ジルの背中を撫でる。
「喉が渇いたな。」
そう言ってジルに布団を掛け、ベルを鳴らす。ドタドタと足音がする。普段ならこんなふうに慌てて駆け付けて来るなんて事は無いのに、珍しいなと思って笑う。失礼しますと言ってギリアムが入って来る。
「ご用でしょうか。」
ギリアムはわざとこちらを見ないように目を伏せて聞く。
「あぁ、水を。」
ギリアムは目を伏せたまま言う。
「かしこまりました。」
俺はうつ伏せで微睡んでいるジルを見て、ギリアムに言う。
「ジルの分にはレモンを入れてやってくれ。」
ギリアムが言う。
「かしこまりました。」
上半身裸の殿下とうつ伏せのジル様…。何て美しい光景なんだろうか。ジル様にお気を配って、レモンを入れろと仰る殿下に涙ぐみそうになる。急いでお水の準備をする。あぁこれで我が主君は安泰だ。この世でただお一人の愛する姫君を手に入れたのだから。
水が運ばれて来る。
「そこに置いておけ。」
言うとギリアムはパッと周囲を見て、すぐに床に落ちている濡れたガウンとタオルを発見し、それを拾う。
「すぐに替えのものをご用意致します。」
そして何も言わずに出て行く。執事として完璧な対応だなと思う。ベッドを出て水を汲み、飲み干す。ジルの分のグラスに水を注いでベッドへ持って行く。
「ジル、お水だよ。」
ジルがゆっくりと体を起こす。俺から水を受け取るとゆっくり飲む。
「これからは常に水は用意させよう。」
そう言うとジルが笑う。
「そうですね。」
ノックが響く。俺はジルに布団を被らせ、言う。
「入れ。」
失礼しますと言ってギリアムが入って来る。
「新しいガウンとタオルでございます。」
そう言ってベッドに近付き、俺にそれを渡す。
「ん、すまない、ありがとう。」
ガウンに袖を通す。
「ジル、ガウンを。」
ジルが起き上がるのと同時にギリアムが下がる。ジルがガウンを羽織る。ジルの髪はまだ濡れたままだ。俺はタオルを手に取り、ジルの髪を拭く。
「テオ、そんな事なさらなくても…」
ジルが止める。俺は笑う。
「良いんだ、俺がやりたいんだから。」
入口に居たギリアムが言う。
「殿下、国王陛下からのお手紙が届いております。」
俺は笑う。
「後で見る。置いておけ。」
するとジルが俺を見て言う。
「国王陛下からのお手紙ですよ?私の髪よりお手紙の方が大事です。」
俺は真面目な顔をして言うジルの頬に触れて言う。
「俺にはジルの髪を拭く事の方が大事だよ。」
「テオ!」
まるで子供を呼ぶようにそう言うジルに降参する。
「分かった、分かった。」
ギリアムは微笑みを称えて手紙を持って来る。手紙の封を切り、中を取り出すとジルが少し俺から離れる。そんなジルを強引に引き戻す。
「何故、離れる?」
聞くとジルが俯いて言う。
「国王陛下からのお手紙ですよ?大事な事が書かれているかもしれないので。」
俺は笑って言う。
「兄上は何かと手紙を書くのが好きなんだ。どれも大した内容じゃない。」
手紙に目を通してジルに渡す。
「読んでごらん?」
ジルが手紙を受け取りながら聞く。
「良いのですか?」
俺が頷くとジルが手紙に目を落とす。手紙は短い挨拶から始まり、ジルとの婚礼の儀を何時にするのか決める為に王宮に来いと書かれている。
「婚礼の儀…」
ジルが呟く。ジルの肩を抱く。
「そうさ、俺と兄上とジルの父上で婚礼の儀を何時にするか決めるんだ。」
ジルを見下ろす。
「国王陛下も?」
聞かれて笑う。
「そうだよ、俺も一応は王弟だからな。式には兄上も出席するし、王妃殿下も出席なさる。兄上が盛大にやろうとうるさくてな。」
ジルの手を取り口付ける。
「ジルは何時が良い?」
聞くとジルは頬を染めて言う。
「すぐにでも。」
そんなジルが可愛くて微笑む。
「俺もそうだよ。すぐにでも式を挙げたい。でも色々と準備があるからな。俺の花嫁にはこれ以上ない程のウェディングドレスを用意してやりたいし。」
ジルが考える。
「そうなるとドレスの誂えなどを考えても…早くても一ヶ月後くらいでしょうか。」
俺は笑う。
「一週間。」
ジルが驚く。
「一週間?!」
俺は笑って言う。
「そうさ、一週間で用意させる。俺は王弟、ジルは天下のヴァロア家だ、不可能など無い。」
そしてジルを見下ろす。
「すぐにでも支度が始まるよ。忙しくなる。」
ジルが俺を見上げて聞く。
「王宮にはいつ?」
俺はまた笑う。
「今夜だよ。」
ジルがまた驚く。
「もう!早く言ってくださらないと。」
ジルがベッドを出る。そして立ち止まると振り返ってまた戻って来る。
「テオ!来てください。」
ジルに手を引かれてベッドを出る。何事なのかと思っているとジルは俺の手を引いたまま自分の部屋に入る。俺の部屋とは違うラベンダー色の柔らかい雰囲気の部屋。ジルは俺の手を引いたまま歩き、クローゼットの中へ引き込む。
「テオが選んでください。」
クローゼットの中は半分くらいだろうか、ドレスが並んでいる。選んでくれと言うジルが可愛くて仕方ない。
「その必要は無いよ。」
言うとジルが不思議そうに俺を見る。今度は俺がジルの手を引いてジルの部屋に戻る。
「ギリアム!」
声を出すと俺の部屋の方からギリアムが失礼しますと言って入って来る。ギリアムの後にメイドたちが続く。大きな白い箱がジルの目の前に置かれる。
「開けてごらん?」
言うとジルがその箱を開ける。中には俺が厳選したドレスが入っている。シルバーとサファイアブルーのドレス。
「他にも靴と宝飾品、寒いといけないからローブに髪飾りも。」
ジルが唐突に俺に抱き着く。驚きながらもジルを受け止める。
「気に入ったかい?」
聞いてもジルは答えない。ジルの顔を覗き込むと瞳には涙が溜まっている。
「何も泣かなくても。」
言うとジルは俺を見上げて言う。
「とても素敵で着るのが勿体ないです…」
俺は笑って言う。
「ジルに着せる為のドレスだ。着て貰わないと困る。」
そしてジルの耳元で言う。
「俺の着る正装もジルのとお揃いだよ。」
ジルがフワッと笑う。
「そうなのですか?」
嬉しそうなジルを見ているとこっちも嬉しくなる。
「お支度をお願いしても?」
メアリーが言う。ジルは俺の頬に軽く口付けて俺の腕の中からスルリと抜ける。
「では、後で。お迎えに伺うよ。」
そう言って部屋に戻る。
服を着て騎士団の方に一旦戻る。滞りなく物事が進んでいる。そうなるように今までずっと指揮を取って来たのだから当然だろう。
「今宵は王城へ?」
マドラスに聞かれる。
「あぁ、兄上に来いと言われているからな。婚礼の儀についての相談だ。」
マドラスは目を細めて聞く。
「婚礼の儀はいつ頃に?」
俺は笑って言う。
「一週間後。」
マドラスも笑う。
「これは大忙しになりそうですね。」
ドレスを着る。シルバーとサファイアブルーの上品なドレス。シルバーもサファイアブルーもテオ殿下のイメージカラーだ。ドレス一式とローブに靴や宝飾品まで。全てをテオ殿下が選んでくださったと思うと嬉しくて泣きそうだった。愛する人からのプレゼントはこんなにも嬉しいものなのかと思う。髪を結い上げ髪飾りをつける。薄く化粧をして宝飾品を身につける。
部屋に戻り、着替える。俺自身は支度にそれほど時間を要しない。専属の侍従に髪を結わせるくらいだ。ジャケットを羽織り、タイを直す。
「完璧です。」
ギリアムが言う。
「そうか。」
そう返事をして、聞く。
「ジルの方は?」
ギリアムが微笑んで時計を見る。
「そろそろ…お支度が整う頃合でしょう。」
手袋をして廊下に出る。
「ギリアム。」
言うとギリアムが一輪の薔薇を渡してくれる。それを持ってドアの前で短く息を吐く。ノックする。
「どうぞ。」
ジルの声。ドアを開ける。目の前にはこの世の者とは思えない程の絶世の美女が居た。感嘆の溜息が漏れる。俺はジルの前まで歩いて行き、ジルを抱き寄せる。
「美しくて息をするのを忘れてしまいそうだ。」
言うとジルは少し笑って俺の胸元に手を当て言う。
「それは私も同じです。」
ジルの目の前に真っ赤な薔薇を差し出す。
「私に?」
ジルが聞く。俺は頷いて言う。
「そうだ。」
薔薇の茎を折ってジルの髪に差す。真っ赤な薔薇がアクセントになり、美しさが際立つ。