誰かの泣き声が微かに聞こえる。誰だ…?誰が泣いてる…?不意に意識が戻る。朦朧とした意識の中で泣いているのがジルだと分かる。何故、泣いてる?泣かないでくれ、ジルの泣き声を聞くと胸が苦しくなる。…そうか、俺は熱を出して、倒れたのか。
「ジル…」
呼ぶとジルが俺の手を取る。
「テオ!」
俺は笑ってジルを引き寄せる。
「おいで。」
息を切らしながら言う。ジルが俺の腕の中に収まる。抱き締めて思う。あぁ、俺の愛しい人。
「大丈夫、大丈夫だ。」
ジルが俺に抱き着く。
「泣かないで、俺が居る。俺が守るから…」
ジルは泣きながら俺の腕の中で震える。守らなくては。何があっても。
ガサガサと大きな音。茂みが揺れる音。目が覚める。ジルを腕に抱いて、何者かに備える。小屋の扉が開く。
「殿下!」
その声は参謀のマクリーだった。ドタバタと何人もの人間が小屋に入って来る。
「静かにしてくれ、ジルが眠ってる…」
言うとマクリーが涙ぐみながら言う。
「ご無事で…!」
俺は笑う。
「無事かどうかは怪しいがな。」
そして腕の中で眠るジルを起こす。
「ジル、起きて。助けが来たよ。」
ジルが目を覚ます。
俺たちはそこから一番近い村へ移動し、村の医者に手当を受けた。ジルに怪我は無い。それが唯一の救いだった。そこからは長い時間をかけて王都に戻った。王都に戻った時には兄上が激怒し、パラベンを潰す手筈を整えていた。マドラスを始めとした精鋭部隊も息巻いている。俺はパラベンで起こった事を皆に話し、ある程度の制裁は加えても国だけは、マーカスだけは救って欲しいと提言した。
王都に戻ってからというもの、ジルは以前にも増して俺から離れなくなった。強制的に離され、俺が死んだと聞かされ一度は絶望の淵に居たのだ、それも仕方ない。ジルが安定するまでは俺の静養も込みでジルを甘やかしてやろうと思った。
失礼しますと言ってマクリーとルーシーが部屋に入る。ソファーに座ってジルの肩を抱く。今日はマクリーとルーシーをあの日についての事情聴取の為に呼んだのだ。
「話せ。」
俺がそう言うとマクリーは片膝をついて、頭を下げながら報告する。
あの日、私は殿下の乗る馬車のすぐ近くに居た。不意に投げ込まれた麻酔弾で馬車まで辿り着けず、意識を失った。目を覚ました時にはもう夕方で周りは皆まだ倒れていた。皆を起こし、馬車を確認した。殿下と奥様が消えていた。拐かされたのだとすぐに分かった。皆が右往左往している。私は考える。こういう時、殿下ならどうなさるか。とにかく手がかりになりそうな物を探そうと思った。投げ込まれた麻酔弾の殻を手に取り、調べる。匂いを嗅いで分かった。ホリアツスの花の香りだ。この周辺でホリアツスが自生しているのはパラベンしか無い。さて、どうするべきか。今は体勢を整えてしっかりと統率をとらねば。その場で全員を集め、今の状況を把握させる。今の部隊編成では弱小国パラベンと言えど、戦うには厳しい。早馬を走らせて王都に伝令を送る事、今この場所で夜営を張る事、少しずつ捜索範囲を広げて行く事を告げる。早馬にはルーシーが志願した。早馬を送り出し、夜営を張り、体調不良の者が居ないか気を配る。翌日は朝から捜索範囲を広げパラベンにほど近い小屋から煙が上がっているのを見て、小屋へ向かった。小屋の入口に殿下のマントが掛けられていて、中に入ると殿下が奥様を守るように抱いていらっしゃった。
ルーシーを見る。ルーシーは両手に酷い怪我をしていた。
「ルーシー、それは何だ。」
聞くとルーシーは俯いたまま言う。
「早馬で一刻も早く王都に辿り着かねばならず、なので手綱を離さないように縛りました。」
ルーシーが突然、ひれ伏して言う。
「奥様!殿下!申し訳ありませんでした!」
その声は涙に濡れている。
「ルーシー、止せ、お前のせいでは無い。」
俺はジルを抱き寄せながら言う。
「確かに俺はお前をジルの護衛騎士に任命した。だがな、お前はまだ見習いだ。ふた月と言ったろう?」
ジルを見下ろして微笑み、ルーシーを見る。
「それにあの麻酔弾は強力だった。この俺でさえ、ものの数秒で意識を失ったからな。」
ジルの頭を撫でる。
「この件で誰かを罰するなどとは考えていない。あれは想定外の敵襲だった。奇襲にしては敵ながら天晴れと言うしか無い。」
パラベンはファンターネの支配下に置かれた。国王だったシオスは処刑。宰相であったマーカスを次の王として据えた。シオスを処刑したのは隣国への牽制もあった。大国ファンターネを敵に回せば、ファンターネの王族に手を出せば、容赦はしないという見せしめの意味合いもあった。思わぬ収穫もあった。ホリアツスの花の優先的な取引とモラセルの実の効果を自身で試せた事だ。特にモラセルの実の鎮痛と抗炎症の効果は抜群だった。