「……と、お疲れ様。配信切ったぞ」
「ふぅ……いつもとは違うことするとやっぱり疲れますね。楽しいですけど」
料理対決が終わり配信が終了すると、私は一息ついた。いつもは主に自宅で配信をしているのだが、今日はひすいさんが用意してくれたスタジオで企画をしていた。それだけでも緊張感があるのに、そこで料理を作るというのはさらに心が休まらない。でも、ひすいさんが隣にいてくれたおかげで何とか乗り切れた。
「それにしても、ひすいさん料理上手なんですね。手際も良かったですし」
「通話の時に出来ると言っただろう」
「いや、そうなんですけど……信用してなかったというか……」
まさか本当に出来るとは思ってなかった。ひすいさんは確かにすごい人で、配信センスも歌声もたくさんの人に認められているけど、料理に関してはからっきしだと思っていた。
配信外の等身大のひすいさんは子供っぽかったから。きっと料理をはじめとした家事全般は苦手なんじゃないかという偏見を持っていた。
「私も子供じゃないんだ。家事くらいはちゃんと出来る」
「そ、そうですか……」
「そうとも。しおりとは違うんだ。一緒にしないでくれ」
……そうか。しおりお姉ちゃんが家事ボロボロだから、自然とひすいさんも家事ができないイメージがついていたのかも。仕事が出来る人は家事が苦手というイメージが。
しおりお姉ちゃんは料理が出来ない。洗濯も苦手。掃除も苦手。……うん、全部出来ないな。
「しおりお姉ちゃん、ほんと家の事はポンコツですからね」
「ははっ。そうだな。家庭科の調理実習でも材料を切る時に自分の指も切っていて……」
ひすいさんが昔を懐かしむように思い出を語る。しおりお姉ちゃんは昔からあまり変わっていないんだとわかると、ちょっと安心する。
私は高校生の頃のしおりお姉ちゃんのことをよく知らない。ひすいさんは私の知らないしおりお姉ちゃんをたくさん知っているのだろう。それがたまらなく羨ましい。
「……もっと高校の時の話聞かせてください」
「ん? 急にどうしたんだ?」
「ひすいさんが知ってるしおりお姉ちゃんの話、もっと聞きたいです!」
私はひすいさんにお願いする。しおりお姉ちゃんの学生時代の話が聞きたい。それは、しおりお姉ちゃんを好きな私としては当たり前の感情だ。私が知らないしおりお姉ちゃんをもっと知りたい。
「そうか……何から話したものか……」
ひすいさんは顎に手を置いて考える。私はそれを黙って見ていた。すると、ひすいさんは「あぁ」と声を出した。
「思い出した。しおりの面白い話」
「え? なんですか?」
ひすいさんは笑う。ちょっと悪い笑みで、意地悪そうな笑顔で私にこう言った。
「しおり、高校2年生の時に告白されたんだ」
「えっ!?」
私は驚きの声を上げる。ひすいさんは「面白い話」と言ったが、私には面白い話どころではなかった。しおりお姉ちゃんに告白した人がいるなんて、私はそんなこと全然知らなかった。
ひすいさんは私の反応を見て、さらに話を続けた。
「相手は同じ学年の男子で、結構人気な奴だった。しおりはそいつに告白されたんだ」
「そ、それで? どうなったんですか?」
ひすいさんの話の続きが気になって仕方ない。私は思わず身を乗り出していた。ひすいさんはそんな私を見て、また笑った。
「断ったよ」
「断ったんですか? なんで……」
「なんでって……そりゃあ、あいつ面倒事嫌いだろう」
確かに。しおりお姉ちゃんが告白されたことが衝撃すぎて頭から抜けていた。しおりお姉ちゃんは面倒事を嫌う。それは人間関係において顕著に現れる。
「もし付き合ったら面倒事が増えるのが目に見えてるからな。しおりは断ってたよ」
「そ、そうですか……」
私はほっと一安心する。しおりお姉ちゃんに告白した男子がどんな人なのか気になるけど、断ってくれて良かったと心底思う。もしOKしていたとしたら、相手の男子を絶対に許さなかっただろう。
そんなことを考えていると、ひすいさんが立ち上がった。どうしたのかと見上げると、ひすいさんは私に手を差し出してきた。私はその手を取り立ち上がる。
「そろそろ帰るか。夜も遅い」
「あ、ほんとだ……」
窓の外を見ると、もう日が暮れ始めていた。ひすいさんと料理対決をしてそのまま話し込んでしまったからだろうか。時間の流れが早く感じる。
私とひすいさんは帰り支度をしてスタジオを後にした。外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。ひんやりと心地よくて、静かに深呼吸する。
ふと、私は今日のことを思い返す。
私の知らないしおりお姉ちゃんのことを、ひすいさんはたくさん知っていた。料理だって出来る。気遣いもできて配信の才能もあって、頼りになる人。
「どうしたんだ?」
そんなひすいさんが声をかけてくれる。私はその顔を見上げた。そして、今日ずっと気になっていたことを口にした。
「……ひすいさんはしおりお姉ちゃんのこと好きですか?」
ひすいさんは首を傾げる。私は目を逸らさない。ひすいさんも私から目を離さなかった。数秒見つめ合った後、ひすいさんはフッと微笑んだ。
「どうだろうな」
「……教えてくださいよ」
私は食い下がる。ひすいさんは私を見て、いたずらっぽく笑った。
「秘密だ」
「えぇ……」
ひすいさんは私の頭をポンと撫でる。まるで子供扱いされているようでちょっと不満だったけれど、撫でられるのは嫌じゃなかったから何も言わなかった。
「……しおりお姉ちゃんのこと、取らないでくださいね」
「ん? 何か言ったか?」
私は小さく呟く。それはきっと、聞こえていない方がいい言葉だから。私は笑って誤魔化した。
「……ふふっ。何でもないです!」
「なんだよー。教えてくれなきゃイタズラするぞ」
「何そのハロウィンみたいな言い回し」
私は笑う。ひすいさんも笑っていた。
「ほら、帰るぞ」
「……はい!」
差し出された手を私は取る。そして、2人で並んで歩き出した。しおりお姉ちゃんの知らないことをたくさん知っているひすいさん。そのことがちょっと悔しいけど、それでもいいと思えた。
だって、これから知っていけばいいだけだから。しおりお姉ちゃんの全部を知るには時間がかかるかもしれない。でも、いつかきっと、色々なことを教えてもらえたらいいな。