「ん? ここは?」
ふわふわと宙に浮かんでいるような浮遊感。感覚も朧げで、どうにも意識がハッキリしない。ここはどこなのか。何をしていたんだっけと記憶を手繰ろうとしてみて気づく。
「夢……?」
そうだ、これは夢。通りで感覚が曖昧になっているはずだ。しかし、これが夢だとしたら一体どんな夢を見ているのだろう。夢と自覚すると、途端に今までぼんやりとしていた意識がハッキリとした。
周りは真っ白な世界。足元も空も真っ白で境界線が曖昧だ。地面を踏んだ感覚はあるが、それでも浮いているような感じがするし、地面の向こうは奈落の底まで落ちていってしまっているのではないかと錯覚してしまうほど底が見えない。
「あ、いたいた」
後ろから突然声をかけられて思わず振り返る。そこには、白いローブのようなものを身に纏い、フードを目深に被った人物が立っていた。
「えっと……」
誰だろう? そう問いかけようとした時、その人物はフードを外してその素顔を見せた。それは……
「え?」
「……やぁ」
そこに立っていたのは、紛れもない自分――いや、『イニシャルK』だった。夢で対峙したのは初めてではない。だけど、前に見た夢がそのイニシャルK……けーちゃんに苦しい思いをさせられたため、思わず身構えてしまう。だけど、目の前のけーちゃんはニコニコと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべてこちらを見ている。それは普段私が配信でリスナーに向けているものと同じだった。
「そんなに警戒しなくてもいいのに。といっても無理もないか」
「……私になにか?」
「まぁ、ちょっと話をしようかなぁって」
「……話?」
「うん。とりあえず、座ってよ」
そう言ってけーちゃんは何もない空間で椅子を二つ作り出し、一つに腰掛けた。そしてもう一つの方に座るように促してきたので、私はそれに従って椅子に座った。
「それで、話って?」
「うん。まぁ単刀直入に言うけど……私をいいように使うのはやめてほしい」
「は?」
突然言われた言葉に思わず聞き返す。だけどけーちゃんはそれを全く意に介さず言葉を続けた。
「今まで私を利用して、推しに近づきたいって欲望を満たしていたのかもしれないけど、もういい加減やめにしない?」
「……な、何を言って……」
予想もしてなかったことを言われ、動揺を隠せない。だけど、以前見た夢でもけーちゃんは私に対していい印象を持っていないどころかむしろ恨まれていたように思う。理由はわからないけど、私のことが面白くないのはなんとなく伝わってくる。
でも、どうしてけーちゃんは私に敵意を向けてくるのだろう。いや、正確には私の深層心理の私が自分自身を嫌っているのだろう。私はけーちゃんのことが嫌いだなんて思っていない。むしろ逆だ。
「あぁ……そうか……」
けーちゃんは、私の理想を映したもの。だから、けーちゃんに対して私は負の感情を持つことなんてない。でも、けーちゃんにとってはそうじゃない。勝手に生み出されて、理想を押し付けられて、推しに近づくための道具にされて……
「ごめん。でも、私は別にけーちゃんのことをいいように使おうとなんて……」
「いいように使ってないって? それ本気で言ってる?」
けーちゃんは強い口調でそう言う。きっとこれは私がこのまま活動していていいのだろうかという不安がこの夢に、けーちゃんの人格に表れているのだろう。正直私は自分に自信なんてないし、推しのようになりたいだなんて身の丈に合わないのかもしれない。
だけど……もう一人の自分がそう思っていたとしても、ここで引くわけにはいかない。私は配信が大好きだ。観るのはもちろん好きだし、実際やる側になってみて大変なこともあったけどそれ以上にもっと上を目指したいと思ったのだ。
私には私の理想がある。それはけーちゃんにとっては押し付けがましいものかもしれないけど、それでも私にとっては必要なものなのだ。だからこんなところで、自分自身との戦いに立ち止まっている訳にはいかない。
「私は、けーちゃんのことをいいように使おうだなんて思ったことはないよ。だって、私が勝手に理想を投影して、好き勝手に配信して……それで満足しているだけなんだから」
「ふーん……」
「だから、けーちゃんが私のこの行動に納得してないなら謝るし、もしそれが嫌ならもうけーちゃんのことは〝捨てる〟よ」
「……それ、本気?」
私が覚悟を決めた顔で言い放つと、けーちゃんは少し驚いたように聞き返してきた。私はそれにはっきりと頷く。私だってみんなとの思い出が詰まった『イニシャルK』を簡単に投げ出したくない。でも、けーちゃんにこだわらなくてもまたイチからやり直せばいい。私が私のことを気に入らないなら今までの自分を変えていけばいいのだ。
「本気だよ。私のVTuberへの想いはそう簡単に揺らがない。身体が変わっても、活動方針が変わっても、私はVTuberであり続けたい。その覚悟は君もよく知ってるはずだよ」
まっすぐけーちゃんの目を見つめると、けーちゃんはまだ何か言いたそうに口を動かしていたが、諦めたのかわかってくれたのか……すぐに「負けました」とでも言いたげな笑顔になった。
「そっか……じゃあ……」
けーちゃんは立ち上がり私に歩み寄ると、ゆっくりと手を差し伸べてきた。私はその手をしっかりと握る。その瞬間、私とけーちゃんの意識は混ざり合っていく感覚に襲われた。それはとても心地よくて、ずっとこうしていたいと思えるような不思議な感覚だった。
「……ん?」
目が覚めると、そこはいつもの自分の部屋だった。どうやら夢から覚めたみたいだ。だけど、なんだか今までにない感覚を覚えた気がする。それはけーちゃんと一つになったからなのか……よくわからないが、なんだかとてもスッキリしている。
「お、目が覚めた?」
「えっ、しおりお姉ちゃん?」
声がした方を振り向くと、そこにはしおりお姉ちゃんが立っていた。手にはポカリスエットとコップが握られている。どうやら飲み物を持ってきてくれたようだ。
「はい、これ飲んで」
しおりお姉ちゃんはコップに入ったポカリスエットを手渡してきた。私はそれを受け取ってゆっくりと喉に流し込む。冷たくて美味しい。身体に染み渡るようだ。
……いや待て、あまりに自然で疑問に思わなかったが、なぜしおりお姉ちゃんが私の家にいるのか。そして、なぜ用意周到にポカリスエットまでくれたのか。
「しおりお姉ちゃん、なんでここに?」
「ん? あぁ……ちょっと伝えたいことがあったんだけど、うなされてるみたいだったから色々買ってきたんだ」
しおりお姉ちゃんはそう言うと、私のおでこに手を当てて熱を測る仕草をした。そして少し安堵したような表情を浮かべると、「うん、大丈夫そうだね」と呟いた。
どうやら熱があるのではないかと心配されるほどうなされていたらしい。まあ、たしかにあの夢の内容はうなされるほど苦しかったのは間違いない。だけどそれよりも確認したいことがあった。
「伝えたいことって?」
「あー、そうそう」
そう聞くと、しおりお姉ちゃんは自分用のポカリスエットを一口飲んだあとに言った。
「君に、妹が出来るかもしれない」