「かなー、起きなさい。もう朝よ」
「うぅーん……お母さん……後ちょっとだけ……」
「誰がお母さんよ!」
とてもいい夢を見ていた気がするのに、お母さんらしき人が私を揺すって起こそうとしてくる。今日は祝日で学校もないんだし、そんなに一生懸命になって起こそうとしなくてもいいのに。私が一体なにをしたと言うのだろう。もう少し寝かせてほしい。
「いいから起きなさいってば」
「うるさいなぁお母さん……」
「だからお母さんじゃないって言ってるでしょ!」
その人の大きな声に、朦朧としていた意識がやっと起き上がる。目の前にはとても綺麗で精巧にできた人形のような顔があった。まつ毛長いなぁ……そういえば、ここは私の家じゃない。泊まらせてもらっていたのをすっかり忘れていた。
「おはよう、かな。いい朝ね」
「……おはよう、まり」
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がると、まりはにっこりと笑っておはようと言ってくれた。しかし、本当に綺麗な顔をしている。今まで見た人の中で一番美人だと言っても過言じゃない。
「よく眠れた?」
「うん、なかなかいいお布団だったよ」
「それは良かったわ。朝ごはんも一緒に食べましょ」
そう言ってまりはカーテンを開けてくれて、私の腕を引っ張って起こしてくれる。いつも朝が辛い私がこんなにもスムーズに起きれるなんて珍しい。今日は何かいいことがあるかもしれない。
顔を洗い終えてリビングへ行くと、昨日のようにテーブルいっぱいに美味しそうな料理が並べられている。朝からはちょっと重たそうな感じだが、それ以上に食欲をそそられる。
「これ、全部まりが作ったの?」
「そうよ。お母さんはまだ寝てるし」
改めて料理を見る。白米に卵焼き、タコさんウィンナー、サラダに味噌汁。どれもこれも私の大好物ばかりだ。そして、まりが私の前に座ったのを見て、二人で手を合わせていただきますという。
まずは味噌汁を一口すする。やっぱり美味しい。だし汁と味噌がとても合っていて、それにこの具も……なんだろう? 見た事がない野菜が入っている。まりの家庭ではこれが普通なのだろうか。でも美味しいからいいや。
次に卵焼きを食べる。甘いやつだと勝手に思い込んでいたからしょっぱいことに少し驚いたけど、これもまたとても美味しかった。
ウィンナーはタコさんになっていて可愛らしいし、タコさんウィンナーって初めて食べたけど結構可愛い。サラダはレタスとトマトがメインで、シンプルなのにとても美味しい。
そして、やっぱりタコさんウィンナーが可愛いから食べたくなって食べようとしたけど、口に入れようとタコさんウィンナーを持ち上げた途端、まりが「あっ」と声を上げた。
「どうしたの?」
「……それ、あたしのよ」
「え!?」
私は気付かないうちにまりのお皿から取ってしまっていたらしい。まりの顔がどんどん赤くなっていき、震える手で私が持ってしまったタコさんウィンナーを指差す。私は慌てて戻すも、まりの機嫌はおさまらないみたいで……
「あたしのなんで取るのよ!」
「ご、ごめん……美味しくてつい……」
「ごめんじゃ済まないわ。一番の好物なのに!」
どうやらまりもタコさんウィンナーが好きらしい。いつもキリッとしているまりからは考えられないほど感情がむき出しになっている。そんなレアな顔を見せてくれるほど好きだとは……
そんな時、ふと怒りを沈められそうな方法を思いついた。我ながら名案かもしれない。いまだにキツい目つきをしているまりに、私はタコさんウィンナーを押し付けた。正確には食べさせた。
「ごめん、まり。はい、あーん」
「え……な、何よ……」
「私がタコさんウィンナーを取ったお詫びだよ。これで許してもらえないかな?」
「……ふ……ふん! 今回だけよ!」
そう言いながらもまりは嬉しそうにタコさんウィンナーを頬張っていて可愛い。私はそんなまりを見ながら味噌汁をすすったのだった。
朝ごはんを食べ終えてから二人で洗い物をして、それからはリビングでテレビを見たり雑誌を見たりしながらまったりとした時間を過ごしていた私だが、無性に何かが物足りなかった。まりとのお泊まりは楽しいし、それは満ち足りていた。しかし、私の中に足りない何かがある気がする。昨日の夜にまりが私の配信を見てから物足りなさが増幅した気がしてならない。そのまりの姿に前世の自分を重ねた時に……
「あ」
そうか。どういうわけか、推しはこの世界では存在しない。前世では黎明期から活動していた推しが、この世界ではデビュー時期を過ぎても出てくる気配がない。前世ではVTuberの配信を見て癒されていた。でも今はそれがない。物足りなさを感じるのも無理はないのかもしれない。
「そうか……そうだったんだ……」
「何を一人で納得してるのよ」
私の呟きをまりに聞かれてしまったらしい。いきなり私が呟いたもんだから気になったんだろう。隠すような事でもないので、私は正直に話すことにした。
「ねぇまり。推しってあるよね?」
「えぇ、まあ」
「私さ、この世界には推しがいないんだよ」
「……え? あ、あぁ……そう……」
まりは何とも言えないと言った表情になる。もしかして引かれてしまっただろうか。でも、私はこの事実を知ってとてもスッキリした気分だ。ずっと何か物足りないと思っていたけど、まさか推しがいなかったなんて……
そこでふと気がついたことがある。この世界に転生してからというもの、前世の趣味をほとんどやっていないことに。というのも、私がVTuberという文化を先陣を切って築いている途中なわけだから、この世界ではまだ推しどころか他のVTuberもいないような状態だ。私はただただ絶望するしかなかった。
「……寂しい……」
「え?」
「寂しいよ、まり! だってこの世界には私の推しがいないんだよ? こんなにも悲しいことはないよ!」
「そ、そんなに落ち込むことなの……?」
当たり前だ。推しというのは生活に潤いを与えてくれる存在なのだ。それがいないということは……そう、私は生きるための気力が湧いてこない。それくらい私にとっては大事なことだったということだ。だからつい取り乱してしまったけども、仕方がないだろう。
そんな私の様子を見ていたまりは何かを考えているのか、顎に手を当てて考え事をしていた。やがて何かを思いついたのか、私にこう言ってきた。
「あたしが……かなの推しになってあげるわ」
「……え?」
「だから、あたしがかなの推しになってあげるって言ってるのよ」
まりが……私の推しに……? 魅力的な提案だが、推しの代わりは誰にも務まらないと思う。第一、まりはVTuberじゃない。
「ごめん、まり。気持ちは嬉しいけど……」
「そう……こちらこそごめんなさい。無神経だったかもしれないわ」
「いや、そんなことは……」
お互いに謝り合って少し気まずい雰囲気になる。だけど、私は推しがいないという現実をまだ受け止めきれていない。フォローも気の利いた言葉も言えず、気まずい空気のまま私は自分の家に帰ることになった。