「はぁ……なんであんなことになっちゃったんだろう……」
私は家に帰ってからも、ずっと後悔の念に苛まれていた。せっかくまりが提案してくれたのに、せっかくこの足りないピースを補えるかもしれなかったのに。でもやっぱり推しの代わりなんて誰もいない。私の推しはただ一人なのだ。
「そこは譲れないんだよなぁ……」
今後絡みづらくなったとしても、その信念を曲げることはできなかった。心に嘘はつけなかった。だけど、そうは思ってもやっぱり寂しくて、心に穴が空いたような感覚に陥ってしまう。推しのいない世界なんて考えられなかった。もう私の中であの人は唯一の心の支えであり、生き甲斐であり、私の全てだった。その代わりなど、いくらまりであっても役不足と言わざるを得ない。
「はぁ……」
私はまた一つ大きなため息をついた。
「随分大きなため息だね」
「しおりお姉ちゃん!」
そうだ。今日は私の家にしおりお姉ちゃんが遊びに来ていたんだ。しおりお姉ちゃんはまるで実家かのようにスナック菓子をボリボリ貪っている。食べカスがボロボロこぼれていて、こういうところは昔からズボラなんだよなと思う。しおりお姉ちゃんは昔から生活力の無さが顕著で、昔から私がお姉ちゃんのお世話をしてあげていた。
「なんか悩み事?」
「悩み事っていうか……まぁ、ちょっと」
私は言葉を濁した。さすがに転生していることを打ち明けられないし、打ち明けたらどうなるかわからない。ここでもし前世の記憶があるとか言ったらどうなるんだろう。十中八九、ただ痛い奴のレッテルを貼られて終わりだろう。
だけどしおりお姉ちゃんならもしかして……なんて思ったりもする。幼馴染として今までずっと一緒だったし、お姉ちゃんも私のことをよく知っているからもしかしたら……
「は、配信! 今度の配信は何しようかなーって!」
言えるわけがなかった。しおりお姉ちゃんのことは大好きだ。そんな大好きなお姉ちゃんに私のことを否定されるのが怖い。ずっと仲良くしてきたからこそ、少しのことで関係が壊れてれてしまわないか不安だった。
「かなちゃんはほんとに配信大好きだね」
「う、うん。まぁね」
しおりお姉ちゃんはそれ以上深く聞いてはこない。私は少しホッとすると同時に、どこか寂しさも感じた。しおりお姉ちゃんに隠し事をしているという罪悪感が私の心を蝕んだ。
しかし、私が前世の記憶を持っているなんてとてもじゃないけど言えない。そんなことがわかれば確実に病院送りにされてしまうだろう。ここは耐えるしかないのだ。
「好きなようにのびのびやるのが一番いいよ。かなちゃんはもうわかってると思うけど」
「うん、ありがとう」
しおりお姉ちゃんのこの一言だけで私の気持ちは幾分か軽くなった。そうだ。何を躊躇うことがあったのだろうか。私は私らしく自分の思うままにやっていけば良いのだ。しおりお姉ちゃんはいつだって私の味方でいてくれるんだから。
「じゃあゲーム実況しよう!」
「……かなちゃんってゲーム上手かったっけ?」
「いやぁ……」
ゲーム実況は大好きだけど、いかんせんゲームは下手でそれは前世から全然変わってない。しおりお姉ちゃんとボードゲームをやっていた時も結局私が惨敗していたのは記憶に新しい。
「ま、それもそれで配信のネタにはなるし! 大丈夫大丈夫!」
「こんなに安心できない大丈夫は聞いたことないなぁ……」
「でも面白そうでしょ?」
「まぁね。それは認めるけど」
配信にはゲーム実況が必要不可欠であると私は確信していた。私という人間をたくさんの人に知ってもらうためには、自分語りや日常の風景だけじゃ足りない。才能だけに頼っていても意味がない。これは前世の経験則だが、何か一つのことを継続してやっていれば必ず人は見に来てくれるものだ。だから私はゲーム実況を選んだ。
ゲームだめだめな私が配信を通して上手くなっていったらそれこそ盛り上がるだろう。成長物語は誰の胸をも熱くさせる。私はそんな作品をたくさん見てきた。
私だって何もただ楽観的にゲーム実況を選んでいるわけではない。配信者としてのプライドが私にはある。だから私は配信を頑張るのだ。前世で培ってきた経験を活かして、今世の私ならできると信じて。
そしていつか推しに届くように……
「もしかしたらこの世界では表舞台に出てこないのかもしれないけど、きっとどこかで生きてる私の推し……見ててね」
私はそう独りごちた。
「ん、何か言った?」
「ううん。なんでもない!」
「変なの」
私が決意を固めたタイミングで、しおりお姉ちゃんはスナック菓子を貪りつくし、私のベッドの上で寝転び始めた。しおりお姉ちゃんの自由さは相変わらずだ。私はそんなお姉ちゃんの姿を見て少し呆れながらも、どこか微笑ましさを感じていた。
「かなちゃん」
しおりお姉ちゃんが寝転びながら私に話しかけてきた。
「ん? どうしたの?」
「かなちゃんは今楽しい?」
そんな質問に私は少し戸惑った。この生活が楽しくないわけがないからだ。大好きなお姉ちゃんと一緒にいられるのだから。だけど……
「……わかんない」
私は素直にそう答えた。前世で推しを推している時と今、どちらが楽しいかと問われれば私は間違いなく推しを推している時だと答えるだろう。
でもやっぱり今の生活も大好きなお姉ちゃんと一緒にいられて幸せなんだ。だからどちらか一方なんて選べない。
「そっか」
しおりお姉ちゃんはそう言って優しく笑った。その笑顔がとても暖かくて、私の心を穏やかにしてくれる。私はこの笑顔を見るために生まれてきたんじゃないかって錯覚するほどに、優しくて心地のいい笑みだった。
「なんだか変なことを聞いちゃったね。忘れて忘れて」
しおりお姉ちゃんはそう言いながらベッドから起き上がり、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。その手の温もりを私はしっかり感じた。いつも私に優しくしてくれるしおりお姉ちゃんの手だ。
「いつかかなちゃんが自分の気持ちに素直になって答えを出せる日が来ますように」
しおりお姉ちゃんはそう呟くと、荷物をまとめて玄関へ歩いていった。外はもうだいぶ暗くなっていて、電気をつけないと少し不気味な雰囲気が漂っている。そんな夜道を一人歩く姿はどこか切なげで物悲しさを醸し出している。
「かなちゃん、また来るね」
「うん。いつでも来ていいからね! じゃあね!」
私はそう言いながら玄関までしおりお姉ちゃんを見送った。そしてドアはパタリと閉まり、部屋には静寂が訪れた。
「はぁ……」
私は一人になった部屋で大きなため息をつく。やっぱり推しの代わりなんていないんだなぁ……って実感する。でも大丈夫。いつかこの心の穴が塞がる時が来るはずだから。今はその日まで耐えなくては。
私は机に向かい、配信のネタを探すためにノートを開いた。そしてペンを握り締めて、今自分ができる最大限のことをしようと決意した。しおりお姉ちゃんが私にそうしてくれたように、私も誰かを勇気づけることができる人になりたい。そんな思いを抱きながら……