「ねえ! 起きてってば、ねえ!」
耳元で叫ばれ、高遠夜霧は目を覚ました。
寝ぼけ眼で隣を見てみれば、髪を振り乱した少女が夜霧の肩を揺さぶっている。
「誰だっけ?」
夜霧は不思議な気分になった。
今は修学旅行中で、ここは観光バスの最後尾席の窓際で、隣にいたのは男子生徒だったはずだからだ。
「壇ノ浦知千佳!」
やけくそ気味に知千佳が叫ぶ。
夜霧は、彼女がクラスメイトだと思い出した。クラスメイトの名前はほとんど覚えていなかったが、妙な名前が印象に残っていたのだ。
「壇ノ浦さん、もうついたの?」
夜霧は目をこすりながら聞いた。
バスは長野にあるスキー場に向かっていた。
交流のない知千佳が起こしにくるのは不思議だが、そろそろ到着してもいい時間のはずだった。
「そうじゃないの! けど、どうしていいかわかんなくて!」
「全然意味がわかんないんだけど?」
「何で寝続けてんの!? こんだけ大騒ぎしてんのに!」
大騒ぎとやらの原因を求めて、夜霧はぼんやりとバスの前方を見た。
目前の光景が歪んでいた。
夜霧が寝ぼけているわけではない。バスのフレームがひしゃげているのだ。
そして、バスの壁面から飛び出した白い何かが、クラスメイトの少年の腹を貫いて持ち上げていた。
「なるほど。こりゃ慌てるね」
知千佳の慌てぶりに納得のいった夜霧は、バス内の観察を続けた。
バスは歪み、天井や壁にいくつも穴があいている。
通路には血まみれの少女が倒れていた。胸に大穴が空いているので、恐らくは死んでいる。
バスの中はがらんとしているから、ほとんどの生徒は逃げ出した後だろう。
夜霧たちの他に生きているのは貫かれている少年ぐらいだが、そう長くは持たないはずだ。
少年の腹を貫いているのは、細かい棘の生えた白い槍のようなものだった。
だがそれは無機物ではない。
蠢いていた。
細かく震え、伸び縮みするそれは生き物の一部なのだろう。
だが、こんなに長大で不気味な器官を持つ生き物を夜霧は知らなかった。
「何なのこれ?」
「わっかんないよ! わかるわけないでしょ!」
知千佳がキレた。
夜霧は窓の外を見た。
巨大な、鱗状の肌を持つ何かがバスに取り付いている。
「蛇? いや、トカゲ?」
何にしろ気味が悪い。
夜霧は、足下に転がっていたカラオケ用のマイクを拾って、槍状の器官に投げつけた。
「ギにゃあああアああァああっ!」
マイクが命中した瞬間、耳をつんざくような絶叫が響き渡った。
バスの中に差しこまれていた器官がずるりと引き抜かれ、少年の体が床に落ちる。
巨大生物が慌てて距離をとり、その全貌が明らかになった。
「ワイバーンってやつか」
ドラゴンの中でも、二足歩行で巨大な翼を持つタイプだ。
先ほど突き込まれていた器官は股間のあたりで蠢いているので、おそらく生殖器なのだろう。
どうやらバスは発情したドラゴンに襲われていたらしく、それだけでも信じがたいことだが、窓の外の光景はさらに夜霧を驚かせた。
そこには、明るい草原が広がっていたのだ。
「寝る前に見たときは夜だったし、雪が積もってたと思うんだけど?」
「今そんなんどうでもいい! 怒らせてどうすんの!」
知千佳が夜霧の襟首をつかんでガクガクと揺らす。
揺れる視界の中、夜霧は見た。
ドラゴンが睨みつけている。
口からは怒気が形を成したかのような炎が漏れ出していた。
「あぁっ!」
ドラゴンを見ていた夜霧は驚嘆の声をあげた。
「どうしたの? 何か助かる方法でも思い付いたの!?」
知千佳が期待に満ちた目で夜霧を見つめる。
「え? いや、ドラゴンカーセックスってこういうことなのかなって思って」
「この人何言っちゃってるの!?」
ドラゴンカーセックスは特殊性的嗜好の一つだ。そんな説明を夜霧はしようとしたのだが、すぐにそれどころではなくなってしまった。
「ルぉぉおおォおぉっっ!」
ドラゴンが吠えた。
巨大な翼をはためかせ、冗談のような巨体が宙に浮く。そして滑るようにこちらに向けて突っ込んできた。
「これはまいったね」
バスの中は歪んでいて、通路は狭い上に死体まである。今すぐ脱出するのはとても無理だろう。
まあ仕方がないか、と夜霧は考えた。
人生の幕切れとはこのようなものなのかもしれない。夜霧の生への執着は希薄なものだった。
「もうだめっ!」
夜霧が早々に諦めたところで、知千佳がぎゅっと抱きついてきた。
結構なボリュームを誇る胸が夜霧に押し付けられて形を変える。
悪くない心地だった。
朴念仁ぎみではあるが夜霧も男だ。こうなってくると知千佳を守らねばと多少は思ってしまう。
なので夜霧は、使わないと決めていた力を使うことにした。
「死ね」
目標を定め、力を解き放つ。
途端にドラゴンの翼が動きを止める。
バランスを崩したドラゴンは、錐揉み状になって草原に墜落した。そしてその勢いのまま、土と草を跳ね上げながらドラゴンの巨体が滑ってきた。
ドン!
ドラゴンがぶつかり、バスが揺れる。
だが途中、地面との摩擦で勢いは失われていたのだろう。夜霧はそれほどの衝撃を感じなかった。
「で、どうしたもんかな、これから」
とりあえず危機は脱したものの、依然として意味のわからない状況だった。
「壇ノ浦さん。助かったみたいだけど」
「……ほんと?」
知千佳はしばらく夜霧に抱きついたままだったが、いつまで経っても何も起こらないとわかったのか、恐る恐る顔を上げて夜霧から離れた。
「え? けど何で? 何がどうなってるの?」
窓の外を見た知千佳は、ぽかんとした顔になっていた。
「それを聞きたいのはこっちだけど、混乱してるみたいだからまずは落ち着いてよ。それから話をしよう」
これからどうするにしてもまずは現状を知る必要があるし、それには知千佳の協力がいる。彼女はまだ混乱しているようなので夜霧は待つことにした。
手荷物の中から携帯ゲーム機を取り出し、ゲームを起動する。
人気のハンティングゲームで、夜霧はプレイを始めたばかりだった。
「この状況でモンハンやるんかい!」
知千佳は案外、冷静なようだった。