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第6話 奇跡の王女はお肉好き

 セレネは、カーネリスをはじめとした老将たちにずっと可愛がってもらってきた。彼らはいつかの戦場で兄弟や子ども、孫が戦死したという者ばかりで、それがより一層、孫同然のセレネへかけるちょっと重い愛情に繋がっていた。

 だからこそ、セレネは一線を越えないように接してきた。今ならただの伯爵令嬢と縁のある老人たちくらいで済む、だがこれが大っぴらになれば、理不尽にも王命で身分を失った元王女と国内でも屈指の有力な軍関係者たちということになる。そうなれば、さまざまな疑いの目が生まれてもおかしくない。

 やれ元王女は王位簒奪を企んでいるだの、元王女を利用して派閥を作った老将たちが国王へ圧力をかけようとしているだの、そういう視線はいずれ大きな疑念を生み、公然と噂されるようになり、いつの間にか事実のように扱われる。そうなれば、諸事情でセレネへの殺意を抑えている国王は、何かのはずみでセレネの殺害を強行するかもしれない。もしくは、国王の憂いを取り除くためにという名分で、褒賞や出世目当てでセレネを暴行するに至る者が現れても何もおかしくないのだ。

 無論、それは今だって危険なままで、第二王妃である母やサンレイ伯爵家、ベルネルティ公爵家のおかげでセレネはを装えている。大人たちはそんなセレネの事情を知っていても、子女はそうとは限らないし、ましてや国王の汚点を広めないためにも世間一般に知られることはない。セレネが身分的には王女であっても、成人の際には放棄することを前提にして王位継承権を奪われていないのはそのためだ。

 そういうものなのだ。国王が死ぬまで、セレネは国王から死を与えられやしないかと怯えることとなる。予言者とやらが今も宮廷にいるとして、それが去ったとしても、国王が「どうあれセレネは死ぬべきだ」と固く信じているのならセレネの安寧はない。

 そんなことは、セレネもとっくの昔に分かっていた……はずだった。

(あーあ、勝手に盛り上がって勝手に落ち込んで、迷惑かけて。私、本当に馬鹿だわ。ちゃんとしないといけないのに、いつもそう)

 今、セレネが生きているのは、だ。セレネを愛する人々、国王の不名誉を案じる人々、平穏に暮らしたい人々、そうした思惑がセレネの死を食い止めてくれている。決して、セレネ自身の力で、自分の身を守っているわけではないのだ。

 王侯貴族であれば、その責任を重々自覚し、軽はずみな言動や行動を避けるべき。そのとおりだ、とセレネは自戒した。

 なので、予定を変更して、食堂の馴染みの料理長にこう尋ねた。

「急で申し訳ないんだけど、サンドイッチとか軽食でいいから、持ち帰るバスケットに詰められるくらい作っていい?」

「おや、セレネ様。もちろん」

 お髭の立派な料理長は、セレネを拒んだりせず、自分の隣に呼び寄せて手伝いを買って出た。

 食堂は早めの夕食ピークが過ぎ、テーブル上に居並ぶビュッフェの料理もたっぷりある。それなりにゆったりとした雰囲気だ。これなら邪魔にはならないとセレネは安堵する。

 セレネは勝手知ったる調理場でサンドイッチに挟む食パンや野菜を取りに行き、他の料理人たちの隙間を縫って戻ってくると、料理長は「残り物ですが」と言ってローストビーフの切れ端を持ってきた。

「やった、お肉だ。ありがとう!」

「いえいえ。それよりも、どうしたんですか? 今日はもう帰られるんです?」

「ううん、後で来る人に渡すの。本当は一緒に夕食をと思ったけどね」

 料理人の一人が、気を利かせて古い軍用のバスケットを持ってきた。返さなくていいということなので、セレネはお言葉に甘える。

 食パンを切り揃えて、バターを塗って、刻んだ野菜と大きめのローストビーフを一枚挟んで、それを五段ほど繰り返して。

 その間にも、セレネは自分の中で渦巻く感情や思考をまとめようと、懸命にモチモチモチモチとコネまくる。無論、頭の中でだ。

(ジャンは私のこと、婚約を断るほど嫌いってことでしょ? 私、何にもしてないのに……いつもそうなんだから。人に嫌われる星の下に生まれたのかしら! ああ、やだやだ! 何でそんなことになるのよ、もう!)

 セレネはあっという間にサンドイッチを押し切り、先回りして料理長がホコリを叩いて布巾で拭ったバスケットに詰め込む。ついでに残り物のパセリをもらって付け足し、それらしい見栄えになった。

 今の気分はどうであれ、目の前にある料理——簡単でも料理は料理だ——は美味しそうに出来上がった。それが普通の貴族令嬢にはできないことを、セレネは知らない。様子を窺っていた料理人たちや料理長が完成を祝って拍手して、少しばかり驚いたほどだ。

 料理長は、うんうんと満足そうに頷く。

「しっかし、手際がいいですねぇ」

「え?」

「セレネ様、料理はお得意でしょう? そりゃあ貴族のご令嬢が料理を作ることなんてないでしょうが、もったいないですねぇ」

「そう? サンレイのお屋敷でよく料理人に教わっていたの。ほら、サンレイのお肉は美味しいから、そのままでも全然いけるんだけど、ローストビーフやシチューにすればもっと美味しくて」

「ああ、確かに! 今でも思い出せますよ、あの戦場でセレネ様が美味い熟成肉をたんまり運んできてくださって、それが美味いの何のって……本当に、美味すぎて泣くやつらばっかりで。いやはや、あれのおかげで、あそこにいた兵士たちは生きる気力が湧いて、故郷に帰れたようなもんでしたよ」

 料理長の昔話は、五年前の戦場を知らない料理人にとっては新鮮なのか、皆真面目に聞いている。

 美味しい肉。イースティス王国では身分の上下を問わず、よく牛肉が食べられる。なだらかで日当たりのいい草原では馬が、少し冷涼な山麓では牛が飼われ、その加工技術も発達してきた。中でも、サンレイ伯爵領は美食を重んじる土地柄、氷室を使って作る熟成肉という手間暇のかかる極上の牛肉が生まれ、王室にも献上するほどだ。現地レストランでは、お忍びで貴族たちがやってきては肉一切れを奪い合う光景も珍しくはない。

 それが将軍から一兵卒に至るまで行き渡るほど大量に、氷ごと素早く戦場まで送り届けたのだ。「頑張ってる人たちに食べてもらいたい」というセレネの発案で、途中の牧場や訓練施設から余っている馬を借りてきて迅速運搬の兵站物流ロジスティクスを組めると確信したサンレイ伯爵家が全力で推し進めたその一件は、そのとき一口でも熟成肉を口にした人間からすれば神の恵みにも等しかった。

 何度も何度もセレネはカーネリスたちだけでなく、兵士たちからも有形無形の感謝の気持ちを受け取った。だが、別にセレネは感謝されたくて行動に起こしたわけではないし、「美味しいお肉をみんなにも分けてあげたい」という当時十歳の子どもっぽい思いつきが形になっただけで、それを奇貨としたサンレイ伯爵家家中の切れ者たちがいたのだから実現したのだ。すべてがすべて、セレネの手柄ではない。そう思っていても、やはりセレネを見かけては手を振る兵士たちの、満面の笑顔は嬉しくなったものだ。

(美味しいものって、印象に残るものよね。じゃあ……美味しいサンドイッチを渡して、あなたはこんなに美味しいサンドイッチを作れるレディを振ったのよ、って言ってやるんだから!)

 セレネの決意は固まった。

 セレネとの婚約を断るジャンに、夕食代わりにサンドイッチを受け取らせて、そう言ってやるのだ。

 バスケットを握り締め、セレネは大兵営の正門へ駆け出した。

▽▽▽▽▽▽

 とある場所、とある人々が集まる部屋では、こんな会話がなされていた。

「ジャン=ジャックが大兵営に招かれた?」

「どういうことだ? あいつは我ら改革派の同胞エールヴェ伯爵から誘いを受けていただろう?」

「あれの頭脳と便利な身分は失うには惜しい。手に入らないのなら、いっそ」

「うむ、大兵営にいる王国派の将たちに疑われて殺された、という筋書きならどうか?」

「我ら改革派躍進の礎とするか」

「それがいい。急いで手配しろ」

 彼らの命令を受けて、多くの人々が動き出す。

 一方で、彼らの敵も、すでに行動を開始していた。

△△△△△△

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