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第3話ー朝食は甘く、切なく

凄まじい一日だった。私は何故、あの時、冷静だったのだろう。冷ややかな目で二人を見ていた。何となくあの二人は上手くいかなくなるとさえ感じている。現実的に考えても子爵位の令嬢が王族になるなど、今まで前例が無い。たとえ無理を押し切って結婚まで至ったとしても、あの厳しい王妃教育にグラハム嬢が耐えられるとは到底思えなかった。差別は禁止されているとはいえ,貴族同士でさえ家柄に拘る家は多い。それが王族ともなれば、もう普通の貴族とは世界が違うのだから。私はこの5年で王妃教育を叩き込まれた。寝る間も惜しんで勉強し、常に清廉潔白でなければならない。王族の誰もがそうであるように。そこで私は考えるのを止めた。あの二人の事は私の出る幕では無い。



そしてこれからの事を考える。王弟殿下はこの国の騎士団長だ。この国の誰よりも強い。体も大きくて逞しい。その上、私よりも15も年上だ。見目も麗しく、今まで女性の影が無かった事が不思議な程。王弟殿下は初めて見たその時から私を見初めてくだっていたと仰った。王弟殿下と初めてお会いしたのは確か、婚約が決まってすぐの頃だった。王妃教育で王宮に出入りしていた私はそこで初めて王弟殿下にお会いしたのだ。それまではずっと遠征に赴かれていた殿下とはご挨拶をした程度だった。そして思い出した。あの時、私は確かに王弟殿下にときめいていた。けれどそれを無視したのだ。自分は王太子殿下の婚約者なのだから、と。それからはほとんどお会いする事も無く、言葉を交わす事も無かった。それなのに、王弟殿下は私に恋焦がれていらっしゃった。あんなにも熱く強引に口付ける程に。思い出しただけで顔が紅潮するのが分かる。眠れそうにない。



翌朝、目覚めると、わらわらと侍女たちが集まって来て、支度をしてくれる。


「今日はこちらをお召しください。」


出されたのはヴァロアの象徴である赤い薔薇があしらわれているドレス。宝飾品はサファイア。王弟殿下の瞳の色だ。恐る恐る床に足をついてみると、そこまで痛みは無かった。腫れもひいている。それ程長い距離でなければ歩けそうだった。支度が整うとノックが響く。


「失礼するよ、お支度は整ったかな?」


そう言いながら王弟殿下が姿を現す。昨日とはまた違う濃紺の正装。王弟殿下は私を見ると甘い溜息を吐く。


「おはよう、ヴァロア嬢。」


そう言って近付いて来る。私が立ち上がりかけると言う。


「そのまま、座って。」


私の足を気遣ってくれての事だと分かる。そして私の元へ来ると片膝を付いて手を差し伸べる。その手に私の手を乗せると手の甲に口付けて言う。


「美しくて息が止まりそうだ。」


片膝を付いてそう挨拶をする王弟殿下を見た私の方こそ、息が出来なくて苦しい。


「私の方こそ王弟殿下が麗しくて息が出来ません。」


言うと王弟殿下はクスっと笑って立ち上がる。そして私をふわっと抱き上げる。


「さぁ、お食事に参りましょう、婚約者殿。」



テラスに用意された朝食。向かい側に座る王弟殿下はとても楽しそうにしている。


「朝一番でご当主に挨拶して正式に婚約を結ばせて貰ったよ。後で貴方にもサインをして貰わないといけないけれどね。」


そこでふと疑問に思って聞く。


「国王陛下には?」


王弟殿下はクスっと笑って言う。


「昨日の夜のうちに話したさ。俺が貴方を追って出て行ったのを見ただけで、全てお見通しだったらしいがね。国王と言っても俺にとっては頼りになる兄だから、俺が正直に話したら喜んでいたよ。兄にとってもヴァロアとの繋がりは強固にしておきたいという思惑もあったんだろうしね。良くやった、我が自慢の弟よ!なんて言ってたな。」


そこで王弟殿下は真面目な顔になる。


「あの青二才は恐らく相当絞られるだろうな。20歳になったというのに自分の立場を分かっていなかったからね。」


前途多難という訳だ。


「それに、あのグラハム嬢…だったか、あの御令嬢には気を付けなくてはいけないね。」


そう言われて首を傾げる。王弟殿下はまたクスっと笑って言う。


「あの御令嬢は今まで男性に頼る生き方しかして来なかったと推察する。故にあの青二才が使えないと分かると恐らくは更に上に守って貰おうとするだろうからね。」


嫌な予感がする。


「更に上、と申しますと?」


聞くと王弟殿下は苦笑いして言う。


「あの青二才よりも上と言えば、俺か、国王か。」


グラハム嬢ならやり兼ねないと思う。そこで王弟殿下は笑い出す。


「まぁ、そこ二人に関しては心配は要らないよ。国王にそんな事をすれば不敬罪になるし、俺には貴方が居る。」


そこでふと思い付いた事を言ってみる。


「王太子殿下が私と婚約していたのを破棄させたのだから、私と今、婚約している貴方をまた私から奪おうとするかもしれませんね。」


王弟殿下はその顔から笑みを消して私を真っ直ぐに見つめて言う。


「俺が貴方にどれ程、恋焦がれていたのか、そして今どれ程までに貴方を愛しているか、貴方に分かって貰わないといけないね。」


サファイアブルーの瞳が真っ直ぐに私を射抜く。そしてふわっと笑って言う。


「あの青二才と並べて貰っては困るな。それにこうは言いたくないが、俺はああいう女は嫌いでね。」


一瞬だけ、嫌悪の感情がその瞳に混ざる。


「俺は貴方が良い。貴方以外に心を動かされた女性は居ないよ。貴方だけが俺の心を支配出来る。」


そして憂いを秘めた笑みを浮かべて言う。


「今までは叶わぬ恋だった。決して表には出してはいけない感情だったが、今はもう違う。正式に婚約もした。可能ならば今すぐにでも結婚して貴方を俺のものにしたいと思っているぐらいだ。」


切ない顔をしてそんな蜜語を…。


「こうしている今も貴方に触れたくて、抱き締めたくて、口付けて全てを奪いたくて仕方ないというのに。」


そう言われて恥ずかしくて王弟殿下を見られない。


「ヴァロア嬢、いや、ジル。」


名を呼ばれて驚いて顔を上げる。


「俺はもう貴方の婚約者だ。だから王弟殿下などと呼ばずに名を呼んで欲しい。」


王弟殿下は微笑んで言う。


「ほら、呼んでみて。」


名を呼ぶなど…。今までは絶対に許されなかった事だ。でも殿下の言う通り、今はもう私は婚約者という立場。


「テオ…様…。」


殿下は急に立ち上がると私の元へ来る。そして私の顔を上げさせる。


「失礼を許してくれ。」


そう言って口付ける。殿下の舌が私の舌を攫って絡まりあう。唇が離れると殿下は私に微笑みかけ、私の足元に跪いて胸元から何かを取り出す。小さな小箱だった。殿下はその小箱を開ける。中にはアメジストをあしらった指輪が入っている。それを取り出し、私の左手を取ると、薬指にその指輪を収める。


「これは…?」


聞くと殿下は私の左手の手の甲に口付けながら言う。


「婚約指輪だよ、ジルの瞳と同じ色のアメジストで造らせた。」


そして私を見上げて言う。


「実はずっと前に造らせたものだ。いつか渡せたら良いと思っていた。口実など何でも良かった。俺が贈ったものを身に付けて欲しかったから。こうしてこんな形でジルに贈る事が出来るなんて夢のようだ。」


そして微笑んで言う。


「婚約を受けてくれてありがとう。これからは俺がジルを守って行く。ジルを決して泣かせたりしないし、不安にさせないように心がけよう。」


殿下は立ち上がると私の耳元に顔を寄せて囁く。


「ただしベッドでは泣かせてしまうかもしれないけれどね。」


自分でも分かる程に頬が紅潮する。胸がドキドキして息が出来ない。殿下はそんな私を見て微笑み、私の頭を撫でる。


「すまない、ちょっと刺激が強過ぎたな。」


そう言って歩き出し、自分の座っていた椅子を持って来て私の隣に置くとそこに座り、私の手を握る。


「次の食事からは二人掛けの椅子を用意させよう。食事の間も片時も離れていたくはないからな。」


この方は…、こんなにも甘い言葉を次から次へと…。


「殿、テオ様。」


殿下は握っている私の手に口付けながら聞く。


「ん?何だい?」


殿下を見上げる。


「心臓がもちません…」


殿下はクスクスと笑い、私の頭を撫でる。


「これくらい慣れて貰わないと困るな、これからはこれが当たり前になるのだから。」


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