テントにルーシーを入れる。
「私付きの護衛騎士ならば、うちの屋敷に貴方のお部屋をあげなくちゃね。」
ルーシーは目を白黒させてあわあわしている。
「そんな、妃殿下の御屋敷に部屋だなんて…!」
私は笑って言う。
「だって私が呼んだらすぐに飛んで来なくちゃいけないのよ?それに。」
ルーシーの手を取る。
「貴族のマナーや教養のお勉強もあるし。時間がある時は私も貴方の先生をやりたいわ。」
ルーシーは顔を真っ赤にしている。
「それから、私の事を妃殿下と呼ぶのは止めて欲しいの。呼ぶなら名前か奥様か、ね。」
ルーシーが私を見て恥ずかしそうに言う。
「それでは奥様、と。」
ルーシーの手を引く。
「来て。」
そう言って荷物の中からクリームを出す。それを手に取りルーシーの手に塗る。
「妃殿…奥様、何を…!」
ルーシーの声を無視して手にクリームを塗っていく。
「貴方の手はすごいわ。」
たくさん鍛錬したのだろう、手にタコがたくさんあった。
「人を、国民を守る為にこんなにたくさん努力したのね。」
ルーシーは瞳に涙を浮かべている。
「クリームなんて塗ったら剣が滑ってしまうかしら。ごめんなさいね。」
言うとルーシーが首を振る。
「とんでもございません。私なんかの為にこんな…」
ポロポロと涙を零すルーシーを抱き締める。
「私なんか、では無いわ。貴方だから、よ。」
ルーシーの頭を撫でる。彼女はきっとものすごく努力したに違いなかった。女であるという不利を克服する為に。人の何倍も鍛錬をし、人の何倍も訓練もしただろう。抱き締めてみれば分かる。女であるけれど、その筋力は訓練を受けていないその辺の輩など簡単に捩じ伏せる事が出来る程だろう。
「欲しいものがあったら何でも言ってね。私が貴方の為に出来る事は何でもやるわ。」
ルーシーは泣きながら聞く。
「何故、そんなに優しく…」
私は笑う。
「だって一番最初の護衛騎士なのよ?大切にしなくちゃ。」
あぁ、殿下は素晴らしい方とご結婚されたのだと再認識した。殿下が妃殿下に骨抜きにされてしまうのも頷ける。何て無邪気で愛らしい方なのだろう。第一騎士団へ挨拶に来られた時にお見かけしてから、ずっと憧れていた。尊敬している殿下がそれまで皆に見せた事の無い、愛情溢れる表情。誰一人として女性を寄せ付けなかった殿下が唯一、触れて口付けて、愛しているのだと公言する方…。守らなくては。この命に代えても。
テントが片付けられ出発する。馬車の中で上機嫌なジルを見ていて何だかこちらも嬉しくなる。
「上機嫌だな。」
言うとジルは微笑んで言う。
「はい、だってこれから王都に戻ったらルーシーのお部屋の準備をして、護衛騎士の制服も整えなくてはいけないわ。テオのように何を着ても格好良いなら、その心配は要らないけれど。」
俺は笑って聞く。
「何を着ても格好良い?」
ジルはパッと顔を赤くして言う。
「えぇ、テオは何を着ていても、着ていなくても、目眩がする程、素敵だわ。」
ジルの手を引く。
「おいで。」
ジルを膝の上に乗せる。
「俺と一緒に居る時に別の誰かの事を考えて欲しくは無いな。」
ジルは頬を染めて頷く。
「分かりました。」
ジルは俺の首に手を回すと俺に寄りかかり、言う。
「貴方が愛しくて、苦しい。」
そう言われて微笑む。
「俺もだよ。」
ジルは俺の頬に口付けて聞く。
「ルーシーをテントに寄越したのは貴方の仕業ね?」
俺は笑う。
「そうだよ、ジルなら気に入ると思ったんだ。」
ジルを見る。ジルはうっとりと俺を見て言う。
「最初からルーシーを護衛に付けるおつもりだったのね…」
ジルの頬を撫でる。
「そうだよ。」
ジルが甘い吐息と共に言う。
「貴方はいつも…」
「黙って。」
そう言って口付ける。
ガタガタと揺れていた馬車が急に停まる。咄嗟に膝の上のジルを抱き留める。
「何事だ!」
慌てて外を見る。外は煙幕が張られていて、何も見えない。敵襲か。騎士たちがゴホゴホと咳き込んで
いる。匂いを嗅いだ瞬時に分かる。マズイ、これは…そう思った時、馬車の中に何かが投げ込まれる。馬車の中にも煙が立ち込める。
「ジル、俺から離れるな!」
煙を吸わないように腕で鼻を抑える。
「煙を吸うな…」
そう言った時には遅かった。ジルがゴホゴホと咳き込む。
「テオ…」
そう言った時にはジルは気を失った。
「ジル!ジ、ル…」
頭がクラクラして倒れかかる。ダメだ、倒れては…ダ、メ、だ…。
「首尾よくいったか。」
聞くと侍従が言う。
「はい、陛下。」
連れて来られた二人を見る。
「女の方は城へ、男は地下牢へ。」
指示すると侍従が聞く。
「騎士たちはどうしますか?」
俺は鼻で笑って言う。
「放っておけ、どうせどこへ行ったかも分からんのだからな。」
目が覚める。見た事の無い天井。ここはどこ…?体を起こす。
「お目覚めですか、姫君。」
言われて声の方を見ると黒く長い髪の男性が居る。
「ここは、どこです?」
クラクラと目眩がする。頭が痛い。徐々に鮮明になる記憶。そうだ、私、馬車に乗ってた筈…投げ込まれた何かが出した煙を吸って…。
「大丈夫ですか?」
その男性が手を伸ばして来る。咄嗟にその手を払う。手を払われた男性は申し訳無さそうにしている。
「お目覚めのようですね、姫君。」
違う声がする。その声の方を見る。その顔は…。
「シオス陛下…。」
言うとシオス陛下は嬉しそうに微笑む。
「ほぅ、私の事を覚えて下さっているとは。嬉しいですね。」
私は辺りを見回す。テオが居ない。
「テオは?テオはどこです?」
聞くとシオス陛下が顔を顰める。
「テオドール殿下はここには居りません。」
ここには居ない?ではどこに居るの?私は何故ここに寝かされているの?テオだけ居ないのは何故なの?
「ここは、どこです?テオは?」
シオス陛下はニコッと笑って言う。
「ここは我が国、パラベン王国、王城ですよ。そしてテオドール殿下は死にました。」
言われた瞬間、思考が停止する。
「今、何て…」
シオス陛下はニタニタと笑って言う。
「テオドール殿下は死んだのです。」
頭の中にテオが浮かぶ。テオが死んだ…?
「…そんなの嘘、嘘よ!テオが死んだなんて!嘘だわ!」
涙がボロボロ出て来る。シオス陛下は溜息をついて言う。
「本当ですよ、あの者はもう居ないのです。ほれ、見せて差し上げろ。」
ベッドの脇に居た男性が何かを差し出す。それはハンカチに乗せられた何か。良く見れば長い銀髪。
「テオの…髪…?」
恐る恐る触れる。間違いなくテオの髪だった。毎日私が梳いた美しい銀髪。
「遺髪ですな。」
美しい銀髪を手に取る。テオが…死…?テオが…テオが…そこで意識を失う。
「意識を失ったか。」
ベッド脇に居た男に言う。
「見張っておけ。」
私は部屋を出て、ウキウキしていた。あの麗しの姫君が手に入ったのだ。これからはあの姫君と一緒に暮らす。女など宝石やドレスを買い与えればすぐになびく。そのうちにあの忌々しい男の事など忘れて楽しく暮らすさ。あの麗しい姫君があの男を見つめるように私を見つめるようになると思うと心が躍った。地下に入ると大きな怒鳴り声がする。
「ジルは!ジルはどこだ!」
俺は地下牢に居た。目覚めると体が動かなかった。見れば俺は太い鎖に両腕を繋がれ、天井から吊るされていた。目が覚めてすぐにジルの事を思った。
「ジルは!ジルはどこだ!」
怒鳴っても答えは無い。ハラハラと髪が落ちて来る。長く伸ばしてあった髪が切られている。足音がする。誰かが来たようだ。衛兵が頭を下げる。どうやら親玉が来たようだ。
「大きな声を出すな、うるさくて適わん。」
顔を見た瞬間にそれが誰だか分かった。
「シオス陛下…」