あの女の余裕のある態度を見て腸が煮えくり返る。普通、タイとカフスボタンが他の女の所にあったら取り乱したりするのに。本人に直接返せですって?そんな事出来る訳無い。盗み出した物だと知られたらそれこそ私が終わる。キリキリと歯を食い縛る。こうなったら既成事実を作るしか無い。
ギリアムが俺の元に妖しい招待状を持って来た。仮面舞踏会か。しかも主催はマクミラン家だ。このタイミングで仮面舞踏会などとは。謀をしていると言っているようなものじゃないか。
マクミラン嬢とは昔から知り合いではある。マクミラン嬢が夜会やお茶会に出るようになった頃から頻繁に誘いがあった。俺は全て断っていたが。いつだったか、マクミラン嬢は強行な手段で俺を誘い、一度だけ帯同した事があった。その時も異常な程に体を俺に付け、そして言ったのだ。自分はいつでも俺とそうなる準備があると。俺はそう言うマクミラン嬢を嫌悪した。その時にきちんと俺にはその気は無いとハッキリ断ったのだ。それ以降は俺がそういう場所に出席しない事でマクミラン嬢との接触を避けて来た。最近は俺とジルとの婚約から結婚までが短期間だったのと、エドワードの一件で色々と忙しくしていて、接触も無かったのに。
出席するのも面白いかもしれない。もう一度、きちんと断りを入れて完膚なきまでにバッサリ切った方が良いだろう。
ノリスから連絡が入る。殿下の部屋に侵入した者を捕らえたと。急いで奥様に報告し、その場に駆け付ける。ノリスが捕らえていたのは、奥様付きの侍女、サリーだった。
「サリー、あなただったのね。」
奥様が言う。サリーは青い顔をして俯いている。
「事情があるなら話してちょうだい。」
奥様が毅然と言う。サリーが言う。
「確かにロザリー様からタイとカフスボタンを持って来るように言われました。」
そう言うサリーの手元には殿下の着古しのシャツが握られていた。
「ではそれは?」
私が聞くとサリーが俯いて震えながら言う。
「昔から殿下の事をお慕いしておりました…だから殿下のお部屋に入れる事が嬉しくて…殿下が身に付けていた物に触れる事が出来て嬉しくて…少しでも殿下を近くに感じたくて…」
サリーが床に伏す。
「申し訳ございませんでした…」
由々しき事態だ。
「残念だけど、あなたの部屋も調べさせます。」
奥様が毅然と言い、ノリスに頷いて見せる。ノリスがすぐに部屋を出て行く。サリーは顔を上げて言う。
「あの、それは…」
その反応を見るに恐らくは他にも殿下の物を自分の部屋に持ち込んでいるのだろうと察する事が出来た。
「奥様、どうなさいますか?」
聞くと奥様は少し考えて言う。
「このままサリーをここに置いておく訳にはいかないでしょうね。テオの私物を部屋に持ち込む事も許されない事なのに、それを屋敷の外の人間に渡したとなると、それはもう窃盗になるから。」
サリーが顔を青くする。
「この事はテオに報告をして、指示を扇ぎましょう。私が無闇に侍女を罰する訳にはいかないでしょうから。」
サリーが奥様に縋り付く。
「殿下には!…殿下には言わないでください…」
奥様はしゃがみ込んでサリーを見る。
「あのねサリー、そういう訳にはいかないのよ。想いを寄せる事は別に良いの。テオがそれだけ魅力的だという事だもの。問題なのはあなたが外部の人間にテオの私物を渡した、という事なの。もっと言ってしまえば、あなたがテオの私物を自分の部屋に持ち込んだとしても、私はあなたを罰するつもりは無いわ。テオは魅力的な人だからそれは仕方ない事だもの。私にも分かるわ、想いを寄せる人の使ったもの、触れたもの、身に付けたものに触れたい気持ち。だからこの屋敷の侍女の誰かがテオの私物を部屋に持ち込んでいたとしても、咎めたりはしない。でもそれはテオが一番嫌う事だという事もこの屋敷で働くなら知っておく必要がある。どれだけ自分を自制出来るか、身の程を知らないとその先の人生が閉ざされてしまう事もあるのよ。」
サリーの部屋に入るとそこには至る所にテオの私物が置かれていた。テオの着ていたシャツ、身に付けていたタイ、テオが使ったであろうグラスや書き損じた手紙…。
「これは…」
ギリアムが絶句している。私は溜息をついて言う。
「もう妄執的にテオが好きなんでしょうね。」
これだけのテオの私物に囲まれて、サリーは何をしていたかと思うとゾッとした。
「これはもうサリーには申し訳無いけれど、ここには置いておけないわね…」
ギリアムが一喝する。
「サリーを地下へ!」
ノリスがサリーを連れて行く。
「ここにある物は全て捨ててちょうだい。」
私は初めて人の情の深さを垣間見た。恋というのはこれ程までに人を狂わせるのだ。
「奥様お耳に入れたい事がございます。」
部屋に戻った時にギリアムが言う。
「何かしら。」
聞くとギリアムが言う。
「本日、マクミラン家で仮面舞踏会がございます。招待されているのは殿方ばかりです。そして殿下にもその招待状が届いております。」
ギリアムを見る。
「テオは行くと?」
ギリアムが頷く。
「はい。」
少し考える。このタイミングでの仮面舞踏会。絶対に何かある。
「その仮面舞踏会にはどうしたら潜り込めるかしら。」
言うとギリアムが言う。
「それでしたら、マドラス卿にお願いしてみてはいかがでしょうか。」
昔から仮面舞踏会はいかがわしいものだ。仮面をしているだけで、どこの誰かも分からない。その状態で出会い、その時だけの関係を結ぶ者も居ると聞く。しかも招待は殿方だけ、となれば、その場にいる女性は恐らく娼婦やその真似事をしたい奥方という事もある。今回の仮面舞踏会の狙いはテオだろう。マクミラン嬢自らがテオを誘惑するつもりなのだ。
仮面舞踏会の会場は妖しい雰囲気だった。ムスクの噎せ返るような香りが充満している。わざと照明を暗くして雰囲気を出している。その場に居る男は皆、正装をしているけれど、女は皆、娼婦のような格好だ。不意に腕を掴まれる。見ればそこには赤髪の女。瞳は燃えるような赤。すぐにマクミラン嬢だと分かる。
「何だ。」
言うとマクミラン嬢は微笑んで言う。
「主催者としてきちんとおもてなししますわ。」
そう言うとマクミラン嬢は俺を奥へ誘う。溜息をついて付いて行く。通されたのは豪奢な一室。この為に用意でもしたんだろう。
「まずは乾杯しましょう。」
マクミラン嬢がグラスにワインを注ぐ。グラスを渡されてグラスを合わせる。
「乾杯。」
マクミラン嬢が一気に飲み干す。飲むか飲まないか迷った。
「怖気付いているのですか?」
そう言われて俺は笑ってそれを飲み干す。飲んだ瞬間に分かった。これは、媚薬入りだと。
「媚薬か。」
マクミラン嬢は既に頬を染めている。
「下らん。」
そう言ってグラスを投げ捨てる。グラスが音を立てて割れる。マクミラン嬢が俺に身体を擦り付けて来る。
「この媚薬は強力なんです。テオ様だって…」
俺はマクミラン嬢を振り払う。
「俺に媚薬は効かん。」
マクミラン嬢が叫ぶように言う。
「そんな筈ないわ!」
俺はマクミラン嬢を見下ろして言う。
「どんな媚薬を持って来ても無駄だ。それよりも。この俺に媚薬と言えど薬を盛ったんだ。この意味が分かるな?」
マクミラン嬢は息を切らしている。媚薬が効いているのだろう。
「今日のところは失礼する。が。自分がした事を努努忘れるなよ。」