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第32話ータイランノワールー

厩舎からの帰り道、ジルと手を繋いで歩く。


「ジルは一人で馬に乗れるかい?」


ジルが微笑む。


「えぇ、もちろん乗れるわ。ヴァロアに居た頃にレッスンを受けたもの。」


俺は微笑んでジルに聞く。


「じゃあ遠乗りは?」


ジルは少し考える。


「出来なくも無いと思うけれど。」


俺は提案する。


「じゃあ今度は遠乗りだな。少しずつ距離を伸ばして行こう。」


ジルが嬉しそうに微笑む。


「毎日、ブランエールに会いに来てやってくれな。」


言うとジルは微笑む。


「えぇ、そのつもりよ。」



その日から私の日課にブランエールとの散歩が加わった。朝食後、厩舎に行き、ブランエールに挨拶し、ブランエールを連れて辺りを一周する。時にはブランエールが自らまるで乗ってくれと鼻を擦り付けて来る事もあった。乗馬用の服を着て、慣らす為に馬場を歩いたのはそれからすぐの事だった。ブランエールはお行儀良く、私の言う事を良く聞いてくれた。



ジルはめきめきと乗馬の腕をあげていた。俺が馬をプレゼントしてからものの一週間で乗りこなした。もちろん馬との相性もあっただろう。敷地の南側から出れば、その先はしばらく牧草地だ。


「少し牧草地を走らせてみるかい?」


ジルを誘う。ジルは喜んで頷く。



乗馬の準備をする。乗馬服を着ているジルもまた可愛かった。ジルの為に作らせた乗馬台にブランエールが自らやって来る。


「だいぶ、手懐けたな。」


言うとジルは照れて俯く。ジルがブランエールに乗るとブランエールはゆっくりと歩き出す。俺の背後でブルルルと俺の馬が鼻を鳴らす。


「分かった、分かった。」


俺はそう言って自分の馬に乗る。



テオの馬は真っ黒だった。鼻筋だけ白く凛々しい。テオは鐙に足を引っ掛けると一気にマントを翻して馬に乗る。その姿だけで目眩がする程、素敵だった。


「2、3時間で戻る。」


厩者にそう告げて、歩き出す。


「あなたの馬は何てお名前なの?」


聞くとテオが言う。


「タイランノワールだ。」


テオはそう言って微笑む。


「タイランノワール…」


反芻するとテオが言う。


「黒い暴君という意味だ。」


そんな名前とは思えない程、大人しくお行儀良く歩いている。


「そんなふうには見えないけれど。」


言うとテオは笑う。


「コイツは俺しか乗せない。他の者が近付くだけで暴れるんだ。機嫌が悪いと俺でも振り落とそうとする。だが、良い馬だ。足は早いし、誰にも屈服しない。負けず嫌いだが俺には従順だ。」


そう話すテオはとても優しい顔をしている。



草原に出る。遠くには森が見える。


「少し走らせてみるか。」


そう言われて頷く。馬が走り出す。テオは私と並走している。風を切って走るのは気持ちが良い。あっという間に森の入口に到着する。馬の手綱を引いたその時。



ジルと馬を走らせる。ジルに並走しながらジルと共に笑い合う。もう少しで森の入口にさしかかろうとした、その時だった。何か光る物を視界の端に捉えた、次の瞬間、ジルを乗せていたブランエールが急にヒヒーンといななき、その前足を高く上げ、暴れ出した。


「ジル!」


ジルは驚いているのか、振り落とされないように手綱にしがみつく。ブランエールがジルを乗せたまま走り出す。


「待て!ブランエール!」


俺はタイランノワールを走らせて追いかける。


「ジル!捕まっていろ!今、行く!」


森の中を蛇行するように走り抜けるブランエールを追いかける。ブランエールに追いつき、ジルに言う。


「ジル、手綱を…」


その瞬間、今度はタイランノワールが急にいななき、前足を上げる。


「クソッ…」


俺は手綱を引き、タイランノワールを落ち着かせる。


「ジル!」


ブランエールはジルを乗せたまま走っている。


「タイラン!行け!」


タイランノワールがまた走り出す。



「…ジル、ジル。」


誰かが私の名を呼んでいる。


「ジル!」


ハッとする。目の前にはテオが居る。


「テオ…」


テオは私を抱き締めて言う。


「あぁ、良かった…」


辺りを見回す。森の中だった。テオの良い匂い。安心する…。全身の力が抜ける…。



すんでのところでジルを助け出した。タイランノワールで追いついた俺はブランエールの手綱を引こうとした。その瞬間にジルがブランエールから落ちかける。俺はタイランノワールを寄せてジルを抱え込み、馬を止めた。ジルは気絶していて、俺は馬から降りてジルの様子を見た。ジルに呼びかけ、一旦はその声で目を覚ましたが、俺の顔を見て安心したのか、また気を失った。タイランノワールは俺の傍に立ち、俺の背中に鼻を擦り付けている。


「あぁ、良くやった。偉いぞ、タイラン。」


撫でてやる。でもおかしい。急にあんなふうにいななくなんて。とりあえずジルを抱き上げ、俺は辺りを見回した。ここはどの辺だろうか。休めそうな場所を探す。タイランノワールは手綱を引かずとも俺に付いてくる。少し開けた場所に出る。日が落ちかけている。どうするか。ジルを抱えてタイランノワールに乗ろうにも、下手をすればジルが落ちる。俺とジルを縄でくくろうにも、縄が無い。ブランエールはもうその姿さえ見えない。ジルを地べたに置くなんて…でも仕方ない。俺はジルを地べたに寝かせ、マントを脱ぎマントでジルを包む。火を起こすか。



パチパチという音で目が覚める。ここは…どこ…?温かい…そこでハッとする。


「ジル。」


上から声が降って来る。見ればそれはテオだった。


「テオ…」


テオは私を背後から抱き締めていた。そうだ、私、馬に乗ってて…。思い出すと恐怖で体が震える。体の向きを変えてテオに抱き着く。


「大丈夫、大丈夫だ。」


テオは私を抱き締めて、頭や背中を撫でてくれる。


落ち着きを取り戻した私はやっと冷静になる。ここは森の中、目の前には焚き火がある。


「…!…ブランエールは?」


聞くとテオが少し笑う。


「ブランエールはどこかへ走って行ってしまったよ。」


溜息をつく。


「そうなのね…」


テオは私を膝の上に座らせている。


「寒くはないかい?」


聞かれて頷く。


「大丈夫、あなた、怪我は?」


聞くとテオがまた少し笑う。


「俺に怪我は無いよ。」


テオは私にマントをかけ直し、私を抱き寄せる。パチパチと焚き火が音を立てる。


「少し馬を調べたいんだが、良いかい?」


聞かれて私は頷く。


「えぇ、もちろん。」


テオは私を下ろし、立ち上がると、少し離れた所に居るタイランノワールに近付く。不意にブルルルとタイランノワールが鳴く。テオが戻って来る。


「やっぱりだ。」


テオはそう言って地べたに座ると私をまた膝の上に乗せる。


「おかしいと思ったんだ、急にいななくなんて。」


そう言いながらテオは手の中の物を見せてくれた。


「…吹き矢?」


聞くとテオが頷く。


「あぁ、そうだ。馬用にしてはかなり小さい。」


吹き矢に馬用なんて初めて聞いた。


「馬用なんてあるの?」


聞くとテオが頷く。


「あぁ、あるよ。野生の馬を捕らえるのに使ったりする。針に麻酔なんかを仕込むんだ。」


馬を捕らえる…。


「…じゃあ、ブランエールもタイランノワールも、」


言いかけるとテオが言う。


「タイランに関しては大丈夫だ。麻酔は塗られていない…」


テオが語尾を濁す。


「でもブランエールは分からない…そうなのね?」


テオが眉間に皺を寄せて言う。


「あぁ。」


溜息をつく。


「タイランは強い。こんな小さな針くらい刺さっても驚きはするが、制御出来る。だがブランエールはまだ経験が浅い。だから我を失ったんだろう。」


ブランエール、私の愛馬…。ポロポロと涙が出て来る。


「泣くな、代わりの馬なら、」


私はテオに抱き着く。


「代わりなんて言わないで…ブランエールはあなたが私にくれた馬なのよ?初めての私の馬だったのに…」


毎日、会いに行き、鼻を撫で、櫛で体を梳かしてやり、体を拭いて、お散歩もしたのに…。


「ごめん、そうだったな。」


テオが私の背中を撫でる。


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