朝食を取り、さっと着替える。
「ジルはゆっくり支度していて良いからな。」
俺はそう言ってテントを出る。今日の日程の確認をしなければ。テントを出ると脇にルーシーが控えていた。
「お呼びですか、殿下。」
俺は足を止めてルーシーに言う。
「ジルが中で支度している。手伝ってやってくれ。」
ルーシーは驚いたように俺を見て言う。
「でも、私なんかで良いのでしょうか。」
俺は笑う。
「お前は普段からジルの話しかしてないらしいな?マドラスから聞いてるぞ?」
ルーシーが顔を赤くする。
「支度は一人では大変だろう。侍女を連れて来ていないからな。」
ルーシーに聞く。
「頼まれるのが嫌なら命令するが?」
ルーシーは首を振り言う。
「それには及びません。」
俺は笑って言う。
「じゃあ後は頼む。」
さて、着替えなければ。服をカバンから取り出しているとテントの外から大きな声がする。
「失礼します、王弟妃殿下。」
仰々しい呼び方をして入って来たのは女性だった。短髪でパッと見は少年のような。その者は片膝をついて挨拶する。
「私はルーシー・ステリアンと申します。テオ殿下より妃殿下のお支度のお手伝いを頼まれました。」
緊張しているのだろう。私は微笑んで言う。
「そう、ならお願いするわ。」
彼女は顔を上げ、立ち上がる。
「今日の服はこれにしようと思うの。」
キラキラと輝く笑顔でそう言う妃殿下を目の前に私は感動していた。この世の中にこんなに美しい方がいらっしゃるのかと。妃殿下は服を着ると言う。
「結んで下さる?」
ハッとして言う。
「はい、ただいま。」
妃殿下に近付いて言う。
「失礼します。」
服の背中の紐を結ぶ。
「キツくは無いですか?」
聞くと妃殿下は微笑んで私を見る。
「大丈夫よ。」
同じ女なのにここまで違うのかと思う。いや、自分は自ら望んで騎士になったのだ。妃殿下はひらりと身を翻して小さな椅子に座り、髪を梳く。あぁ、あの髪を結いたい。許して貰えるだろうか。
「妃殿下、あの、」
言うと妃殿下が振り返り聞く。
「何かしら?」
勇気を振り絞って言う。
「髪を結わせて頂けますか!」
妃殿下はふわっと笑って言う。
「えぇ、お願い。」
妃殿下に近付いてその髪に触れる。あぁ、何て柔らかいんだ。亜麻色の長く美しい髪。櫛で梳かして、ずっと思い描いていた髪型に編み込んで行く。
「上手なのね。」
妃殿下が言う。恐れ多い事だ。
「あ、いや、あの、自分はこんな短髪ですので、髪をいじったりは出来ませんが…髪を結うのが好きなんです…」
あぁ、言ってしまった。妃殿下の前に鏡が無くて良かった。自分でも顔が真っ赤だろうなと思う。もう勢いついでに言ってしまおうと思い、聞く。
「あの、妃殿下、その、髪飾りを付けても?」
妃殿下は微笑んで言う。
「えぇ、好きなのを使って。」
私は髪飾りが入っている箱を見て考える。これならきっと、そう思い、それを取り出して妃殿下の髪を編みながら編み込んで行く。髪を止め、リボンで結ぶ。ふぅーと息を吐いて、妃殿下に手鏡を渡す。
「どうぞ。」
そして少し大きめの鏡を持ち、妃殿下に聞く。
「どうでしょうか。」
妃殿下は手鏡に映る髪型を見て言う。
「素敵だわ。とても素敵。」
そして振り返って私に言う。
「ねぇ、あなた、私の侍女にならない?」
急に言われて混乱する。
「いや、あの、えっと、自分は侍女だなんて、平民の出ですし、貴族のマナーや教養もありません。」
そう自分で言っていて思う。そうだ、私は平民だ。貴族とは住んでいる世界が違う。剣を振るうのが好きで、女としてはかなり人とは違った生き方をして来た。懸命に努力して騎士団に入り、戦場にも出て戦果を上げ、第一騎士団に入った。第一騎士団ではまだまだ精鋭部隊には配属されてはいなかったが、そこを目標に頑張って来たのだ。俯いたまま言う。
「自分は騎士です、どこかのご令嬢のように、たおやかに振る舞う事は出来ません。…ヒラヒラした服も見るのは好きですが、自分が着たいと思った事もありません。」
せっかく妃殿下が提案して下さっているというのに、自分は…。そう思っていると妃殿下が言う。
「ステリアン卿、お顔を上げて。」
妃殿下は事もあろうか、私の手を取る。あわあわする。
「あのね、ステリアン卿、いえ、ルーシー。」
妃殿下を見ると妃殿下はとても真摯なお顔で言う。
「ついこの間、私付きの侍女が一人、辞めてしまったの。次の侍女を誰にするかとても困っていて。今、貴方が私の髪を結ってくれている間に思ったの。貴方のような強い人を侍女として傍に置けば良いんだって。」
妃殿下の手はとても柔らくて温かい。
「今はテオが付いていてくれて、守ってくれているけれど、テオが付いて来られない場所も多いの。相手が同じ貴族の令嬢程度なら私でも対処出来るけれど、そうでは無かったら?」
そう言われてハッとする。
「以前、王太子殿下との間でいざこざがあったのは知っているわね?」
聞かれて頷く。腸が煮えくり返った出来事だった。
「そういう場合にもし、貴方が居たら?」
聞かれて私は言う。
「妃殿下をお守りします。手を触れさせないように対処します。」
妃殿下が微笑む。
「私が望むのはそれなの。残念だけど私は腕力では殿方には勝てない。圧力をかける事は出来ても、ね。」
そして妃殿下は少し考えて言う。
「侍女だと色々と面倒な事も多いから、護衛騎士として私に付くのはどうかしら?」
護衛騎士…憧れの妃殿下と共に居られる…。
「でも、私で良いのでしょうか。」
言うと妃殿下は私の手を握って言う。
「貴方が良いわ。こんなに素敵な髪型にしてくれる騎士なんて、素敵だわ。」
そして言う。
「もし受けてくださるなら、ヒラヒラした服も着ないで良いわ。着替えのお手伝いやらお風呂やら覚えて貰わなくてはいけない事も多いけれど。」
お風呂と聞いて顔が赤くなる。恐れ多い事だ。
「おふ、お風呂は、あの、私のような下賎な者がお手伝いなんて、とんでもございません。」
妃殿下がクスクスと笑う。そして急にトーンを変える。
「私付きの騎士になるという事は、それなりにマナーも教養も身に付けて貰う事になるけれど。やって貰えるかしら?」
妃殿下は貴方が良いと言って下さった。心を決める。
「私で宜しければ。」
妃殿下は花が咲くようにパッと笑う。
「じゃあ決まりね。早速、テオに言わないと。ルーシーは私が引き抜きますとね。」
「テオ!」
日程と道行を確認していると、ジルの声がする。振り返るとジルがルーシーの手を引いて小走りにやって来る。どうやらルーシーが気に入ったようだ。俺の前まで来るとルーシーの手を離し、俺に飛び付くように腕の中に収まる。
「どうした?」
抱き留めて聞く。ジルは俺を見上げて言う。
「ルーシーを私にくださらない?」
そう言われて笑う。周りに居た騎士たちも頭を下げながらニヤついているのが分かる。
「ルーシーをジルに、かい?」
聞くとジルは真面目な顔で言う。
「えぇ。護衛騎士として傍に置きたいの。」
思った通りだ。
「ジルが欲しいと言うなら仕方ないな。」
そしてルーシーを見ずに言う。
「ルーシー・ステリアン、我が妻、ジルの護衛騎士になるとなると、お茶会や夜会などにも同行して貰う事になる。それなりのマナーや教養を身につける為の訓練もしなくてはいけないが、騎士団の仕事もある。やれるか?」
ルーシーは片膝を付いて言う。
「妃殿下の為にこの身を砕いてでも。」
ジルはキラキラした瞳で俺を見上げている。
「ふた月だ。」
ジルがハッと悟って言う。
「テオ!」
まるで咎めるような声。俺はジルの頬を撫でる。
「大事な妻の護衛騎士になるんだ、ふた月で形にしろ。」
言うとルーシーが言う。
「御意。」
ジルの髪型が綺麗に編み込まれている。それに触れて言う。
「今日の髪、とても素敵だ。」
ジルが嬉しそうに言う。
「ルーシーが編んでくれたのよ?」
俺は感心する。
「ほぅ、こんな特技があったとは。」
ルーシーは頭を下げているが、耳まで真っ赤だった。
「ルーシーを連れて行っても良い?」
ジルは無邪気に言う。その無邪気さを愛しく思う。
「あぁ、良いよ。」
ジルは俺の頬に口付けて言う。
「ありがとう。」
そしてひらりと身を翻してルーシーの手を取ると走り出す。ルーシーはジルに引きずられるように付いて行く。その様子がとても微笑ましかった。
「いやぁ、愛らしいお方だ。」
参謀の一人であるマクリーが言う。俺も笑う。
「あぁ、いつでもジルは愛らしいよ。あの無邪気さを守ってやらなくては。」