「ひっ! 毛虫!」
『え、それにも驚くんですか?』
あれから時々短い悲鳴を上げながらも、なんとかゲームを進めていた。ちなみに落ちてきた桜の木はヒロインに当たらず、死ななかったらしい。それはいいのだが、それがきっかけで舞台設定はかなり変わり、昼間で明るかったのが一気に暗闇に変わっていた。
コメント欄は大盛り上がりで、【隠し要素きたー!】とか【ここからけーちゃんは耐えられるかな?】とか色々言われている。……え、これ隠し要素だったの?
「もう無理すぎるんだけど……感動作なんだよね?」
『ノーマルのストーリーとかなり低い確率で発生する隠しストーリーで全然違う作品になるんですよ。知らなかったんですか?』
「知らないけど!?」
ノーマルのシナリオのあらすじを読んですっかり安心しきっていた私は、その隠しストーリーの存在を知らなかった。そのため、心構えも何もできていなかった。もう泣きたい。というかゲーム画面が怖くて見ていられない。
画面が暗闇に切り替わると、どこからか大きな音が鳴る。音だけでもかなり心臓に悪いのに、それに重なるようにヒロインの声も聞こえてくる。正直言って本当にこのゲームをやりきった人すごいと思う。私は無理だ。
「これ、なに。もう無理なんだけど」
『これはですね……あ、誰か来ますよ』
「いや最後まで言って!? なんで言いかけてやめるの!?」
怖さのせいもあって、いつもよりツッコミのキレが増している。全然嬉しくないけど。私のツッコミを華麗にスルーして、まりんはゲームに夢中だ。
「来ますよって誰のこと……?」
『ほら、噂をすれば』
「ひっ!」
まりんの言葉と同時に現れたのは、確かに人だった。しかし、普通の人間ではない。青白い顔に痩せこけた頬、目は窪み、手足は枝のように細くて折れそうだ。一言で表現するならお化けだ。しかもかなりリアルなやつ。
そのお化けは画面の右から左へとゆっくりと横切っていく。そして、ヒロインの真後ろに来た瞬間、画面が切り替わり、血飛沫が飛ぶシーンに切り替わる。
私は声にならない悲鳴を上げる。まりんはそんな私の反応を見て楽しんでいるらしく、笑いを堪えているように震えている。
『ぷっ、あはは! もー無理!』
「もうやめてよ!」
我慢しきれなくなったまりんは声を出して笑い始める。私は半泣きになりながら懇願するが、彼女は私の言葉を聞いていないかのように笑っている。その様子を見ていた視聴者達は大盛り上がりで、コメント欄がすごい勢いで流れている。
【けーちゃんのホラゲーからでしか得られない栄養素がある】
【隠しルート進んでくれたけーちゃんの運に感謝】
【けーちゃんの泣き声唆る】
「うぅぅ……コメントも好き勝手言いやがってぇ……」
コメントを読んでいた私はまた泣きそうになる。しかし、ここで泣いてしまったらまりんに何を言われるかわからないのでなんとか我慢する。
「もう、早くクリアしよ」
『その意気ですよ!』
「うう……うるさいよ」
私はまりんに文句を言う。しかし、まりんは全く気にしていない様子で微笑んでいる。私が泣きそうになっているのがそんなに楽しいのだろうか。
まりんにもコメントにも文句を言いつつも、私はゲームを進めていく。時々悲鳴は上げてしまうけど、その度にコメント欄は盛り上がりを見せる。しかし、何度かやっていくうちに恐怖心も薄れてきて、だんだんお化けが出てきても悲鳴を上げずに対処できるようになってきた。
「よし! これでクリア!」
『おめでとうございます!』
ようやく隠しルートをクリアした私を見て、まりんが拍手をする。その拍手の音に合わせて視聴者のコメント欄でも【おめでとう!】と祝福の言葉が飛び交っている。
私はようやく恐怖から解放され、ホッとする。それと同時に眠気も襲ってくる。安心した反動なのだろうか。
「ふぁ〜……もう眠いや」
『眠そうですね。じゃあそろそろ終わりましょうか』
「うん、みんなごめんね〜。今日も楽しかったよぉ」
あくび混じりにそう言うと、リスナー達は名残惜しそうにしながらも【お疲れ様】とか【こちらこそ楽しかった】とか言ってくれる。私はそんな優しいリスナー達に心があったかくなる。
「じゃあ、おやすみ〜」
『おやすみなさい』
【ゆっくり休んでねー】
視聴者のみんなに手を振りながらそう言うと、配信を終了する。日課のまりんとの通話も今日はなしにしてもらう。もう眠気が限界だ。
「ふー、疲れたー」
『お疲れ様です』
「ありがとー、いつも話してるからなんだかすぐ切らなきゃって思うの変な感じするよ」
『仕方ないですよ。ホラゲー苦手なのに頑張ってましたからね』
「ほんとだよ! もう一生やらない!」
布団に潜り込みながら、私はホラゲーに文句を言う。やっぱり私はホラージャンルは向いてないみたいだ。私の言葉を聞いたまりんはクスクスと笑いながらも励ましの言葉をかけてくれる。
『その調子だと明日も早いんでしょう? もう寝ましょう?』
「……そうだね」
まりんの言う通り、私は明日も朝早くに起きなければいけない。ただでさえ睡眠時間が削られているのに、これ以上寝る時間を削るわけにはいかない。そう思い、目を閉じるとすぐに眠気が襲ってくる。
「ふあぁ〜……」
『おやすみなさい』
「おやすみ〜」
いつものやり取りをして通話を終了する。明日はどんな1日になるのだろうか? そんな期待と不安を抱きつつ、私の意識は夢の中へと吸い込まれていった。
「ん……んん……」
カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しくて目が覚める。私はまだ重たい瞼を擦りながら、ゆっくりと起き上がる。そして、スマホで時間を確認する。
「げっ!? もうこんな時間じゃん!」
時計を見ると、もう9時半を回っていた。今日はいつもよりも起きるのが遅くなってしまったようだ。私は慌ててベッドから降りて洗面所に向かうと顔を洗って歯を磨く。その後、寝巻きから部屋着に着替えるとリビングへ向かう。
「お母さん! なんで起こしてくれなかったの!」
私はキッチンで朝ご飯の支度をしている母に文句を言う。そんな私の言葉を聞いた母は呆れたような視線を向けるとため息をつく。そして、私の方を見ると呆れた顔で口を開く。
「起こしたわよ? それなのに起きないんだから仕方ないじゃない」
「うぅ……」
正論を言われてしまい何も言い返せない私を見て、母はクスクスと笑う。母はよく私の世話を焼いてくれる優しい人だ。そんな母に文句ばかり言っている自分が情けなくなってくる。それでも、私が悪いとわかっていても、誰かのせいにしないとやってられない私はつい文句言ってしまったのだ。
テーブルの上には既に朝食が置かれていた。今日はトーストに目玉焼きを乗せたものとコーンスープだ。美味しそうな匂いが漂ってきて、食欲をそそられる。
「いただきまーす!」
私は椅子に座って手を合わせると、早速食べ始める。トーストを口に運ぶとサクッという音が鳴る。トーストの香ばしい香りが食欲をさらにそそる。
「ん〜! 美味しい!」
私は思わず声を上げる。そんな私を見て、母も嬉しそうに微笑む。私は夢中で食べ進めていき、あっという間に完食してしまった。
「ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末さま」
私が手を合わせると、母もそれに合わせて手を合わせてくれる。食器を流し台に運ぶと、洗面所に行って歯磨きをする。そして、部屋に戻って着替えを済ませると再びリビングへ向かう。するとそこにはもう出かける準備を終えた母の姿があった。母は私を見ると優しく微笑む。
「いってらっしゃい」
「うん! 行ってきます!」
私は元気よく返事をして家を飛び出した。