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第9話 鬼才と天才の奇跡

 大兵営本陣、一階、大会議場。

 大円卓と十の椅子、壁にはイースティス王国全土の地図と地形図がぶら下がった部屋にやってきたセレネとジャンは、すでに集まっていたカーネリスと老将たち、カーネリスの部下たち——カーネリスの擁する万を超える人材のうち、手足のように自由に動かせる事務官兼護衛の腕利きたち三人——が深刻な表情をしていることに驚いた。

「何かあったの、よね?」

 セレネに応えたのは、カーネリスの部下の一人だった。

「襲撃があったんですよ」

「え? 襲撃?」

「そうです。つい先ほど正門と通用門二ヶ所で発生しまして、鎮圧しました。どうも、いつもとは違う雇い主と思惑でして」

「いつも……いつもなのか?」

「それはさておき、情報吐かせたんでその件でお二人に知らせたいことがありまして、パセア伯爵って知ってます?」

「改革派貴族の領袖りょうしゅうだ」

「ああ、やっぱり。ジャン=ジャック・マードックの暗殺という目的も吐きましたよ」

「え!? 何でジャンが?」

 セレネにとって、自分が暗殺対象になるのはいつものことだが、まさかジャンがそうなるとはあまりにも唐突な話だ。

 だが、バスケットを抱えたジャンはその理由をすぐに突き止めていた。

「大兵営に来たからか」

「多分、そうでしょう」

「そうなの!?」

「僕はまだ改革派に協力するとは言っていない。だから、カーネリス将軍をはじめとする平民出身の高級軍人たちに呼ばれた、という事実だけで見れば、改革派貴族は僕がそちらに付こうとしていると思うんだろう」

 今日あったはずの改革派貴族たちの集会に出席の返事をせず、ジャンは大兵営にやってきた——この事実だけを見れば、ジャンをわざわざ呼ぼうとした改革派貴族たちは、こう思うのだ。

 ——平民のくせに生意気な、いや他に何か思惑があるのか、理由もなく大兵営に行くとは思えない。

 つまりは、ジャンが何らかの目的を持って大兵営へ行き、おそらく自分たちのように自勢力へジャンを組み込もうとしている大兵営の平民出身の軍人たちが招待したのなら……そんなふうに思考を巡らせ、改革派貴族たちはいくらかジャンに自分たちのことを話しているものだから、それらを暴露されると思っても不思議ではない。

 だからと言って、まさか襲撃して暗殺さえ厭わない、などと過激な反応をするとはジャンも思い至らなかったのだ。

 ジャンは頭を横に振り、吐き捨てる。

「馬鹿馬鹿しい。そんなにも僕を疑った挙句に殺そうとするなら、こちらから願い下げだ」

 その言葉を受けて、カーネリスはこう言った。

「つまり、貴様は改革派と手を切る、と?」

 カーネリスたちは、すでに襲撃者たちの口を割らせ、おおよその状況を把握している。舐められたもので、あるいはよほど物事を単純に考えていたのか、襲撃者たちはペラペラと雇い主のことまで知っていることをすべて喋った。平民にとっては目も眩むような大金で雇われ、すぐに集まる荒くれたちをできるだけ集めて大兵営に押し入り、ジャンを手にかける。もし大兵営側から文句を言われたとしても所詮平民たちの集まり、簡単に黙らせられる、と改革派貴族たちは甘く見ていたのだろう。

 当然、カーネリスたちは怒り狂っていた。セレネが今まで戦場でしか見たことがないほど、老将たちも怒り心頭で緊迫した面持ちをしている。これから重大な決定を下し、実行するのだという威勢の空気が大会議場に充満しているのだ。

 すでに壁の時計は夜の九時を指そうとしていた。ジャンは時計を一瞥したのち、ついさっき知ってしまったセレネの事情について、カーネリスへ確認する。

「刺客まで差し向けられて、笑顔で手を取れるわけがないでしょう。それよりも、セレネは……今後を考えるならば、攻勢に出るべきだ。国王の失脚、それしかない。ですが、あなたたちに本当に国王を失脚させる意思があるのですか?」

 ジャンの不敬な物言いを誰も咎めない。

 老将の一人が、答える。

「というよりもだ、そうしなければセレネが生きていけまいよ。いつまでも後ろ盾が万全であるわけでなし、我々もセレネより長く生きることはできん。ならば、この状況を打開する手を打たねばなるまい」

 それを聞いて、セレネは顔を曇らせる。いつかは考えなければならないことだった、それでももっと平和的に解決できるわずかな可能性へまだ希望を持っていた。しかし、それはもう叶いそうにない。

 そうした状況を把握して、ジャンはもう一度、念押しのようにカーネリスへ確認を取った。

「このまま国王陛下の首を取るだけでなく、セレネがこの先も生きやすいようにしなくてはならないのなら……ただ蜂起するだけではいけない。あくまで、セレネに瑕疵かしはなく、大義名分があるということにしなくてはいけないでしょう?」

「そうだな。だが、貴様には関係が」

「関係はあります。セレネ」

「何?」

 ジャンはくるっとセレネへ向き直る。

 そのまま、椅子を後ろへ下げ、床に片膝を突いた。座ったままのセレネは何が何だか分からず、左手を取られてジャンの両手に握られる。

 セレネを見上げてくるジャンは、淡白に一言。

「結婚してくれ」

 一瞬、大会議場の人々は、呼吸さえも忘れてしまった。

 再び時間が動き出したように、皆がざわつく。セレネはジャンに問い返し、カーネリスは椅子から立ち上がり、カーネリスの部下たちは上司の肩を掴んで必死で抑える。

「今、何て言ったの? 結婚?」

「貴様ぁ! どの面下げて今更ぁ!」

「抑えて、カーネリス閣下、抑えて!」

 そんな騒ぎもどこ吹く風、ジャンはプロポーズの言葉を続けた。

「僕は君を守る。君を支える」

「え? え?」

「事情が変わった。君がこの国を変えてくれるなら、僕は一生を捧げたっていい」

 セレネは若干の違和感を覚えたが、ジャンがすっくと立ち上がって老将たちに演説を始めたせいでそれを聞きそびれた。

「返事は後でいい。話を戻しましょう、まず行動に移すなら今夜です。改革派の連中が王宮近くのエールヴェ伯爵家の屋敷に集まっている。やつらはセレネの障害でしかありません、潰してください。その成果を持って王宮の扉を叩き、雪崩れ込んでください。大兵営の兵力ならば首都封鎖は容易いでしょう、確実に国王の首を取り、明朝の新聞にはセレネの戴冠式の日取りを載せます」

 堂々と、それでいて簡潔かつ明確に、ジャンはこの場にいる人々がやるべきことを指し示す。

 たった十六歳の青年が何を言っているのか、と普段ならば侮られるところだが、カーネリスも老将たちもジャンの計画を実現させる力があり、今はその意思がみなぎっていた。

 それにだ、ジャンはたった今、セレネにプロポーズした。

 セレネの頬は赤く染まり、花が咲いたような喜色が隠せていない。であれば、この場でジャンを否定するような雰囲気は生まれようがなかった。

「は、はい、質問! 今がチャンスってこと?」

「そうなる。これを逃せば、君が暗殺者に怯えつづけることになる」

 セレネのその質問が、後押しになった。

 蜂起するならば今しかない。今ならば、絶好の機会だ。それが、全員の共通認識となったのだ。

 部下に椅子へ押し戻されたカーネリスは、難しい表情のまま腕組みをしていた。仮にもカーネリスは大兵営の総責任者、彼の命令があれば万単位の人々が動き出す。

 逆に言えば、彼が頷かなければ意味がない。

 ジャンは、最後の一押しとばかりに、カーネリスを説得する。

「カーネリス閣下、僕があなたに頼むのは出過ぎた真似だと分かってる。だが、セレネのために協力してくれないか? 、それでも彼女を助けたい」

 セレネと老将たちの視線もまた、カーネリスへ注がれる。胡麻塩の白髪を掻き上げ、顎に手を当てて考え込んだカーネリスの言葉を待つ。

 結局のところ、セレネを守るためとはいえ、国王の退位あるいはその権力の失陥を狙う行為は、間違いなく国家への叛逆だ。国王へ忠誠を誓う将として許されることではなく、壮絶な非難と反発を受けることは必至だ。未来に至ってもなおイースティス王国の歴史に大逆人として名が残るだろうし、老将の中には貴族としての矜持から内心避けたがっている者もいるだろう。

 しかも、それを青二才の号令で、いかに切羽詰まっているとはいえ決めてしまうのはどうか? 当然、カーネリスの胸中は大きく葛藤していることだろう。

 とはいえ……カーネリスは、さほど力むこともなく、さらりと老将たちを煽った。

「貴様の指図を受けるのは不本意だが、セレネのためだ。諸将よ、どうか? 貴様ら奇跡の王女ワンダープリンセス』の戴冠に尽力する気はあるか?」

 その言葉を待っていた、とばかりに老将たちは勢いよく立ち上がる。

「無論だ。国王の旗よりも、『奇跡の王女ワンダープリンセス』の御旗を掲げるほうがやり甲斐があるというもの」

「散々我らは貴族連中に冷遇されてきたものなぁ。その仕返しというわけではないが、派手にやらかすなら任せろ」

「おいおい、問題はその後のことだ。ジャンとやら、考えておけよ」

 セレネの事情、王国での彼らの処遇、あまつさえ最年長者であり彼らが絶大の信頼を置くカーネリスの決定が、何もかもを動かした。

 カーネリスは頷き、部下たちに一言二言言い残してから、老将たちとともに機敏に大会議場を後にした。大会議場の外の廊下では、大声が絶え間なく響き、夜半だというのにあちこちが騒々しくなりつつある。

 すべてが動き出した。ジャンはその最後の一押しを担い、セレネは最初の原因を負っている。

 しかし、二人は大会議場に取り残され、しばらく出番はない。立ったままのジャンは、セレネに尋ねる。

「……『奇跡の王女ワンダープリンセス』って、君のあだ名か?」

「うん。お肉が美味しかったから」

「何だ、それは」

「また今度説明するってことで。ええと、プロポーズのことだけど」

 あれは建前だろう、とセレネは思った。この場を動かすために、最後の一押しをするための演出としてジャンはセレネへのプロポーズという行動を取ったのだと。

(まあ、そうよね。私のために動いてくれるのは間違いないし、それはそれでよかったし、いい夢だったと思えば)

 ところが、セレネの目の前で、ジャンはバスケットを開き、中に入っていたサンドイッチを一つ取り出した。

 ジャンは大きな口を開けて、サンドイッチを頬張る。野菜を千切り、ローストビーフを噛み、黙々と飲み込む。

 完食後、パンくずのついた手を叩いて、ジャンは笑みをこぼした。

「君の作ったサンドイッチが美味しいから、やっぱり僕は君と結婚したいと思った。それでいいだろう?」

 とんでもない殺し文句だ。ジャンが初めて見せた笑顔は、セレネの髪のように輝いていた。

 一連のプロポーズの余韻冷めやらず、浮かれたセレネは照れ隠しに破顔するしかない。

「しょうがないなー! 今はそれで納得してあげる!」

 ところが、これで終わりかと思いきや、ジャンにはもう一つ隠し球があった。

 あまりにも自然にジャンがセレネに顔を近づけたため、セレネは無警戒に「何?」と言う間もなく——頬にキスされたのだ。

 一瞬のことだった。固まったままのセレネに、ジャンは一時の別れを告げる。

「セレネ、また後で。カーネリス閣下に思いついたことを話してくる」

 ジャンはカーネリスを追って退室し、大会議場はすっかり空になった。

 壁際で一部始終を見ていたカーネリスの部下たちは、固まったセレネの目の前で手を振ってみるが、何の反応もない。

「はいはい、セレネ様はベッドで寝ていましょうね。夜更かしはお肌に悪いですよ」

「うーん、このまま運ぶか?」

「担ぐのもアレだ、担架持ってこよう」

 どのみちセレネの仕事はすぐにはない、このまま来客用の部屋のベッドへ運ぶことになった。

 人間、嬉しすぎると脳がショートする。明朝、セレネが目覚めたころにはすべてが終わり、次の時代が始まっていた。

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