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第7話 セレネとジャンの出会い

 王都の郊外ともなれば人家の明かりは減っていくものだが、大兵営に至る道々には篝火かがりびが焚かれ、頻繁に歩哨が巡回しているため夜道といえど暗くはないし安全だ。大兵営の正門ともなれば連なる石壁に篝火の光が反射して、まるで昼間のように明るい。

 その灯りを受けて、セレネが必死にまとめた金の癖っ毛は明々と照らされて、いまいち整っていないことが露わになっているが、バスケットを抱えたセレネはそれどころではない。それを見て衛兵たちが「プリンセスいるな」、「いつもよりここ明るいな」、「夜でも光ってるよな」などとつぶやいている。

 正門から遠く見える、大兵営にもっとも近い乗合馬車の停留所では、所用で戻ってきた兵士たち、王都内に帰っていく事務官たち、居残りをしていたのか人足をしていた一般の労働者たちも時折混じる。そこへ、その場には不釣り合いな——いかにもインテリの学生か何かという風貌の青年が一人、現れた。セレネの目に映る煤けた灰色の頭は、間違いない、ジャン=ジャック・マードックだ。

 ジャンもこの場に不釣り合いな金髪の貴族令嬢であるセレネを見つけ、確信を持った足取りでやってくる。

 カーネリスや他の老将たちの付き添いはやんわりと断り、セレネは一人、ジャンを出迎えるためにここにいる。どうせ過保護な誰かが近くにいるだろうとは思っているが、あえて無視だ。

 石畳の上に散乱する、砕けた砂利を踏んでいく足音が近づいてくる。正門に入るために衛兵のほうへ向かう人々の流れとは別に、突っ立ったセレネの前へと青年が歩み来る。

 思えば、お互いがお互いの目の前に立つことさえも初めてなのだ。セレネはジャンの顔も姿も知っているから真っ直ぐ見つめられる、しかしジャンの青灰色の瞳にはどこか信じきっていないような、戸惑いの色があった。

 それでも、ジャンは礼儀をわきまえて、自分から端緒を開く。

「君が、セレネ・サンレイか?」

 握手の手を差し出すことも、頭を下げることもなく、二人は一瞬だけ視線を合わせる。

 思うことは多々あれど、セレネはグッと我慢して、言いたい言葉を飲み込んで、名乗った。

「そうよ。ジャン=ジャック・マードック、初めまして。私たちの頭の上で婚約話が持ち上がっただけで、お見合いさえまだだったから」

 少しわざとらしいかしら。嫌味に聞こえたかもしれない。セレネとしては穏やかに出迎えたつもりだったが、貴族流の挨拶には慣れていないらしく、堂々としつつもジャンはほんの少し口ごもった。

「ああ、そうだな……君は、大兵営に知り合いでもいるのか?」

「ええ、たくさん」

「たくさん? 僕は貴族に詳しくないが、君の父でもここにいるのか?」

「違うわ。そんなことはどうだっていいの、はい、お土産」

 セレネはバスケットをまっすぐに差し出す。胸にぶつかる直前でジャンは受け取り、何か文句を言われる前にセレネは畳み掛ける。

「話は聞いたわ。私との婚約の件、断るんでしょう? だったら、もう顔も合わせたくないだろうから、約束していた夕食の代わりにこれを持って帰ってちょうだい」

 バスケットからセレネの手が離れ、一歩下がる。

 これでおしまいかな、とセレネが踵を返そうとしたそのときだ。

「君は嫌じゃなかったのか? 自分の意思にかかわらず、勝手に持ってこられた婚約を受け入れるつもりだったと?」

 ジャンの冷静な声が、腹立たしいほどにセレネの神経を逆撫でする。

 跳ね返すように、セレネは即座に反論した。

「そんなわけないじゃない! でも、会いもせずに相手のこと嫌うなんて、私はできないから」

「ちょっと待て。まるで僕が君を嫌っているかのようだが」

「違うの!?」

「子どもじゃないんだ、君のことが嫌いだから断るわけじゃない」

 きっとこのとき、セレネは自分の目が点になっていただろうと思った。

 ——何ですと? あれ、何か……話が違わない? 違うよね? あれ?

 セレネの目が泳ぐ。ジャンが(誤解があったな)とばかりの分かったような顔をして、肩をすくめていた。

「少し、話をしても? 断るにしても、きちんと話をしておきたい」

「え、ええ。どうぞ、こちらへ」

「ありがとう」

 頭の中は疑問符でいっぱいだったが、セレネは何とかジャンを先導して、大兵営内へ戻る。どこか適当な場所で、落ち着いて話をする必要がありそうだった。

▽▽▽▽▽▽

 一方で、その様子を横一列に並んで石壁の真上から覗いていたのは、携帯式望遠鏡を石壁の下へ向けるカーネリス本人と、山高帽とコートを脱いで平時の軍服姿に戻ったカーネリスの部下三人組だった。

 何せセレネは近くにいると自分に向けられる視線と気配を察知するため、古の城壁がそのまま残る高壁の上くらいでないと監視できない。

 セレネとジャンが正門の衛兵に通行の許可をもらって入っていくのを見送って、三人のうちの一人がぼやいた。

「カーネリス閣下ぁ、我々はこのまま待機ですか?」

「もう少し待て、いいから」

「セレネ様を監視しているんじゃ?」

「それ以外にもな」

「となると不審者でも……」

「おい、周囲を警戒しろ」

 仲良く、上司と部下三人は視野を広げ、正門付近だけでなくあちこちに目を走らせる。

 それだけで異常を察知するには十分で、部下の一人が無言のまま、真下にある正門の衛兵に話しかける男を指差した。

 大兵営内の工事や荷物運びに雇われた人足だろうか。身なりはよくないが、肉体労働者であれば丈の合っていない一張羅のジャケットを着て、あちこち穴を塞いだ厚手のズボンを履いているもので、へたれたハンチング帽も年季が入っている。

 下から会話が聞こえてくる。

「止まれ。大兵営への立ち入り許可証は?」

「申し訳ない、今は持っていなくて。今日の納入で倉庫に忘れ物をしてしまいまして」

「それなら次の納入で確かめろ。夜間は通常立ち入りを許可できない」

「どうしてもですかい?」

「ああ、そうだ」

 大兵営であれば、よくある場面だ。夜間は警備の関係上、基本的に当番の兵士や帰還する兵士以外出入りはできない、セレネは例外なだけだ。

 だからこそ、カーネリスたちは勘が働いた。

 カーネリスが身をひるがえし、急ぎ階段へ向かう。部下たち三人は命令されるまでもなく、石壁の上から飛び降りて——うち二人は衛兵を突き飛ばして正門を守る位置に着地し、残る一人は腰に下げていた警棒を不審な男へ向けて振りおろす。

 頭蓋を割るつもりで振りおろされた鋼鉄製の警棒は、激しくぶつかった金属音とともに暗闇へ火花を散らした。

 雇われ人足を装った男は、警棒を持っていたナイフで防ぎ、後ろに跳んで勢いを殺していた。そんな動きができる人足もいる、などと呑気なことを言う人間はここにはいない。その場にいる兵士の肩書きを持つ全員が、すぐさま緊急事態を認識して、正門を守るとともに大兵営内へ知らせを走らせる。武器を手に取り、周囲の警戒が始まったころには、カーネリスの部下の一人が不審な男を叩きのめし、石畳に押し付けて制圧していた。

 残る二人は衛兵たちに指示を飛ばし、カーネリスの到着を待つ。その間にも、不審な男の仲間が逃げ出し、非番の兵士たちが追う。無論、それだけではない。隙を見てさらに別方向からフード姿の不審者たちが現れ、地面に倒れた男を組み伏せるカーネリスの部下へ襲いかかるが、もう一人の部下が素早く阻止する。

 篝火の群れが、石壁へ目まぐるしく動く影を映し出す。やがて、カーネリスが鉄底の長靴の音を響かせてやってくる。

 男が落としたナイフを拾い上げ——少なくとも刃こぼれ一つないことを確認して、カーネリスは地面に倒れた男を冷徹に睨み据える。

「ふん、懐の得物は伊達ではないようだな」

 カーネリスにとっては、もはや慣れきった出来事だ。長く将をやっていれば、誰かを狙った暗殺、その現場に居合わせることは多い。特に、今回は一応《荒事の専門家》を雇ってのことだが、カーネリスからすれば比較的杜撰で突発的だ。

 つまりは金を積めば何とかなると安易に考えた依頼主が、本格的に証拠隠滅や暗殺を行える専門家を雇うことができず、押し通した程度のものだろうとカーネリスは見た。もしこれが、昔のようにだったなら、この程度では済まない。

 セレネが暗殺対象ではないことを密かに安堵しつつ、大兵営総司令官カーネリスはその仕事を全うするために、部下たちへ命令を下す。

「方法は任せる、情報を吐かせろ。時間がない、急げ」

「承知しました!」

 後のことは衛兵たちに任せ、カーネリスの部下たちは地面に倒れた男を引き摺っていった。

△△△△△△

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