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第2話 斎藤家②

トゥルルル・・・

6回のコール音が響き、そろそろ留守番電話へ切り替わるかと思った上坂衛が電話を切ろうとした寸前に、「はい」と電話越しに優し気な女性の声が響いた。

「あ、すみません。ケアプランセンター結の木原様はいらっしゃいますか?」

「木原は私ですが・・・」

「あ、失礼しました。私は南原市総合病院ソーシャルワーカーの上坂衛と言います。新規のご相談をしたいのですが、今新規の受け入れは可能ですか?」

「はい。」

上坂衛の経験上、ケアマネジャーと呼ばれる人々は、一般的におばちゃんと呼ばれる世代が多いせいか口数が多い人が多く、こちらが話さなくても、勝手に喋っていってくれるという印象だった。

しかし、この木原悠里と言う人は、自分からは一切話さず、こちらの言葉を待って話をするタイプらしい。

(しゃ、しゃべりずらい・・・)

元々あまり口数が多い方ではない上坂衛は、内心うるさいなと思いつつも勝手に話していってくれる人の方が接する分には楽だと感じる人間だった。

知り合いでもないので話す話題もなく、上坂衛は仕方なくケースについて捲し立てるように話し始めた。

「えっと、ご紹介したい新規の方なんですが、斎藤幸子さんという88歳の女性です。長女さん一家と4人暮らしで、主介護者は長女のしおりさん。今回は腰椎圧迫骨折で入院されていて、すでにコルセットは完成し退院許可も出ています。介護保険は申請中で、退院後は在宅に・・・」

「ちょっと待ってください。」

べらべらと話し始めた上坂衛の言葉を、少し強めの口調で木原悠里は遮る。

「腰椎圧迫骨折で入院・・・既往歴は?」

「え、えっと、待ってください。調べます。あ、高血圧と高脂血症ですね。」

パソコンで斎藤幸子のページを開いた上坂衛は、現病歴と既往歴のページをチェックする。

(既往歴たって、本当かどうかはなんとも言えないんだけどな・・・)

斎藤幸子は5年前に他市から転居してきているので、南原市総合病院にかかったのは今回が初めてだ。

現在の医療管理システムでは、他の病院との連携は出来ないので、既往歴はあくまで本人と家族の告知によるものになる。

本当はもっと別の病歴を持っている可能性もあるが、斎藤幸子本人は既に認知症を発症していて、そのあたりを本人から聞き出すことは出来ないし、娘のしおりは幸子の若い時のことをあまり知っているような感じではなかった。

既往歴も、家で飲んでいた薬を持って来てもらい、お薬手帳や血液データ等と合わせてそこから判断したものに過ぎない。

病院としては、今回の入院は腰椎圧迫骨折のためで、入院中に他の病気が見つかっても原則治療できないため、手術もない今回の入院ではそこまで内科的な部分には目を向けていない。

よって、今回の担当医の整形外科医も、今まで飲んでいた薬の継続処方の指示はするが、それ以外は骨折に必要な処置や処方しか行わないので、彼女のケースは既に医師の手を離れているも同然だった。

「それだけ、ですか?」

電話越しの声が少し冷たくなった気がして、上坂衛の心臓が少し跳ね上がった。

(な、何だ?何か失礼なことを、俺は言ったのか?)

「はい・・・それだけ、です。」

「・・・上坂さんは、どうして、私に?誰からの紹介ですか?」

「うちのソーシャルワーカーの鈴木です・・・」

硬い態度の木原悠里に尋問を受けている気分になってきた上坂衛は、徐々に声が沈んでいった。

既往歴と現病歴しか言っていないのに、一体自分が何をしたというのだろうか。

一方、電話越しに「鈴木さん・・・」と呟いた木原悠里は、しばらく考え込んだのち、「受けるかどうか、少し考えます。またこちらから電話します」と言ってさっさと電話を切ってしまった。

ツーツーと無機質な音が響く受話器を握りしめたまま、上坂衛は途方に暮れる。

「俺、何かした?」

今日はついてないなと、本日何回目かのため息をついた上坂衛に、隣にいた鈴木圭吾が、自分の電話を終えてこちらを振り返る。

「木原さん、どうだって?」

「・・・ちょっと考えます、って。」

「まじか?!良かったな!たぶん受けてくれるぞ、それ。」

「本当ですか?でも、俺、ちょっとあの人苦手です。なんか怖いっていうか、冷たいっていうか・・・ケアマネさんってなんかもっとワーワーしゃべる人ばっかじゃないですか。だからなんか、木原さんて・・・そう役所の人って感じ!事務的というか機械的というか、愛想が無くて・・・」

「アハハ、木原さんは確かに普通じゃないからな。でも、まぁ、俺らは別に彼女とずっと一緒に仕事するわけじゃない。彼女に橋渡しをするだけなんだから、そういう意味じゃ彼女がどういう人間でも関係なくないか?」

「そうですけど・・・あんな調子であの斎藤さんと合うのかどうか・・・下手をすれば、俺にクレーム来ませんか?」

「安心しろ。それだけはない。だって彼女は・・・」

鈴木圭吾が何かを言いかけたところで、電話の音が響く。

「はい、南原市総合病院医療連携室 鈴木です。あ、木原さんですか?お久しぶりです、鈴木です。中川さんの時はお世話になりました。はい。」

パッと電話に出た鈴木圭吾の声が、ワントーン高くなる。

「木原」の名前に、先ほどまで陰口を言っていたうしろめたさから心臓が跳ね上がった上坂衛は、慌ててデスクの上に置いてあったペットボトルの水を一口口に含んだ。

「あ、はいはい。ええ、そうです。あ、上坂ですね。変わります。お待ちください。」

保留ボタンを押した鈴木圭吾は上坂衛に「木原さん」と目くばせする。

「もしもし、上坂です。」

「ああ、上坂さん。先ほどはご依頼、ありがとうございました。」

相変わらず淡々と話す木原悠里に、何を言われるのかと上坂衛はドキドキしながら応対する。

「それで、今回の斎藤様の件ですが、お受けします。」

「ほ、本当ですか?!ありがとうございます!」

「こちらこそよろしくお願いします。それで、今後はどのように動けばいいですか?」

「あ、実はご家族が介護保険とかよくわかっていない人たちで、家に帰らないといけないのに困るっていったり、でもお金は払えないとか言ってて・・・」

思わず内情を話してしまった上坂衛は、しまったと顔が青ざめるのを感じた。

今回は困難ケース。

元々気まぐれという木原悠里が、今の一言で断ってきたらと思うと、上坂衛はえっと、と言葉を詰まらせた。

しかし、木原悠里の反応は上坂衛が思っていたものとは真逆だった。

「そうですか。それでは、介護保険の説明と今後の方針をご家族様とお話してくれば良いですか?場所は病院が設定してくれますか?それとも私がご家族様に連絡をして動いてしまってよいですか?」

「あ・・・えっと、連絡して、やってもらって、いいですか?」

「分かりました。では、情報を送ってください。よろしくお願いします。」

失礼します、と電話を切った木原悠里についていけず、上坂衛は呆然と受話器を見つめた。

「良かったな!これでもう大丈夫だぞ、上坂!」

隣で鈴木圭吾がぐっと親指を立てる。

「大丈夫って・・・」

「このケースでもう苦しむことは無くなるってことだよ。良かったな。ほら、そろそろ昼めしの時間だから、情報送って食堂へ行こうぜ。今日は美味しくご飯が食べられるな。」

鈴木圭吾に背中を叩かれた上坂衛は、なんだかよく分からないまま、木原悠里宛の書類を作成すると、彼女の事務所にFAXを送った。

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