってな。その二人が人やドラゴンを即死魔法らしき術で殺したというのだ。ずいぶんと曖昧な話だったが少し気になっていてな。そこにお前の報告が上がってきたというわけだ」

「なるほど。では、その二人についてはどのように?」

「それなんだが――」


 レインが何かを言いかけたが、ジョルジュたちははそれを最後まで聞くことはできなかった。

 轟音。

 同時に城が揺れ、ジョルジュは混乱した。

 エーデルガルトがジョルジュを抱き抱えて床に倒れ込む。

 二人はそのままごろごろと部屋の隅まで転がってしまった。


「い、いったい何が……」


 ジョルジュはわけがわからないままに上体を起こし、エーデルガルトに聞いた。


「あいつだ!」


 エーデルガルトが部屋の入り口を指差す。

 そこには、剣を振り切った姿勢で油断なく構えている男が立っていた。

 男の足元がひび割れている。

 信じがたいことだが、先ほどの地震はその男の踏み込みで起こったらしい。

 真っ二つになったドアの半分が、床に倒れていた。

 男の剣は、ドアを部屋ごと叩き斬ったのだ。

 レインの正中線に赤い筋が走っている。

 剣が届く距離ではないのはあきらかだ。

 だが、この男がレインを真っ二つに切り裂いた。そうとしかジョルジュには思えなかった。


「勇者……」


 ジョルジュは咄嗟に鑑定を行っていた。


「なんだと!」

「鑑定の結果ですよ! 何者かはわかりませんが、クラスは勇者です!」


 唐突な勇者の出現に、二人は目を見開いた。

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