「部屋に戻ろうか。」
そう言ってテオ殿下は私の頭を撫でる。
「はい。」
テラスから出て長い廊下を歩く。
「部屋は気に入ったかい?」
聞かれて頷く。
「はい、とても。」
テオ殿下は嬉しそうに微笑む。
「お部屋の事はテオ様が?」
聞くとテオ殿下はホンの少し頬を染めて言う。
「そうだよ、ジルに喜んで欲しくてね。」
白とラベンダー色のお部屋はテオ殿下が…そう思うととても楽しみにしてくれていたと感じられる。
「お隣はテオ様のお部屋とお聞きしました。」
言うとテオ殿下が微笑む。
「そうだよ、ドア一枚隔てた所が俺の部屋だ。いつでも入って来てくれて良いよ。」
そして私に聞く。
「見てみるかい?」
テオ殿下のお部屋に入る。お部屋は濃紺と白のキリッとした印象のお部屋だった。テオ殿下らしいお部屋だ。お部屋の中央に大きなソファがあり、そこへ促される。
「ジルはお酒は飲めるかな?」
聞かれて座りながら言う。
「嗜む程度ですが。」
テオ殿下は優しく微笑み、お部屋に用意してあったボトルを手にする。
「これならジルでも飲めるだろう。」
テオ殿下が栓を抜く。グラスに注いで私に渡してくれる。
「ありがとうございます。」
受け取ってテオ殿下と乾杯する。一口飲む。優しい味。
「とても美味しいです。」
テオ殿下は微笑んでグラスの中のお酒を一気に飲み干す。
「テオ様はお酒はお強いのですか?」
聞きながらテオ殿下にお酌する。テオ殿下は微笑む。
「この程度の酒なら水と一緒だよ。」
つまりはお酒には強いという事だ。だって私は一口飲んだだけなのにお酒の通った所が分かる程に温かくなっているから。テオ殿下はタイを外すとボタンを外して行く。昼間、騎士団の訓練の時に見た時と同じように胸元が肌蹴ていく。みぞおちのあたりまでボタンを外すとグラスを傾けて今度はゆっくりと飲む。こうして見ると本当にテオ殿下は整ったお顔をしている。長い銀髪に精悍な顔つき、サファイアブルーの瞳、鍛え上げられている体…肌蹴た胸元には傷が見える。ただ単に鍛えているだけでは無いのだと実感する。この鍛え上げられた体は戦いに勝つ為のものだ。
「あの、お聞きしても?」
聞くとテオ殿下は微笑んで頷く。
「良いよ。」
また一口飲んでから言う。
「辺境地への移住をお考えになっていたと伺いました…」
テオ殿下は苦笑いする。
「そうだね。」
そのお顔は切なく歪んでいる。
「それは…やはり私と王太子殿下の事が理由ですか?」
聞くとテオ殿下はグラスの中のお酒を飲み干して言う。
「そうだよ。」
テオ殿下は悲しそうに微笑んで私に手を伸ばして私の頬に触れる。
「ジルがあの青二才と結婚してしまうと思っていたからね。俺にはどうする事も出来ない事だった。この世で一番愛している人が手の届かない所に行ってしまう事に耐えられなかったんだ。」
胸が締め付けられる。
「だから王都には戻らないつもりで国境の警備と称して辺境地へ行こうと思った。会わなければ、会えなければ、苦しさから逃れられると思った…」
テオ殿下はそこでフッと笑う。
「それがあの日、変わった。あの青二才が婚約破棄を宣言したんだからな。驚いたけど俺にはチャンスだった。だから掻っ攫ったんだ。」
テオ殿下は私に近付いて言う。
「居ても立っても居られなかった。躓いて転んだジルを見て俺は胸が張り裂けそうだったよ。俺ならあんなふうに扱わない、あんな目に絶対遭わせない。愛して、愛して、何よりも大切にする。そうする自信があったから。」
サファイアブルーの瞳がキラキラと揺れている。あぁ何て素敵なんだろう。手を伸ばし聞く。
「触れても?」
テオ殿下は微笑んで頷く。
「許可なんて要らない。好きな時に好きなだけ触れてくれ。誰も止めないし、咎めない。」
テオ殿下の胸元にある傷に触れる。
「これは、もう痛くは無いんですか?」
テオ殿下が微笑む。
「もう痛くは無いよ。」
よく見れば小さな傷がたくさんあった。
「たくさん傷があるんですね。」
テオ殿下が笑う。
「たくさん戦ったからね。」
テオ殿下は私の肩を優しく抱く。テオ殿下に寄り掛かる。大きな体は鍛え上げられているのに、私に触れる時はきっと触れ方に気を遣って下さっているのだと分かる。
「俺も聞いて良いかい?」
聞かれて頷く。
「はい。」
テオ殿下は私の肩を撫でながら聞く。
「あの青二才もこんなふうにジルに触れたのかい?」
そう聞かれて私はクスッと笑う。
「いいえ。」
テオ殿下が私を見下ろす。そのお顔は驚きに満ちている。
「王太子殿下は私に触れるのを避けていました。公式な場での私のエスコートと最初のダンスだけは我慢して義務として務められているようでした。」
胸がチクチクと痛む。
「プライベートでは?」
テオ殿下に聞かれて首を振る。
「プライベートでは二人きりでお会いする事もほとんど無かったですし、バッタリお会いしても挨拶だけです。私にご興味など無かったのでしょう。」
信じられなかった。ジルに触れないだと?そんな事が有り得るのか?…という事はこんなふうにジルに触れる事が出来るのは名実共に俺だけになったという事か。ジルを見ると少し悲しそうだった。そう扱われて少なからず傷ついただろうに。俺はジルの顎に手を添えて顔を上げさせる。瞳が潤んでいる。何て美しいんだろう。
「これからは俺がジルを離さないよ。ジルに興味を持たないなんて有り得ない。俺は今すぐにでもジルの全てを知りたくて、手に入れたくて苦しいよ…」
我慢が出来ず口付ける。
俺が初めてジルに会ったのは王太子の婚約発表の時だ。その時はまだ15歳のあどけなさが残る子供だった。それでもその美しさには目を見張った。15も下のまだ成人もしていない相手に恋心を感じて俺は自分を笑い嫌悪した。だから騎士団の仕事にかまけた。それから2年くらいはずっと遠征に出ていた。王都に戻らなくて良いように国境での警備に当たった。隣国に俺の名が馳せた。
いつしか隣国のどの国も我が国の相手にはならなくなった。2年ほどして戻って来た時、ジルは17歳になっていて、その美しさに磨きがかかっていた。王妃教育も順調に進んでいるようだったが、ジルは少しも幸せそうでは無かった。だから気になった。王妃教育の為に王宮に出入りしているジルとはちょくちょく出くわした。その度にジルは憂いを秘めていた。奪って逃げてしまおうかとも考えた事もあった。でも出来なかった。時が経つにつれて、想いはどんどん膨らみ、このままでは俺が潰されると思い、辺境地への移住を視野に入れ始めた。
そして、あの日、目の前で全てが変わった。掻っ攫ってしまおう。俺のものにすれば良い。そう出来る自信があった。口付けた瞬間、溶け合うような感覚になる。あぁ、やっぱりだ。ジルは俺の運命の人だ。そう確信した。
長く甘い口付けから唇が離れる。頭が痺れてうっとりとテオ殿下を見上げる。テオ殿下は私を見つめて言う。
「本当ならこんな事は結婚式を挙げた後じゃなきゃいけないんだが、理性が飛びそうだよ…」
テオ殿下の顔が切なく歪む。テオ殿下の頬に触れる。
「私はもうテオ様のものです…それとも一度契りを交わしたらそのお心は虚ろってしまうのですか?…」
テオ殿下は私を抱き締めて言う。
「そんな事、ある訳無い…こんなにも愛しくて、愛しくて、心が張り裂けそうなのに…」
テオ殿下の腕の中は温かい。テオ殿下は私を見下ろすと言う。
「ジルは今日ここへ来たばかりだ。疲れているだろう?なのにこんなふうに、」
「テオ様、」
呼び掛ける。テオ殿下は私の頬を撫でる。
「私もテオ様と…」